すこし話をしてもいいかね。
あぁ、驚かせてすまない。ここは普段、掃除用具や予備のカーテンが入っている物置みたいな場所なのだがね。お客の邪魔をしないようにしているには、ちょうどいい場所なのだよ。部屋の隅にあるし、暗がりだから、ほとんどの人が私に気づかない。世界に一つしかない絵画というわけではないが、やはり写真にいたずらされたり持って行かれたりするのは嫌なものだからね。私が影から見張っているというわけだ。ちょっと事情があって、ここから一人では出られないので、ここにすわったままで失礼するよ。
え? そんなに年寄りに見えるかね。うむ、君から見ればそうかもしれない。だが、足腰がまったく言うことをきかないというほどの歳には見えないだろう? あはは。
いや。私はこの写真を撮った作家ではないよ。彼とは古いつき合いだがね。彼もえらくなったものだ。こんな個展を開くようになったのだからね。今はちょうど客がとぎれて君一人しかいないが、見物の人はけっこう多いのだよ。
ところで君はどうして、この写真展に来たのかね。
え? なんとなくブラッとだって? 入場料を払ったのだろ? あぁ、友だちから券をもらったのか。なるほど。彼もかなり名が売れてきたと思っていたのだが、あんがい大したことはないのかな。
まぁいい。そういう何の先入観も持たない人間の目の方が、彼の写真の本質を見抜けるかもしれない。
さて。君の目にはその写真はどう見えるかな。うん。その湖越しに夕焼けに染まった山を写した、それだ。
きれい? そういうことを聞いているんじゃない。何が写っている? 何が見える?
よく見てごらん。湖にうつる影や山の陰影、雲……ほら、わからないか。
そう! そうだ。口ひげをたたえた男の横顔が見えるだろう。
波打つ雲の髪、山の陰影が細い目と低い鼻をかたちづくり、頬は夕焼け色の雪、湖にうつる影は唇だ。その唇はかすかな波ですこし気むずかしそうにゆがんでいる。
うむ。それが耳だ。やはり君は彼の写真の本質がわかる人のようだ。ほとんどの人は、なかなか形を見ることができないのだよ。
そうやって見てごらん。彼の写真には、かならず隠された像がある。
彼はね、いたずら好きな子どもだった。
ほら、記念写真を撮る時かならず友だちの頭の上で手のひらを開いてみたり、あるはずのないところから手が出ているようにして写ろうとするいたずら者がひとりやふたりいただろう。彼はそういう事が大好きだったんだ。
昔のことで、カメラは高価な品物でね。少年がたやすく手に入れることのできるものではなかった。だから、年に何度かある記念写真の撮影となったら大はしゃぎだったよ。「今回はどんな具合に写ってやろう?」ってね。彼は何日も前から、構想を練っていたよ。
その彼が初めて自分のカメラを手にしたのは、確か高校に入ったくらいのころだったな。
最初のうち、彼は当然のようにトリック写真に凝った。そう。空飛ぶ円盤の写真や幽霊の写った写真などを山のように作り出していたよ。そのうちのいくつかは「本物」として雑誌などに掲載された。そのときの彼の得意そうな顔といったらなかったね。
もともと凝りだしたらとことんまでやるタチでね。トリックの技術は玄人はだしだった。みんな、感心するよりもあきれたものだ。人をだますためだけに、よくもあれほどのエネルギーを注げるものだってね。
でも、彼がそれほど熱中した理由は、まだ彼自身も気づいていなかったが、実は人をだます快感を味わいたいからではなかった。
彼の自覚しない本当の彼の感覚は、人の見えないもの、見ていながらそれと気づかないものを撮りたがっていたのだよ。ただ、幼いうちは、彼もまた他の人と同様に見ていながらそれを見ていると気づくことができない。その代償として、空飛ぶ円盤や幽霊の写真を撮っていたのさ。「人には見えない、撮れないものを撮ったぞ」と言い聞かせて、自分の心をなだめていたわけだ。
だが、やがて彼自身が撮りたがっているものが何なのか、彼にもだんだんとわかってきた。そしてそれが見えるようになっていった。
彼はそれに気づいた時、とてもおどろいていたよ。風景のすべてに、彼の卓抜したトリック技術をもってしても作り出せない像が隠されているんだから。
大自然を、いや人間がつくりだした建造物や人間自身さえ飲み込んで、壮大な像が描かれているのだ。
