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とおのものがたり



風見


 台風が近づいているらしく、午後になると風が強くなってきた。
 しかし、空をかけていく雲たちはまだ黒く染まってはいない。それにしても、あの透きとおった雨つぶが、黒い汚れたような雲から降ってくるとは、信じられない。
駅前にはロータリーがあり、その内側は円形の広場になっている。改札口から広場までは、車道を横切る横断歩道があり、ボタン式の信号機がある。
 腰の高さほどの植木が広場と車道の境界線となり、広場の中央には大きな風見がたてられている。
 もしかしたら、風見ではないのかもしれない。
 巨大な菱餅のようなそれは、二つの頂点を上下でささえられ、風にふかれてゆらゆらと揺れている。菱餅の表面には、小さな菱形の金属片が鱗のようにとりついている。金属の鱗は、ぴったりとついているわけではなく、それぞれ気ままなようすで動いている。まだ衰えない陽光を、はねかえして、菱形の鱗は光に奇妙な舞いを強いているように見えた。
広場にはべンチが三つあった。巨大な風見のすぐ近くにあるべンチの一つにすわって見回してみる。ほかに人影はない。
 駅には人があふれ、ロータリーには車が押し合いへし合いしているが、この広場は不思議なほど静かだった。
 ふと気がつくと、いつのまにか広場の人口が一人ふえていた。
 青いワンピースを着た幼女だった。
 首をかしげながら、ゆっくりと回転している風見を見ている。背中の中ほどまである髪が風にゆれている。
 しばらく風見を見ていた幼女は、急にこちらをむくと駆けよってきた。
「おじちゃん、これ、なあに?」
 人見知りしないようすで、幼女は風見を指さしながら、そう聞いてきた。
 内心、「おじちゃん」と呼ばれたことにショックをうけながら、しかし幼女にむけた顔には笑みがうかぶように努力する。
「さぁ? たぶん、風見じゃないかな」
 風見にしては、風の方向をむかず、くるくると回りすぎるようだが、ほかに言いようが思い浮かばなかった。
「カザミって?」
「風のふいてくる方向を……」
 言いかけて、それがゆっくりと回転していることをあらためて思った。しかし、風車というのもおかしい気がした。せめて、もうすこしジッとしていてくれたら。
「風を見て、そう、風をみはるものだよ」
 苦しまぎれにそうこたえた。まちがってはいないと思う。
「ふうん。こうやって、くるくるしながら、かぜをみてるの。まわってると、かぜがみえるの?」
 こたえる言葉が見つからなかった。
 ありがたいことに、幼女はその答えでなっとくしたらしく、それ以上問いつめてくることはなかった。  風見を見上げたまま、幼女はそのまわりをゆっくりと歩きはじめた。
「かぜがみえる、かぜがみえる……」
 歌うように、そう言いながら、こころなしかはずむような足どりで、幼女は歩いていく。
 ちょうど風見の向こう側。こちらから見ると、風見の菱餅をささえている柱に隠れるような位置にくると、幼女は風見をまねているのか、くるりと回転してみせた。
 幼女の長い髪が風に吹かれながら、身体の回転につれて、たんぽぽの綿毛のようにひろがる。
 甲高い笑い声が風にもまけずにとどく。
 幼女はつづけて、二回三回と回転している。
「おいおい、目がまわるぞ」
 たのしそうな幼女の姿と声にこちらまでなんだか楽しくなりながら、そうつぶやく。
 あれくらいの年ごろは、なにをやってもおもしろかったな。やることなすことが、みんな初めての体験だった。
 今は新鮮な驚きというか、たのしさというものを感じることがなくなってきたような気がする。何をしても、もう手垢のついた感覚のように思える。
 これが年をとるということなのだろうか。
 見上げると相変わらず雲の流れははやい。昔は、こうした雲の流れさえもおもしろく、あきもせずにながめていたものだ。
「あれ? どこへ行った?」
 幼女の姿が消えていた。だが、笑い声は聞こえる。
 風上に目をむける。声が風に流されてきているのかと思ったのだ。
 まさかあのまま、くるくる回りながら車道のほうまで行ってしまったのではないだろうな。
 思わず立ち上がって、植木のむこうに目をむける。
 停車している車たちと、ゆっくり走り去っていく車の列が見えるだけ。車道に幼女がいる気配はない。  では、この笑い声はどこから聞こえてくるのだろう。声の調子からすると、それほど遠くからとは思えない。
「あはは……。かぜがみえる……」
 風見のまわりを歩いてみる。
 幼女がさっきまでいたはずのところには、なんの痕跡もない。
「おかしいな」
