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五月上旬




フェルメール

大阪市立美術館


 人は自分にないものを求めるとか言うが、ならば美術館などにあまり行ったことのない者は、すでにその内に『美』をもっているのだろうか。
 洗面所の鏡に向かって問いかけてみる。
 答えは、否。断じて否である。

 人は自分のことを、実はよくわかっていないとも、よく言うことだ。
 おのれに欠けているものに、気づいていないこともあるだろう。
 美術品にふれることも無意味ではあるまい。
 先月は「浮世絵」をみた。今回はオランダ美術にひたることになる。

 ゴールデンウィークに、わざわざ人が多そうなところに出かけるなど、まったく趣味ではない。
 だが、大阪に出る用事があった。一度で二つの用事がすめば、それにこしたことはない。いかにも、ものぐさ者の考えそうなことである。
 好きな言葉は「一石二鳥」もっと好きなのは「棚からぼたもち」……やれやれ。

 そんなわけで、ついでに大阪市立美術館で開催されている「フェルメールとその時代展」に行くことにした。

美術館に到着


 前売り券は買ってあった。
 いつ行くかが問題であったが、まさか、よりによって一番人の多そうなときに出かけることになるとは思わなんだ。
 しかし、これもものぐさ者の性である。

 フェルメールという画家のことは、すこしだけ知っていた。もちろん美術書などで知ったのではない。  世界に誇る近代日本の文化「漫画」からの知識である。

 いざ美術館についてみると、想像通り、入場を待つ人の列ができていた。覚悟していたので、驚きはない。四十分待ちと書かれた最後尾プラカードをもつ係員のところにいく。
 
入場を待つ人の列


 待つのはそれほど苦にならない方である。
 言いかえれば、ボーッとしているのは得意である。
 並んでいるあいだ、聞こえてくる会話を聞いていると、二三人前に並んでいる中年の男女は、日本国中の美術館をまわっているようだ。何かの展覧会がやってくると、すぐにでかけるようである。
 不精者がいれば、マメな人もいる。
 この日、同じ列に並んでいるのは、なかなかおもしろい。

 遠くからカラオケで歌う声がきこえる。
 美術館のある天王寺公園のまわりには、カラオケ機材を設置したテントがたちならんでいた。青空カラオケとでもいうのか、そこでカラオケをうたっている。
 野外でカラオケを見かけるのは、花見のとき以外では初めてだったので、最初見たときは驚いた。何かの祭かと思った。いや、祭なのか。よくは知らない。

 ボーッとしているあいだに、入場する番になる。

 入場者が多いため、一度出た部屋にはもどれない。
 これがゴールデンウィークでなければ事情がちがったのだろうが、なにせ、この人数だ。頼まれても人ごみにさらかってもどろうとは思わない。

 展示室へ入るところで、音声ガイドの機械を有料で貸し出していたので借りてみる。こんなものがあるとは知らなんだ。
 首からぶらさげる、ばかでかいペンダントというより、テレビなどのリモコンだな。
 展示場内、絵の横の解説文などにふられている番号を、機械のボタンで押すと、イヤホンから解説ガイドが流れるというしくみだ。
 内容は、壁に貼られている解説文と大差ないが、絵を見ながら解説を聞けるので初心者にはありがたい。

   展示は都市の眺望からはじまり、教会内部を描いたもの、肖像画とつづく。
 教会内部図の展示室で、「マールテン・ハルペルスゾーン・トロンプの死の寓意」という絵に興味を引かれて、しばらく見ていた。
 作者はピーテル・ステーンウェイクという画家で、英雄トロンプ提督の死の寓意を描いたものらしい。
 台の上に書物や刀、ついさっき消えたロウソク、提督の死を悼む弔辞が書かれた冊子、髑髏などが描かれている。
 髑髏は、自分も一つもってためか、何だか、親しみがわく。
 美術館で購入したガイドブックを後で読んで知ったことだが、ここに描かれている刀は日本刀であるかもしれないとのこと。へ〜ぇ。

 髑髏とか消えた蝋燭が「死」を象徴するのは、たやすくわかるが、『絵の言葉』という本によると、実にいろいろの約束事が西洋絵画にはあったそうである。
 その約束事をあつめた辞書だってつくられていたそうだ。十七世紀には、その代表といわれる『イコノロギア』という本がでているらしい。
 ようするに、形に表せない抽象的な観念を、形に表すための約束事がきまっていたらしい。

 肖像画の次は、お待ちかねのフェルメールの部屋である。
 「天秤を持つ女」の持つ天秤が、節制とか均衡、正義をあらわすとか、後ろにかかっている最後の審判の図とのつながりからいろいろ解釈されるのは、そうした約束事があるからである。

 なんだか、「正義」は女性が片手に天秤、片手に剣をもつ形で表されるとか、哲学は階段の形で、などと言われても、面倒くさい。
 もともとものぐさ者であるから。

 実際の話、現代の西洋地域に住む人々が、そうした昔の約束事をどれだけわかるかというと、ほとんどわからないだろうとのことであるから、日本に住む者がわからなくても気にやまなくてもいいだろうな。

 ただ、「きれいだなぁ」「上手だなぁ」とぼんやり見ているよりは、「うむ。作者はこうしたことを伝えたいのか」などと見るほうが飽きないかもしれない。
 歌だって、聴いていて気持ちがいい、だけでなく、詩をよく聞いてみるとまた味わいが増すということもある。そんなものかな。

 フェルメールの部屋を過ぎると、風俗画、静物画とつづいて、外にでることになる。

 さて、自分に絵画を見る目がいかにないかを実感したのは、フェルメール作『青いターバンの少女』の前でだった。
 この作品は、今回の展覧会の宣伝でも使われているし、先に書いた漫画でもネタに使われていた有名な作品である。
 ターバンを巻いた愛らしい少女がこちらを振りむいている絵だ。
 三百年ほど前に描かれた油彩画である。とうぜん、絵に細かいヒビが入っている。
 少女の顔に一面のヒビ。
 想像したのは、厚化粧の少女の仮面がひび割れて、下からのぞいた三百歳を越えた老女の顔……。

 『宝石』とも称される絵画を前に、B級ホラー映画のような想像しか浮かばないとはな。

 


4月下旬・アカガシ 五月下旬・ペーロン


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