彼はもう夢中だった。この世界には、人が見ていながら気づかないものがある。自分にはそれが見える。あまつさえ写真に撮れる。彼が撮りたかったのは、まさにこれだったのだ。
だが彼を有名にしたのは、そうした隠された像が評価されたわけではない。評論家には彼の写真が映し出している隠れた像など、見えなかった。見当はずれの『芸術性』とかが評価されたのさ。
彼はそうした評を目にするたびに、自分の写真の本当の意味が評価されない不満を感じ、また同時に「やはり人は見ていながら気づかないのだ、それを自分は撮った」という満足感をも感じていたようだった。
さっき君に見てもらった写真は、どちらかといえば彼が目覚めはじめたころのものだ。だから、君のように敏感な人にはそこに隠されている像を見てとることが比較的かんたんなんだ。皮肉なことに、この写真は評論家先生たちには不評だったよ。こんなに彼の姿勢をわかりやすく現しているいい写真なのに。
たとえば……ほら、あそこの壁の一番右端の写真を見てごらん。彼の最新作なのだがね。わからないだろう。彼の感覚が敏感になりすぎて、もう普通には隠されている像が見て取れなくなってきたんだ。
これはどこかで賞をもらってたな。パンフレットに書いてあると思うが。わかりにくいものが高い評価を受けるのは、彼の写真にも言えることらしい。
え? 威嚇しているような月の輪熊の姿? うむ。これは驚いた。君は彼と同じくらいに鋭いらしい。いや、私の話に耳をかたむけられるくらいなのだから当然かな。
そうだな。君になら話してもいいだろう。同意してくれないまでも、はなから聞き捨てたりはしないと思うから。実はこれは彼、つまりこれらの写真を撮った男もまだはっきりと気づいてはいないことなのだがね。
世界は一つではない。
おや、驚いたかね、急にこんな事を言いだしたから。しかし、これは本当のことだ。
彼の写真を見ていればわかるだろう。一見ただの景色に思えるもののなかに、別のものが隠れている。それは君たちがすべてだと思っている世界とは、別の世界なのだよ。
うむ。たしかに、その写真の雲は偶然人の顔に似た形になっただけのように見える。そして偶然その場にいた写真家がそれを写した。見ようと思えばそう見えるだけ……君がそう思うのももっともだ。君はこの世界だけしか知らないからね。
だが、もし君が世界だと思っているものが別の世界を作り出すためだけに存在するとしたら、どうするね。
君の右にある写真を見なさい。セイタカアワダチソウの黄色い花が一面に咲いている野原に、男が一人たっている。だが、よく見れば彼はもう一つの世界の像の一部にしか過ぎないんだよ。ほら、鳥の顔に組み込まれてしまっているじゃないか。彼は自分の存在が鳥の目の一部に過ぎないと知ったら、彼がその時間にその場所に立ったのも偶然ではなく、別の世界が彼にそうしむけていると知ったら、どう思うだろうね。
そう。あの雲は人の顔を作り出すために存在するとしたら? たとえば君は君の影が存在するための副産物だったとしたら。
だいたい二次元が三次元の付録みたいに思われ出したのはなぜだ? 三次元が主人公で二次元は脇役、一次元はその他大勢か?
……すまんね、ちょっと興奮してしまった。そんな顔をしないでくれ。私のことを頭のおかしな人間と思ったのだろう?
そうだな。結局、写真を証拠にしようとしたところに無理があるのだろう。
もうちょっと身近な例をあげよう。
たとえば、逆さに立てたモップに掃除人が作業用の帽子をちょこんと置く。モップの柄の部分は掃除用具入れの壁にかかった予備の暗い色のカーテンが垂れかかり隠れてしまっている。用具入れの部屋はせまく奥がふかい。部屋の扉は開いているが十分な光は奥まで届かないため、中の物の輪郭は暗がりにぼやけてしまう。すくなくとも君がいるくらいの位置からは、はっきり見えないとする。
暗がりは別々の世界をつなぐ、とても有効な触媒だ。モップと帽子は帽子をかぶった人の頭へ、垂れ下がったカーテンは洋服に、変化させる。
おや、どうしたね。後ろにさがってしまったね。遠慮はいらない。もっと近くに寄って見なさい。しっかり確かめたまえ。君と話をしている私が……。
おいおい、別れの挨拶もなしかね。そんなに走ると転ぶぞ! おーい、今度から自分が何の一部か、まわりをよく見て考えるんだな。
アハハハハハハ・・・
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