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七月




茅の輪

播磨国総社


 何かをくぐりぬけると、世界が変わるという感覚は、たぶん、多くの人と共有できるのではないかな。
 ま、わからない人もいるだろうが、別にかまわない。たいしたことではない。

 トンネルを抜けたら雪国だったり、鳥居をくぐったら神域だったり、クローゼットの中を通り抜けるとナルニア国だったり。
 突然、世界が変わるというのはわかりずらいが、境界線として何かがあると、それをくぐる前と抜けた後という分かれ目がはっきりしているのでわかりやすい。

 昔は、子どもから大人になるための儀式というものがあり、たとえばそれは山の頂上へいくとか、何かを自分一人の力でやるとか、祭のある役割を担うとか、そういったことを通り抜けると、それを境として大人になる。大人扱いされるようになるわけだ。
 そういったものが、今ではないため、大人の自覚のない大人ができ、大人のゆがみは子どもに反映され、混沌としたものがうまれている気がする。
 新しい考えができあがれば、少しは落ち着いていくのだろうが、見通しの利かない『近眼』の自分には五里霧中といったところか。

 今回、姫路にある播磨国総社の祭で『茅(ち)の輪』があるという新聞記事を見て、出かける。
 『茅の輪』というのは、草で編んだ直径二メートルほどの輪である。本で見たことはあるが、実際には見たことがなかった。

茅の輪


 この『茅の輪』を見て、ろくに考えもせず「ワラ( 藁 )の輪か」と思っていたが、調べてみると、チガヤでつくるとある。ワラではなかった。
 ちゃんと『茅(かや、ちがや)』と名乗っているのに、気づきもしなかった。

 チガヤというのは、ススキと同じイネ科の植物で、ススキよりも背が低い。穂の形は、ススキが馬の尻尾だとすると、チガヤの穂は猫の尻尾である。綿のような短い毛が生えているのだ。
 チガヤは背が低いため、背の高いススキやセイタカアワダチソウとの光の奪い合いには負けてしまう。そのため、競争相手の少ない、ちょっと乾燥気味の砂質土壌などによく生えているらしい。
 日本では、こういう風にちょっと弱気のチガヤだが、熱帯や亜熱帯の地域にはよく適応した植物だそうで、そこでは『世界最強の雑草』とさえ言われているらしい。

 チガヤの若い花序は甘みがあり、かつては子どものおやつにもなったそうだが、食したことはない。食べてみたい気もする。

 さて、『茅の輪』は六月と十二月の年二回神社で行われる「大祓(おおはらい)」の行事の一つである。
「今は、七月だよ?」と思う方もいるかもしれないが、陰暦では六月であるから間違いではない。

 大祓は、その年の前半年と後半年に、知らず知らず犯した罪穢れを祓い清める式である。
 古代から行われていた行事だそうで、大内裏の朱雀門前で百官を集めてこの式を行っていたそうだ。儀式を司っていたのは、中臣氏だそうである。
 そののち、全国の神社で行われるようになった。
 知人によると近くの神社でもこの祭はやっているらしい。見たことがないのは、無知のためであった。

日中はお休み?


 播磨国総社に行ってみると、日中は露天は休みらしく、閑散としていた。
 目的の『茅の輪』の横には、輪のくぐりかたを書いた看板がある。

くぐり方


 信仰心はないが、けっこうこういう儀式めいたことは好きなので、真っ正直に書かれた通りに輪をくぐる。
 これで厄がおちたとも思わないが、けっこう満足した。

 『茅の輪』はもともと、女性の性器を形どったものといわれている。古代、女性の性器は神聖な霊力が備わっていると信じられていた。
 生命が生まれるところを形どったものをくぐり抜けることにより、新しく生まれ変わる意味をもたせたことは理解できる。
 しかし、三度もくぐらなくても……思わず、三こすり半を連想し…この罰当たり!!

 それにしても、日差しが強く暑い日だったので、主役のはずの総社にはちょっと寄っただけで、早々に立ち去る。
 くぐり抜けて出るなら、雪国とはいかないまでも、冷房のきいた店の中の方がいいという者に、御利益など望むべくもない。  

 


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