ホームへ
そうめん



 思い起こせば、遠く幼い日々、夏の食べ物といえば、スイカにかき氷、そして、そうめんであった。

 産地が近いこともあって、そうめんは手に入りやすかったらしい。三度の食事のうち、一度はそうめんがでてくるような日々。

 食欲があろうがなかろうが、夏の暑さとは関係なく、連日のそうめん責めが続く。幼いころ、こうした日々をすごした人間は、そうめんがなくてはならないほど好きになるか、飽きてしまうかの二つだろう。

 何ごとにも、限度というものがあるものだ。ほどほどがよかろう。

 ちなみに、私のその後に人生において、そうめんとはほどほどに距離をおいて接している。

  近いそうめんの産地とは、兵庫県の龍野市のことであり、その銘柄は『揖保乃糸』という。その龍野市に『そうめんの里』というテーマ館があるのを知ったのは、つい最近のことだ。近くにいながら、その存在すら知らなかったのは、そうめんと長年にわたり距離をおいた関係を続けてきたためかもしれない。

 知った限りは一度訪れてみねばなるまい……てな調子で、行ってみた。

 そうめんの里

 白い建物は、そうめんの貯蔵倉でも模したものだろうか。実際、建物の一つは貯蔵倉らしいが、一つは目指す「そうめんの里」である。

そうめんの里・近景

 まわりは、山と田んぼが目立つ。きっと、そうめん作りにはよい場所だったのだろう。

 「そうめんの里」の二階が、資料展示室になっていた。

職人人形1

 そうめんは、遣唐使によって伝えられた「索餅」というものがもとになったそうだ。その「索餅」というものは、どんなものかよくわかっていないらしい。文献の記述などをもとに、「こんなもんじゃないか」と復元したものが展示してあったが、正直なところ、うなずけないものだった。干菓子のでかいヤツという感じで、どうしてこれが麺になるのか、理解に苦しむ。

 たいていの舶来品が、高級品で庶民とは縁のないものであるのと同じく、『索餅』も宮中でごちそうとして食されたそうだ。

 中世になると、現在のそうめんと同じものが作られるようになったそうだが、それでも、まだ庶民とは縁がなく、寺院、宮中でおもに食されたそうである。

 庶民とそうめんが親しくなるのは、江戸時代からだそうだ。

 播州地方では室町時代から、そうめんが作られていたらしい。ある寺院の文献にも「ソウメン」という言葉が記述されているそうだ。

 職人人形2

 そうめんは、ご存じのとおり、まっすぐな乾いた麺を束ねて帯でとめてある。その帯の色によって麺の等級が違うことは、なんとなく知っていたが、資料室(館)でその種類を知ることができた。

 上級が、赤帯に、白文字で『揖保乃糸』の銘

  特選が、赤帯に、金文字で『揖保乃糸』の銘

 熟成麺が金帯に、黒文字で『揖保乃糸』の銘

 特級が、黒帯に、金文字で『揖保乃糸』の銘

 ……おそらく、食べ比べても、私には違いがわかるまい。おのおの太さがちがうようだが、それもコンマ数ミリであるから、鈍い私には関係があるまい。

 きっと「のどごし」が違うのだろうが、その感覚すら私にはよくわからない。食えればいいという大雑把な身には、食文化など恐れおおくて言葉にすることなどできない。

 冷麦はそうめんと比べるとさすがに太いので、かろうじて区別がつく。ちなみに冷麦の帯は、青帯で白文字である。

  食物は命に直結するものなので、昔はたいてい神様にむすびつくもののようだ。収穫祭は、どこでだってやっていたし、生きることは大変なのでこのときばかりは楽しもうと、祭りはにぎやかで活力のあるものだった。

 今のように、食物をつくったり採ったりする場から隔離された人々が多くなると、いきおい祭りは活力を失う。楽しみが多く、いくらでも選べる時代では、祭りを数少ない楽しみとしていた頃のようにはいかない。

 私にしたところで、近所の祭りに出かけたのは、もう何年前のことだろうかと考えてしまうくらいだ。

 もっとも、すべての祭りが活力を失ったわけではないだろうし、見たこともない祭祀をあれこれいうことはできない。

 「そうめんの里」の前の道路を渡り、すこし離れたところに『素麺神社』がある。聞いたことのない神社だが、行ってみると鳥居も社も新しい。最近になって建て直したようである。明治32年に奈良のそうめんの神様といわれている三輪山の大神(おおみわ)神社の御分霊を勧請したものだという。

素麺神社の鳥居

 三輪そうめんといえば有名だが、そうめんの神様がいるとは知らなかった。さすが、八百万の神がいるといわれる我が国である。なんにだって神様がいる。

 だいたい、日本ほどたやすく神さまになれる国はない。死ねば誰でも神さま(仏さま)だし、なにかに秀でた人は生きているうちから神さまとあがめられる。たとえば野球では「バットの神さま(打撃だったかな)」  会社では「経営の神さま」職人内でも神さまと言われる人はおおいだろう。人の内に神さまを見るという思想は嫌いではない。

 

 「そうめんの里」の二階は前述したように資料館になっているが、一階は売店やそうめん製造の実演の場、そして食事処がある。

 実演は残念ながら時間が違ったのか、見ることはできなかった。

 うろうろしているうちに昼時になったので、食事処「庵」に入る。やはりメニューにはそうめんが多い。駐車場では、そうめん流しもやっていたが、さすがに一人で食べるのはわびしすぎる。

 天の邪鬼な性格が頭を出し、暑い日であったにもかかわらず、暖かい料理を注文する。

 久しぶりのそうめん(にゅうめん)である。何年ぶりになるだろうか。

 なかなかおいしかった。これで、疎遠だったそうめんと親しくつきあうようになれば、文の終わりとしてよいのだろうが……やはり、距離をおいてつきあうことにかわりはなさそうである。

 なにごとも、ほどほどに。

 2001/8/*


参考

「揖保の糸」ホームページ


 


さんぽにいこう〜目次〜
本をつくろう
読んでみよう
飛んでいこう
風のたより風まかせ
ホームにもどろう