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とおのものがたり



袖振


 季節はずれの観光地とは、こんなに静かなものなのだろうか。神秘を俗塵にまみれさせる不粋なアスファルトすら、タイヤではなく木の葉が転がることに安らぎを感じているように見える。
 近くに住んでいながら、この山に登るのは中学校以来だ。その頃の記憶も不確かで、あたりの様子は違っているようにも同じようにも思える。変わらないところに観光地は価値を見出すのだから、たぶんそれほど変わっていないのだろう。
 シャッターをおろした土産屋が立ち並ぶ風景というのは、めずらしいものだ。まるでゴーストタウンのようだ。そこに住んでいない人間にとって、季節をはずれた観光地など存在しないも等しい。
 強い日差しは人気の無さを強調する。
 流れる汗をTシャツの袖でぬぐい、石段に腰をおろす。
 一息ついて首をひねると、石段の上から門番の仁王像が闖入者を睨みおろしている。
「あんたの休息をさまたげようとは思ってないよ」
 仁王に向かって、足元のギターケースを示す。仁王像の眉が訝しげに寄ったような気がした。
「霊山には不釣り合いだよなぁ」
 つぶやいて、もっと不釣り合いな自動販売機で缶ジュースを買うために立ち上がった。
 
 ヤツから電話があったのは、昨夜のことだ。
「頼みがある。明日、ギターを持ってきてくれ」
 ヤツの電話はいつも用件から始まる。最初に「頼みがある」と言っただけマシな方だ。
 だいたい数年間、音信不通だった人間が友人に電話をかけてきて、最初に言う台詞がこれだ。ちっとも変わっていない。
「なんだ、いきなり……ギターなんて、何年も弾いてないぞ」
「ふーん。ま、下手なのは知ってる。気にするな」
 その言いぐさにカチンときたが、言い返す間もなく、ヤツは場所を早口で言うなり電話を切っていた。電話代を惜しんだのだろうか。こちらの返事も聞かずじまいだ。頭から承知するものと決めつけている。
 まったく昔のままだ。成長というものがないのか、あいつは。
 自分が変わらないから、相手も変わらないと思っているのだろう。冗談じゃない。この数年間、どんな思いを経てきたか、ヤツにわかってたまるものか。
 すっぽかしてやる。ヤツの都合で振り回されてたまるか。いつまでも昔と同じお人好しだと思うなよ。世間の荒波は、お人好しを変えるんだからな。
 切れた電話に向かって毒づく。そうしているうちに、ヤツの顔が脳裏に浮かんだ。
「……これが、最後だ。昔のよしみだからな」
 結局のところ、明日のために早めに床についた。
 
「なんだ。歩いてきたのか」
 久しぶりの再会に感じ入ったようすもなく、ヤツはそう言い放った。小さな広場にたった一つしかないベンチに寝転んでいる。真っ黒に日焼けした顔は、やはり昔のままだった。
「文明人だからな、途中までケーブルカーを使ったさ。お前こそ、自転車で登ってきたのか」
 ベンチの横にある、山のように荷物をつんだ自転車を見ながらたずねると、ヤツはうなずいた。
「登ってきたのは二日前だ。ここで野宿してたんだ」
「野宿? お前、ずっとそんな生活をしてるのか」
「まぁな。お前こそ、仕事は?」
 思わず渋い顔になった。そして肩をすくめる。
「ぼちぼちさ。今日は土曜で休みだ」
「そうか、土曜日か。最近、曜日の感覚がなくってな」
 こんな生活をしていれば、曜日の感覚もなくなるだろう。
 うらやましい気がする。と同時に蔑みたい気にもなる。
 結局のところ、こいつとは生きる道も方法も違うのだ。
 ヤツが起き上がって場所を空けたので、ベンチに腰をおろした。ギターケースは足元に置く。
 ちょうど木陰になっていい具合だ。風が汗を冷やす。
「さて、説明してもらおうか。どうして、こんなところに呼び出したんだ。しかもギターまで持ってこさせて」
 不機嫌な声で言ったつもりだが、もしかしたら再会の喜びが幾分まざっていたかもしれない。どうしても冷淡に徹しきれない。
 返ってきたヤツの口調はかわらず、こちらの思いなどこれっぽっちもわかっていないようだ。
「久しぶりに合奏しようと思ってな」
 どこから取り出したのか、オカリナをこちらに見せる。
 一瞬、返す言葉が見つからない。ヤツはこちらの反応を楽しむかのようにかるく笑っている。
「まさか……それだけのために、こんなところまで呼び出したのか?」
「当たり」
 いたずらっぽく片目をつむってみせるヤツの首に、腕をからませてしめる。
「お前ってヤツは!」
「チョーク、チョーク!」
 学生時分にもどった気がした。
 
