LIVE偵察日記
November,2000


☆11月 18日(土) At 中野サンプラザ・ホール
『Jimmy Scott & His Quartet featuring Dream Orchestra』
ジミー・スコット(vo)
マイケル・ケイナン(pf)、ビリヤード・グリーン(b)、ドゥエイン・ブロードナックス(ds)、ジャスティン・ロビンソン(as)
内堀 勝(指揮・編曲)、岡崎 好朗(tp)、近藤 和彦(as、fl)、三木 俊雄(ts)、宮本 大路(bs)、片岡 雄三(tb)
 with 7 piece Strings


90年代初め、デビッド・リンチ監督の“ツイン・ピークス”を切っ掛けに復活。 トミー・リピューマのプロデュースでワーナーに“復帰作”を吹き込み、その後、“キーストン・コーナー東京”出演の為、来日。 少年のように小柄で、カウンター・テナー風な女性的ボーカルを聴かせる老シンガー・・・、そー言えば、あれから、彼って、どうなったんだろう?・・・これが、つい10ヶ月くらい前までの僕の“リトル”ジミー・スコットについての印象。 NHKのBS放送で紹介されたドキュメンタリー番組が、可也評判になっているらしい・・・という噂を聞いて、へえ〜、まだ唄っているんだ、と再認識したのが今年の2月か3月だった。 そんな矢先、そのドキュメンタリーの再放送を、NHK総合(地上波)で、途中からながら見る事が出来た。  正直、ぶっ飛んだ。 ビックリした。  なんと言う「歌」だろうか!  波乱の人生・・・貧困、家族との離別、レコード業界の搾取と差別、「本当は女性なのでは?」といった中傷・・・。  番組では、そういった、ジミー・スコットに関する“尾鰭”も印象的だったが、それよりも、何よりも、ジミーさんの歌、歌う声、歌う姿・・・それ自体に、えも言われぬものを感じてしまった。 こりゃ、凄い!  こんなに凄い歌が、あったのか?!


放送の直後、タイミングを計ったかのように行われた来日公演。 是非とも行きたかったが、何か、TV番組に焚き付けられたような自分に嫌気も感じて、敢えて行かないことにした。  来日コンサートは、多くの地方公演を含めて、中野サンプラザ・ホールでの追加公演も満員になるほどの盛況ぶりだった、とのこと。 やはり、TVの影響力は大きい。  その後、次から次へと、日本ではジミーさんの旧作が再発売され、ジャンルを問わず、色々な雑誌に記事が出るようになった。 「ジミー・スコット・ブーム」とでも言えば良いのか?  こういう現象には、とても興味があって、ジミーさんの記事が出ると、出来るだけ見るようにしていたが、どれも、これも、あのドキュメンタリー番組を、そのままコピーしたような内容で閉口した。 そうこうしているうちに、僅か半年での再来日公演ツアーが決定。  今回は、3回の東京公演をはじめ、地方も殆どがコンサート・ホールでの公演だ。   ブームとは言え、元々、一般受けし難い、癖のあるタイプのジミー・スコットの歌唱・・・、そこまで集客能力があるのだろうか?


さて、前置きが長くなったが、遅ればせながら、TVドキュメンタリー以降、ジミーさんの作品の数々を購入して愛聴していたので、ブームとは無関係に、今回は聴きに行くことにした。 比較的早い段階で手に入れたチケットの座席は、前から4列目の真ん中、通路側。  早めに購入したとは言え、ちょっと良い席過ぎる、オカシイなあ・・・と思いつつ、当日、会場の中野サンプラザへ。  ロビーに入ると、以前、ジャズ・サークルで御一緒していた先輩ジャズ・ファンの皆さんの顔が見えた。 「皆さん、御揃いで、どうも、どうも・・・、でも、こういうの趣味でしたか?  え? 招待券貰った?」  何かのルートで手に入れたという招待券を拝見すると、やはり可也良い席ばかり。 他のお仲間も、別の日に招待券で聴きに行ったとか。 開演5分前、ホール内に入ると、案の定、ガラーンとしている。  1階席の、どうだろう、20%も埋まっていない。  やっぱりな〜、という気持ち。  ブームなんて、所詮、こんなものなのだ。 TV番組放映から、半年以上経ち・・・、去るものは日々に疎しか?   開演時間を過ぎても、客の入りは、2階席が2〜3人(多分モノ好きな人)、そして1階席も60〜70%程度。  2000人収容の会場に、恐らく、1000人も入っていないだろう。


5分遅れで、バンド・マン達がステージに登場する。 ピアノ・トリオに、アルト・サックスの4人編成の“JAZZ EXPRESSIONS”だ。  最初2曲、バンドだけで、インストゥルメンタル。 立派な体格のアルトのジャスティンは、マッチョな音で、キャノンボールばりにブリブリと吹く。 ほとんど生音で伸びていくサックスの音が、1階上方、そして2階の、座る客が居ない客席に吸収されることなく、高い天井に悲しく反響し、残響となって、頭上から降ってくる。  なんて・・・、寂しいんだろう・・・。   バンドは、燻し銀といった感じのベースとドラムを中心に、ソリッドかつロマンティックなピアノも素晴らしく、実にスインギー。 しかし、周りの観客は、凍りついたように微動だにもせず、固まっている。  なんて・・・、寒々しいんだろう・・・。  


