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五月下旬




ペーロン

ペーロン競漕


 死者は、天にのぼるか、地にもぐるか、はたまた、水に流れていくものらしい。
 火葬すれば、その煙は空高くのぼっていき、土葬すれば地に消え、水葬すれば流れていく。
 時が過ぎ、死者を送る追体験をしようとすれば、同じことをくりかえせばいい。
 とはいえ、一番多く繰り返されるのは、水に送ることだと思うのは、物をしらぬゆえか。

 雛を流し、灯籠を流す。
 水はなんでも飲み込んでくれるという思いは、河川のゴミをみれば間違いであると知れる。

 その昔、中国の楚という国に、屈原 (くつげん) という名宰相がいたそうな。
 しかし、讒言によって政界よりしりぞけられ、その後、どうしても受け入れられず、身投げして死んだ。彼を慕う民衆は、すぐに舟をだして探したが、ついにみつけることはできなかった。
 民衆は屈原の死を悼み、ちまきを作って川に投げ、龍舟 (白龍) で競漕してその霊をなぐさめたという。

 これがペーロンのおこりらしい。
 「白龍」の中国音であるパイロンがなまって、ペーロンになったといわれているそうだ。

 日本に伝わって、沖縄のハーリー船、長崎のペーロン船となる。
 相生でペーロン祭は、大正十一年に、播磨造船所の海上運動会としてはじまった。
 当時の社長も長崎出身であったし、従業員の多くも長崎県人が多かったから、故郷の祭をしのんで、ということらしい。

   子供の頃、ペーロン祭はもちろんあったが、たいして思い出はない。
 まだ、造船所 (石川島播磨重工業株式会社) の運動会といった色がつよいころで、父親は従業員ではなかったためである。
 友だちの父親には、船に乗っている人も多かったが、おさないころの友だちの父親ほど馴染みのうすいものはない。へたすると、顔も知らなかったりする。
 したがって、応援する気もなかったし、人垣をかきわけて見物する気もあまりなかった。
 めんどうくさかったし←このころから、ものぐさ者の芽はでていたようだ。

 楽しみといえば、たくさん出ている店をひやかして歩くことであった。
 しかし、テキ屋の口上、いわゆる啖呵売 (たんかばい) には、出会ったことがない。
 そのころすでに、絶滅していたようである。
 今回も、「いらっしゃい」「おいしいよ」ぐらいが時折聞こえたていどであった。

 それでも、幼いころは、ドキドキしながら店を見て回ったものである。だんだん年をとってくると、そのドキドキはどこかに行ってしまったようだ。
 背が伸びるにしたがって、さめていったような気がする。
 一度、膝を折って、幼い頃の視線で店を回れば、あのときめきがもどってくるかもしれない。

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 その他、ペーロン祭には陸でパレードが行われたりするが、いまひとつ興味がわかない。
 いっそのこと、競漕する船を飾り立てて神輿がわりにかついで練り歩き、港にうかべて「さぁ、競漕だ」というパフォーマンスでもしたら、盛り上がるのではないか。

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 社内運動会の枠を越えて、市あげての祭になったはいいが、応援合戦などもなく、華やかさに欠けるようである。
 どうせ、由来となった過去の故事や、信仰的な意味とのつながりなど、ここでは最初からないのだから、禁欲的に純粋な競技のみにこだわる必要などないと思うが。

 実は、ペーロン競漕よりも人気があるのは、前夜に行われる花火大会だろう。花火を見に来て、身内宅に一泊し、ついでだから次の日に祭を見ていくといった人が多いようだ。

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 今年は、雨が降ったので、花火はペーロン祭当日の夜となった。その翌日は月曜なので、遠方の客などは、ペーロンもほとんど見ないで帰っていったと、花火の見物客が話していた。

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 このあたりでは、一番早い時期に行われる花火大会である。
 早すぎて、花火にはあわない気温の年もあるが、今回はほどよく暑く、いい花火であった。
 久しぶりに夜店でアイスクリームを買って、空を見上げた。  

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