 長い間ふれていなかったので、慎重にギターの弦を調律する。この弦を張り替えたのはいつのことだったろうか。すこし錆色に思える弦は、やはり幾分音が狂っている。錆びついた腕にはお似合いか。
「もう全然やってないのか?」
 ヤツはオカリナの音で調律を手伝う合間に、尋ねてきた。
「あぁ、いそがしくってな」
「じゃあ、今の仕事は音楽と関係なしか」
「そういうこと」
 つとめてヤツの顔を見ないようにする。
「ふーん。でも、仕事と関係なくったって音楽までやめなくってもいいだろ」
「CDはいっぱい持ってるぜ」
「そういう意味じゃないことはわかっているだろう」
 手をとめて、ヤツの顔を見た。めずらしく真面目な顔をしている。
「あぁ。わかってる」
「だったら」
「だから、言ってるだろう。いそがしいんだ。べつに意識してギターから遠ざかっていたわけじゃない」
 言い返しはじめたら、とまらなくなった。
「いいさ、お前は。好きなことやって……だけど、そうできない人間もいるんだ。食っていかなけりゃならない。将来の不安もある。ものになるかならないかわからない夢を食って生きていくなんて、よほどの馬鹿でなきゃできないさ。安定した収入、不安のない生活を求めてどこが悪い」
 ヤツはため息をついて、目をそらした。
「なるほど。俺は馬鹿か。たしかにな。でも、俺とお前はちがうんだから、夢の求め方が違ってもいいじゃないか。その安定した生活をつづけながら、夢も追いかけることはできるだろう」
「最初はそう思ったさ。でもな、現実は甘くない。慣れない仕事に四苦八苦しているうちは、時間なんてとれやしない。慣れてきたら、今度は仕事と責任が増える。……あまくないさ」
「それで、彼女ともわかれたというわけか」
 思わぬ方向に話題がうつったので、一瞬言葉につまった。
 たしかに彼女との喧嘩の原因は、そこにあった。彼女が好きだったのは、夢を食うバクだった。夢ではなく現実の食物を口にするようになった生物は、彼女の相手にはならない。それなら霞を食う仙人とでも結婚すればいい。
 喧嘩のあと、はっきりした別れの言葉もかわさず、彼女とは会わなくなった。いや、会わないようにした。引越し先も告げなかった。逃げたと言われればうなずくしかない。彼女のうしろには、いつも夢を見ていた過去の自分がいる。そいつに会うのがつらかった。
 だが、なぜこいつはそれを知っているのだ。彼女と別れたのは、こいつが音信不通になった後だったはずだ。旅の途中で彼女に会ったか、それとも昔の友人にでも話を聞いたのだろうか。
 長い沈黙をどう理解したのかわからないが、ヤツは大きく伸びをして、「ま、いいか」と言った。
 
 一曲終えると、ヤツは首をひねった。
「やっぱりダメかな」
 たしかに数年のブランクは指をなまらせていた。思うように動かない。
「だから、最近は弾いてないと言っただろう」
 ヤツのオカリナはよかった。楽な旅路ではないということが感じとれる、深い音色だった。だから言葉には嫉妬もまじっていただろう。
「いや、まぁ、何曲か弾けば、マシになるだろうけど、それでも天女は来ないかな」
「天女?」
「お前、近くに住んでいながら知らないのか」
 あきれたような顔でヤツは昔話をはじめた。
 この山のちょうどこの小さな広場のあたりで、その昔、貴人が琴を弾いているとその音色にひかれて、一人の天女が舞い下りたという。そして曲にあわせて舞い踊る天女の袖のようすから、この山を袖振り山というそうだ。
「初めて聞いたな。だいたい、『袖振る』というのは、別れのときに見送る女性が手を振ったときの袖のようすを言うんじゃなかったか。よく知らないけど」
 するとヤツは怒ったように眉をしかめた。
「知るか。そんなことは名づけ親に言ってくれ。だいたい、『別れ』の時にも袖は振るだろうが、『迎え』の時にも袖は振る。とにかくそういういわれのある場所なんだ。二日前からオカリナを吹いているけど、天女の『て』の字もあらわれやしない。それで笛だからまずいのかなと思って、琴と同じく弦を弾くギターを持ってきてもらったんだ」
「あきれたな。本気でそんなことを考えてるのか」
 ヤツは真剣な表情でうなずいた。
「お前のギターがまずいのは知ってるが、俺のオカリナといっしょなら天女も来る気になるかなと思って」
 夢見がちなヤツだとは思っていたが、まさかここまでとは。
「さぁ、次、いくぞ」
 オカリナをかまえるヤツにあわせるようにしてギターを抱く自分が、とても間抜けな気がしていた。でも、楽しい気分まで否定する気にはならなかった。
 
 夕焼けが空と山々を染めはじめた。
 さすがに疲れてきた。指が痛い。だが、ヤツの勢いにおされて、また曲を奏ではじめた。
 しかし、「アメージング・グレース」とは、日本の霊山にふさわしいとはいえない曲だ。ヤツの選曲だから、いいかげんなのも仕方がないか。
 しばらくやんでいた風が、やさしく吹きはじめた。山の匂いが鼻をくすぐる。
「天女の風か」
 ふざけ半分でつぶやいて、ギクリとした。
 目の前を何かが、宙を舞いながら通り過ぎていったのだ。
「まさか」
 弾きつづけながら、あたりを見る。
 白い羽の蝶が舞っていた。と見る間に、蝶の数が増えていく。黒に黄、茶に紫。色とりどりの蝶がこの広場に集まっていた。
「これが、天女か?」
 たしかに昔の人が天女に模しても不思議のない、優雅な舞いだ。
 ヤツの方を見ると、オカリナを吹きつづけながら片目をつぶって笑っているようだ。
 その時、曲に歌がくわわった。蝶が歌っているのか。
 奇跡を見る思いで、歌の聞こえてくる方に目をやる。
  蝶の舞い踊る向こうに人影が見えた。白いスカートが風に揺れている。
 ふいにオカリナを吹くのをやめたヤツが、冷やかすように言った。
「お前の天女があらわれたぜ」
 すべてがヤツの思い通りか。
 華やかな天女たちが舞い踊る風の中で、彼女が小さく袖を振っていた。
 



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