お葬式 |
知り合いの人が亡くなった。年齢は五十いくつだそうだから、まだ早いといえるだろう。前日まで、いつもどおり仕事をしていたらしい。突然の死である。 喪服は持っていない。だが、通夜に行ったのみだったので、喪服でなくてもあまり目立たなかった。 友人には、なぜか若くして病死したものが多い。 真夜中に電話で知らされた死があり、年賀状の返事が友人の死をしらせるものであったこともある。もちろん、昼間の電話で知らされたこともある。 思いおこせば、祖父、祖母の死があり、近所の人の死、同級生の親の死があった。 それでも喪服を持っていないのは、若いうちはうるさく言われず、紺色のブレザーでも代用できたため、いつの間にか機会を失ったためである。 それに、巷でよく言われることだが、「喪服をつくったとたん、葬式ができた」ということがあれば、あまりいい気はしないだろうという思いもあった。 実は、あまり信心深いほうではない。 かといって、数珠をもたずに通夜や葬式にでかけるとかはしないところが、小心者で、ほんとうは恐がりであることを露呈しているわけだな。 まぁ、生きているものが死ぬのは当たり前という気もあるので、葬式でグッと涙がこみ上げることはあまりないが、やっぱり霊とかは怖いのである。 昔、昔、そのむかし、古代においては、人は息絶えてからも、ある一定の期間は生と死の間、いわば仮死の状態にあると考えられたそうだ。 だから、その仮死の時に魂を呼び戻せば生き返ると信じられていた。 死の床から死者が起きあがる。今ならば、恐怖物の一場面であるが、古代では喜び祝ったのだろうな。 実際、医学の発達していない当時のこと、そうしたこともあったかもしれない。 今でも通夜としてそういう習俗はつづいている。 脳死による臓器移植がなかなか広まらないのは、そうした思想が呼び起こされるからのようにも思う。 今回は、通夜には行ったが、式にはでなかった。ぶっちゃけて言えば、それほど親しい間柄ではなかった。 いくらかの友人の葬式は逆で、通夜には行けず、式にだけでた。これは、所が離れていたためでもある。 どちらにもでなかったこともある。これは、かなり時間が経ってからその死を知ったためであった。 式は死者のためではなく、生者のためのものであるという思いがある。 こんなにたくさんの人が、ウチの息子、娘、あるいは夫の死を悲しんでくれている。 そう思えるのは生者だけだろう。 死んでしまえばそれまでである。そして、死はそれほど異なった世界の出来事ではない。 あんがいと人はたやすく死ぬものだ。 だからこそ、生命は大切にしなければならない。 昔は、式に参列すると『葬式饅頭』なるものをもらったような気がする。今はタオルなどの香典返しが一般的だ。 ところが、明治時代には「おともらいかせぎ」というものが存在したらしい。これは、会葬者のふりをして葬式に参加し、引きものの菓子や饅頭をもらってくるというものである。その「引きもの」を現金にかえて生活する。これで生活ができたという。もちろん、都市での話だ。 明治時代の都市でおこなわれた葬式は、なかなか派手だった。 大名行列そのものといってもいいほどの葬列が墓地までゾロゾロとつづく。花車や放鳥車……まるで、見せ物だが、その側面もあったらしい。 大名行列もどきという葬列だったが、実は本当に大名行列に参加していた者が、多数、明治時代になり、あたらしい職として葬列をかたちづくっていたそうだ。 大阪のある葬儀社は、江戸時代は大名行列などの行列の演出を請け負っていたが、明治維新で失業し、葬儀サービスに転業した。 こうしたことから、葬列を大名行列風にすることを思いついたらしい。それが、どういう風に普及したのかは不明だが、派手な葬列はいい見せ物だったろう。 だいたい、葬式というものは、ほっておけば派手になる傾向にあったようだ。 身内の最期を華々しく飾ってやりたいという思いと、周りの人たちに個人への思いがこんなにあるんだというデモンストレーションから、大げさになっていくのかもしれない。 江戸時代などは、格式などの枠がおのずとあったが、それでも度々、幕府はお触れを出して規制していた。明治時代になり、そのタガがなくなった。 それに、明治以前は葬式といえば夜に行われたもので、昼間の葬式は明治からであるという。 だが、この仰々しい葬列も都市の交通事情の変化などで消え去っていく。 時は流れ、大正時代となると、車の増加、市電などの発達などにより、のんびりした葬列は邪魔者扱いされるようになっていくのだ。 さて、葬列にかわって登場するのが、おなじみの霊柩車だ。 霊柩車というと、例の金ぴかの神輿を積んだようなものを想像してしまうが、他にも種類がある。 金ぴか神輿のものを「宮型霊柩車」 バスを改造して棺桶を積めるようにしたのが「バス型霊柩車」 乗用寝台自動車を転用したものを「寝台型」 大きくわけると、この三種類だそうだ。 考えてみれば、遺体をおさめた棺桶を運ぶ車が霊柩車なわけだから、どんな種類でもいいわけだ。 それでも、霊柩車と聞けば反射的に金ぴか神輿の宮型を思い浮かべてしまうのは、やはり派手で目立つからだろうか。 この『宮型霊柩車』は、大阪で初めて作られ、それから広まっていったようだが、当時の知識人などには、評判が悪かったらしい。 永井荷風などは、あんな車に乗せられるなんて我慢ならないから、普通の車で運べ。葬式など無用、と日記の中の遺言状に書いているそうだ。 まぁ、その気持ちはわからないでもない。 乗せられて運ばれる方は、嫌かも知れないが、死人に口なしである。 やはり、最期くらいは華々しくおくってやりたいという遺族の思いが、あの派手なデザインを生んだのだろうか。 派手な葬式は、霊柩車の見た目に集約されたのかもしれない。 どうせわからないとはいいながら、やっぱり運ばれるなら宮型霊柩車は遠慮したいな。 そう思っていたところ、住んでいるところには、寝台型霊柩車しかないそうだ。 このまま、ここが終の棲家となるかどうかはわからないが、とりあえず一安心である。 |