ぶんぶく茶釜 |
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はりわたされた一本の綱を奇妙なものが渡っていく。それは、茶釜に毛深い手足が生え、間の抜けた狸の頭がついている。押しかけた見物人が、わいわいと騒いでいる。 いわずとしれた『ぶんぶく茶釜』の一場面だな。この話を知らぬ人は、かなり少ないだろう。 絵本でもおなじみだし、少女漫画にだってその場面が描かれる。 今回、参考にしようと『日本むかしばなし』のビデオを借りようと、レンタルビデオ屋に行ったが、おどろくなかれ一巻も見あたらなかった。 実は、アニメーションは大好きである。 だから、『アンパンマン』もいい、『名探偵コナン』もあって当然だろう。『ポケットモンスター』もよろしいし『カードキャプターさくら』もよいが、『日本むかしばなし』のビデオくらい利益を度外視して、子供のために揃えていてもいいのではないかな。 ま、それはともかく、「ぶんぶく茶釜」であるが、「アカガシ」で書いたように、三濃山の求福教寺には「文福茶釜」があったという。その茶釜は、相生市立歴史民俗資料館に展示されているというので、見に行ったわけだ。 展示されていた茶釜は、真っ黒の煤だか錆だかわからないものが付着している。つり下げるための細い蔓が注ぎ口から反対側まで輪をかいてつけられている。座りのいいように、短い足が三つついていた。 ![]() 見ようによっては、絵本で描かれるタヌキに似ていなくもない。 添えられていた説明文にも、その形と湯が沸いたときの妙音から名付けられたとある。 「ぶんぶく」あるいは「ぶんぷく」というのは、湯の沸いた音「ぶくぶく」からきているそうだから、湯を沸かすものならなんでも「ぶんぶく」をつけてもおかしくない。 「ぶんぶく鍋」「ぶんぶくやかん」 やっぱりおかしいか。 もっとも最近は、やかんには湯が沸いたときに鳴る笛がついていて、「ピーッ」という風情のない音が響き渡るようになってしまったから、のんびりした「ぶんぶく」などとつけてもそぐわないかもしれぬ。 どうやら、求福教寺の「文福茶釜」は、あの有名な昔話の「ぶんぶく茶釜」とは、直接の関係なさそうである。その形と湯の沸いた音から、有名な昔話にちなんで、名付けられたのではなかろうか。 その有名な昔話だが、有名すぎて各地に言い伝えられているようだ。だが、一番有名なのは、やはり群馬県は館林の茂林寺のものであろう。 江戸後期の随筆「耳嚢 (袋) 」の巻之八に「文福茶釜本説の事」とあり、「昔は乞われれば見せたが、今はみだりに見せない」と書かれている。現在も簡単には見られないのだろうか。 ![]() 「耳袋」より模写。 またその形状を「差し渡し三尺 (約九十センチメートル) 、高さ二尺 (約六十センチメートル) 」と説明している。 同じく江戸後期の随筆「甲子夜話」の巻之三十五の三十に、分福茶釜の事が載っている。 これによると、茂林寺開山の禅師にしたがってやってきた守鶴という老僧がいて、なんと茂林寺十世の岑月 (しんげつ) 禅師まで随従したという。その守鶴がもっていたのが「分福茶釜」で、いくらくんでも湯が尽きなかったという。 守鶴がいうには、この茶釜には八つの功徳がある。 福を分け与える。 (だから、分福茶釜という) 一度、この茶釜の茶を飲むと、一生渇きの病気をしない。 文武の徳が備わる。 物にたいしておそれることがなくなる。 知恵が増す。 みんなに敬愛されるようになる。 運がひらけて出世する。 長生きができる。 一度、飲んでみたいものだ。 相生の「文福茶釜」は差し渡し二十センチメートル (目測) ほどで、茂林寺のものに比べるとかなり小ぶりだが、数年前、この茶釜を見たどこかの大学の教授だかが「まだ使えそうだな」と言ったそうだから、茶を飲むのも不可能ではない。 「分福」ではなく「文福」だからダメかな。まぁ、どちらも同じだろうが。 茂林寺の茶釜にしても「耳嚢」では「文福茶釜」、「甲子夜話」では「分福茶釜」となっている。 文字の問題はともかく、名前が同じだけでは、八つの功徳は望めぬかも知れぬなぁ。 さて「甲子夜話」はさらにいう。 ある時、眠っている守鶴の手足に毛が生え、尻尾まではえた。それが、噂となり、それに気づいた守鶴は告白する。 自分は数千歳の貉 (むじな) である。インドでお釈迦様の説法を聞き、中国に渡り、そして日本にやってきた。開山禅師の徳にうたれ、この寺に住まってきたが、どうやらお別れのときである。 そして、その場の人々に、源平合戦や、お釈迦様の説法の様子を見せるという不思議をやってのけて後、貉にもどって飛び去ったという。 弟子や信者は、嘆き慕ったという。 茶釜に関しては、茶釜そのものの他に、守鶴が伝えたという茶釜の茶を練り丸めて作った妙薬があるという。 現在もあるかどうかは知らないが。 こうしてみると、タヌキ (むじな) と茶釜は別の存在である。 だが、「日本の民話 8」によると、なつかしい茶釜の綱渡りがでてくる。 そうして稼いだお金で、寺をりっぱにしたという。 この本にも茶釜の大きさが書かれている。 周囲四尺 (約百二十センチメートル) 、重さ三貫目 (約十一キログラム) 、容積一斗二升 (約二十一リットル) やはり、相生のものはかなり小さい。 相生の求福教寺の茶釜は家庭用、茂林寺のものは業務用という感じだな。 「ぶんぶく茶釜」に代表されるように、タヌキはたいてい、ちょっと間が抜けていて、愛嬌があるというイメージがあるが、それは近世も後期になってからだそうだ。 「日本人の動物観」という本によると、近世前・中期の随筆や見聞録などでは、タヌキは無害でも魯鈍でもないらしい。化けかたも上手で、人に対する敵意をかくそうとしない。 それが近世後期には、化け方が下手になり、間抜けな愛嬌のある存在となる。また、僧に化けるようになるのも、この頃からという。 これは、対照とされるキツネの存在が関与しているらしい。 キツネは古くから中国からの影響で、妖獣という観念があった。 キツネは人に憑く。 しかし、タヌキが人に憑くことはない。 そして、比較される中で、キツネの妖しさの対極として、タヌキはのんびり愛嬌ものとされたのだという。 また、キツネと言えば九尾の狐の玉藻が有名だが、彼女 (?) もまた、インド、中国を経て日本に来ている。本でも指摘されているが、その行状、末路は、タヌキの化身である守鶴とは対照的である。 玉藻がいてこそ、守鶴がうまれたのかもしれぬ。 古くはタヌキは女性にも化けたが、近世後期になると主として男性に化けるようになるそうだ。 これもキツネが女性的ということから、タヌキは男性をわりあてられたようである。 また、女性的なキツネが女性的陰性を担い、化け上手ということから、タヌキは男性的陽性、化け下手となったらしい。 これなどは、女性からすればとんでもないことだが、『当時の話の作り手、語り手が男性であることが多かったらしいことからすると、男性の側に立った女性・男性観があらわれているといえる』と、本の著者は言う。 いつの世も、男性は女性の中に妖しさを感じるものらしい。 そういえば、三濃山を下山してからの帰り道、自動車道の側溝にタヌキの礫死体を見た。 茶釜に化けたようなタヌキは、相生にはいなかったようだが、現在もタヌキが多いのは確かなようである。 |