こんなところに、ジミーさんを迎えなくてはならないのか・・・と思うと、なにか悲しく、そして恥ずかしくすら思えてくる。  しかし、不思議なのだが、同時に、妙にホッとしている自分にも気づく。 ジミー・スコットの、あの癖のある、奇妙な、それでいて深い歌心を湛えたボーカル・スタイルが、50年以上の音楽生活で醸造された旨味が、そう易々と理解されるわけがないのだ。  
癒しだ、感動だ、魂だ、愛だ、なんじゃ、かんじゃ・・・と、鐘や太鼓のマスコミ媒体を通じての大騒ぎ・・・、最近の日本では、そういった事で、アッと言う間に売れっ子シンガーになれるらしいが、ジミー・スコットは、そんなお手軽な、バブルな“商品”にはなり得なかった。  その事に、妙にホッとしてしまった。 
     

 
さあ、いよいよ、ジミーさんがステージに登場。 75歳という高齢のためか、歩く姿は、やはり何処かギコチナイ。 手足が長いな、という印象はあるが、特に“リトル”という感じでもなく、マイクの前にスッと立ち、唄いはじめる。 CDなどで聴くのと同様、まるで全身全霊をを歌声に込めるかのように、歌い出しを溜めるだけ溜めて、一気にバーンと歌い放つ。  ユッタリ、と言うより、スローに、と言うより、「大きく、大きく」と表現するのがピッタリくる歌唱だ。 大きく、自分の歌心を解放する・・・、そう、自分の心の底にある「伝えたい気持ち」を、広い世界に向けて「開放する」・・・それがジミー・スコットの「歌」ではないか?  何かを「伝えたい気持ち」は、誰もが持っているものだ。 それを「開放する」手段として、「歌」をジミーさんに与えたのは、ホルモン異常という病気でも、父親に捨てられ施設で暮らした寂しい幼少期でも、貧困と差別に苦しんだ過去でもない。 そういった人生の辛酸が、なにかの切っ掛けにはなっているかも知れないが、ジミー・スコットにとってのは「歌」は、教会のオルガン奏者だった愛するお母さんが教えてくれた「歌」であり、 レコード屋に通い夢中になって覚えた「歌詞」であり、ラジオにかぶり付いて身につけた「メロディー」であり、バンマスのハンプに「坊主、やるじゃないか?」と褒められた「誇り」であり、観客の拍手に迎えられた「喜び」なのだ。  真摯に「歌」と向かい合ったからこそ、ジミーさんは、「歌」だけで聴く者を感動させるシンガーになれたのだと思う。 どんなお涙頂戴のストーリーがあろうが、ジミーさんの「歌」そのものの感動には敵わない。   


溜めに溜めながら、それでいて一切モタツクことなく、ジミー・スコットの歌唱は抜群にスイングする。  どうして、こんなにもスイングするのだろうか?  どうして、ここまで聴く者の心をグッと掴み、グングンと引き寄せ、グイグイとグルーブするのだろうか?  聴き進むうち、その答えが分かったように思う。 ジミーさんは、歌っていない所も、歌っているのだ。  フレーズの頭を、グッと溜めて、遅れて歌い出す感じだが、その間も、ジミーさんは声を出さずに歌っている。 
歌っていない、声が出ていない所でさえ、彼は中空を見つめながら「伝えたい気持ち」を「開放する」。  例えば、優れたドラマーは、ブラシからスティックに持ち替える、その間のリズムを、シンプルに“シャー、シャー”とハイハットを鳴らすことだけで表現する。 そこには明確なリズムが存在していないのに、聴こえない筈のリズムが、ハッキリと演奏の中に現れ、えも言われぬスイング感を与えてくれる。  ジミーさんの「歌」も、同様に、聴こえることのない「歌」が、途切れることのないスイング感をもたらしているのだ。


それも、これも、ジミーさんが長年、心血を注いで歌い込んできた、「人馬一体」ならぬ「人歌一体」とも言えるレパートリーだからこそ可能になる境地。  新しいレパーリーと思しき“My Foolish Heart”と、チャップリンの“Smile”は、歌詞を見ながらで、どちらも、あの「溜め」が一切なく、フレーズの頭から素直に歌っていた。 その為、他の曲にはあったスイング感が、この2曲には皆無で、ジミー・スコットでさえ「新曲には振り回されている」という印象があった。  
シンガーにとって、「レパートリー」が如何に大事なものか、歌い込み、熟成させることが如何に尊いことか?  「熟成」が軽視され、即効性のある「刺激」ばかりが持て囃される、昨今の「即席ラーメン」的な日本の音楽界には、もう一度、この事を思い出して貰いたい。