 笑い声はとぎれることなく聞こえている。だが、その姿がみあたらない。
「声はすれども姿は見えず。ほんに、あなたは屁のような」
 つまらないことをつぶやきながら、キョロキョロする。
 ふしぎなことだが、気味がわるいとは思わなかった。なんだかおもしろくなってきた。
「風がみえる……か」
 その場でくるりと回ってみる。止まってもゆれている感覚が心地よい。
「ユウキちゃーん、どこ?」
 女性の声に我にかえる。
 今の行動を見られただろうか。
  居心地の悪さを感じながら、手をうしろで組んであたりを見ながら散歩している風を装う。
「あの、すみません。女の子を見かけませんでしたか」
 若い女性が尋ねてきた。目のあたりが幼女のものと似ているような感じの女性だった。
「えぇ、さっきまでいたようなんですが」
「どこへ行きました?」
「いや、それがいつのまにか、姿が見えなくなって……」
 気がつくと笑い声は聞こえなくなっていた。
「ここにいるように言ったのに……」
 あんな年頃の子どもに、ジッとしていろという方に無理がある。けっこうな母親だ。だが、こちらにも責任があるような気になって、もう一度あたりを見回してみる。
「ユウキちゃん?」
 広場はたいした広さはないので、一目で見渡せる。それでも女性は、幼女が隠れていると思ったのか、植木の車道側の影を調べるように見ながら歩いている。
 ベンチの下ものぞいたが、いない。
 そのとき、幼女の声がかすかに聞こえてきた。押し殺したようなクスクス笑いだった。
「ユウキちゃん? どこ?」
 女性にも聞こえたらしい。幼女の姿を求めてあたりを見回している。
「おかしいですね」
「えぇ。どこにかくれているのかしら」
 声はたしかに聞こえるのだが、どうしてもその姿が見つからない。
 ふいに強い風がふいた。
「きゃっ!」
 驚いたような声をだして、女性が髪の毛をおさえた。長いスカートがはげしく揺れたが、めくれるということはなかった。
 風がやんだと思った瞬間。
「ばぁ!」
 女性のスカートがめくれあがった。思わず目がいく。そこには幼女の笑顔があった。
「ユウキちゃん!」
 あわててスカートをおさえながら、女性は一歩うしろにさがった。しゃがみ込んでいた幼女の姿があらわれた。
「えへへ。びっくりした?」
「もう、どこにいたの。ママ、心配したじゃない」
 女性の手をにぎり、前に後に振りながら、幼女は笑う。
「いたよ。ずっと」
「かくれてたの?」
「ちがうよ。いたよ」
 女性は首をちょっと傾げたが、それ以上追求するのをやめたらしい。
「どうも、お騒がせしました」
 こちらをむいて、女性がかるく頭をさげた。
「いえ……」
 笑顔をかえす。
 幼女が笑っている。
「おじちゃん。あたし、カザミだったよ」
「え?」
「くるくるまわって……ね」
 女性は訳がわからないといった顔で、こちらと幼女を交互に見ている。
 こちらだってわからない。
 ふ……と、気がついた。
「ユウキちゃん、風を、見たのかい?」
 幼女はうれしそうにうなずく。
「あたし、かぜだったよ」
「そう、か」
「うん!」
 元気よく答えると、幼女は信号機のほうに駆けていき、飛びつくようにボタンを押した。
 ほどなく信号が青にかわる。
 女性はもう一度かるく頭を下げ、幼女に手をひかれるようにして駅のほうに歩きだした。
 横断歩道の真ん中あたりで、幼女は一度ふりかえり、手を振った。手を振り返す。
「かぜがみえる、かぜがみえる」
 気のせいか、幼女の声が風に乗って聞こえてきたような気がした。
「かぜになれる、かぜになれる……」
 まぼろしかもしれないその声に後押しされて、その場でくるりと回ってみる。
 幼いころに、こうして遊んだかもしれない。
 もう一度回ってみる。
 地面と空がゆれている。
 もう一度。
 すべての感覚がゆれていた。ゆれる世界は不思議に見えた。
 たのしくなってきた。
 こんなにたやすく光景はかわってしまうのか。いや、目に入る光景は同じだが、身体の中にはいってくる感覚の道筋がちがうという感じだ。
 ゆれている感覚のせいで、道がちがってしまったのだろうか。
 もう一度回ってみる。
 あの幼女のように風は見えないかもしれない。風にはなれないかもしれない。
 でも……。
 もう一度回る。
 見ている人はどう思うだろう。おかしくなったと思うだろうか。
 べつにかまわないと思う。
 キラキラ光る風見もゆっくり回っている。まけずにもう一度。
 くるくるまわり、ゆらゆらゆれる世界の中を、今、たしかに駆けぬけていく風が見えた。
 



紫煙 星砂

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