第1部は、かつて島津健一さんも在籍していたジミー・スコット専属バンド“JAZZ EXPRESSIONS”の伴奏のみで通した1時間弱。  ググッとくる、深い歌唱を集中して聴いていたので、かなり疲れて、喉が渇いた。 休憩時間に飲んだ、アイス・コーヒーの美味いこと、美味いこと・・・。 さて、第2部は、「MUオーケストラ」を率いてライブ・シーンでも御馴染みの内堀勝さん編曲・指揮の「ドリーム・オーケストラ」との共演。  トランペットの岡崎好朗さんが参加するのは知っていたが、ステージ上に登場したオーケストラの顔ぶれを見てビックリ。 東京のジャズ・シーンで、ビッグ・バンドはもとより、ソロイストとしても屈指の面々がズラッと豪華に・・・。  しかし、ステージでは、その彼等の紹介が一切なく、パンフレットにも内堀さんだけが簡単に紹介されているのみだった。 アルバイトで仕込んだ学生ビッグ・バンドのメンバーならいざ知らず、このメンバーに対して、こういった仕打ちが許されるのだろうか?   
ジミー・スコットの過去については「ミュージシャンとして尊重されることなく、不当に扱われ」と同情するくせに、日本人ミュージシャンのことは「不当に」扱っても良いのか?


“Sometime, I Feel Like A Motherless Child”でジミーさんの歌唱に絡みまくった近藤さんのフルートをはじめ、ソロこそなかったものの、ジミーさんの歌唱がテーマ部からブリッジ部に移行する合間に滑り込んでくる岡崎さんのトランペット、底から突き上げる大路さんのバリサクなど、渋〜い聴かせ所もあった「ドリーム・オーケストラ」。  “Day By Day”の2コーラス目の前に、本来ソロがあったらしい三木さんのテナー・・・ソロに備えてマイクを高くセットし直し、起立して出番を待っていたが・・・、1コーラス終えたジミー翁、思わず、気持ち良く、そのまま2コーラス目に突入。 「?」といった表情の三木さん。  「!」と言った表情のマイケル・ケイナン、必死に笑いを堪える。  それでも、さすが三木俊雄、エライぞ!  ジミー翁の歌唱に、渋くオブリガードを付けつつ寄り添う。 曲が終わり、「ドリームオーケストラ」の面々も、“JAZZ EXPRESSIONS”の面々も、揃って苦笑。 気付いたジミーさん、三木さんに向かって「悪い、悪い」とばかりに手で合図。 なんとも、いい感じだ。  他の曲で、アルトのジャスティンの、火の出るようなソロの時は、後ろで聴いていた同じ楽器の近藤さんが「うぉ〜っ、やるじゃ〜ん」といった感嘆の表情。 隣の三木さんも「ほ〜っ」。 曲が終わり、「ドリームオーケストラ」からジャスティンへ「イエーッ」。 それに、恥ずかしそうな笑顔で応えるジャスティン。  
客席がガラガラで、その上、客の乗りがイマイチであろうが、ミュージシャンとしての扱いが不当であろうが、ソロを飛ばされようが、ミュージシャン同士の間には「良いプレー」に対する「リスペクト」がある。 


しかし、ジミーさんの歌唱と「ドリームオーケストラ」は、いかんせん、急造のコンビネーション。  大きく、広く歌いまわす、ジミーさんの歌唱の自由度を、「オーケストラ」との共演が狭めてしまっている、と思わせる場面もあった。  管と弦が付くのは、それはそれで豪華で、素敵なことだが、これがジミー・スコットにとって最善の取り合わせか?・・・と聞かれれば、答えはNOとなるだろう。  集中して聴けた第1部に比べ、第2部は、どうしてもチグハグなものを感じてしまった。  又、コンサート・ホールという条件もあろうが、何か観客がステージとの間に、実際の距離以上のものを感じていたようにも思う。  
拍手や歓声は勿論あったが、どこか客が冷めていて、非常にダルな雰囲気が会場を覆っていた。  単に客の入りが悪い、といった表面上の問題ではなく、なにか、もっと深い部分で客席が冷め切っていたような・・・。  観客席から、ステージに向かって投げかけられていた大多数の視線に含まれていたのは、「リスペクト」よりも「興味本位」だったのではないだろうか?  


今回のジミー・スコットの来日公演に関しては、コンサート主催者、観客、そしてミュージシャンの3者の間に、拭い去れない大きな隔たり、あるいは温度差のようなものがあったのかも知れない。 「ブームを仕立てよう」とする主催者、「お泣かせ映画を観に行く感覚」の(招待された)観客、「良い演奏、良い歌唱だけを考えている」ミュージシャン・・・。   終演直後、一階席の真ん中あたりで、なにが原因の喧嘩かは不明だが、客同士でコゼリアイがあった。  そんな事も含めて、
実に後味の悪いコンサートだった。  ジミーさんの歌唱、共演したミュージシャン達の演奏は素晴らしかったのだが・・・。