アカガシ ![]() |
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単細胞のものぐさ者には、『いきおい』が必要である。日によって、みょうに気分が高揚しているときがある。その機をのがさず、後先かんがえずに走りだすのである。 もちろん、人には時として、たちどまり考えることも必要であろう。 しかし、ものぐさ者がたちどまれば座りたくなり、座れば横になりたくなり、横になれば眠たくなる。そして目覚めれば、日は暮れている。 あぁ、今日も一日、無為にすごしてしまったと、くやみながらまた寝る無精者である。 「やろう」と宣言してしまえば、それは自分できめたことなのに、いつのまにやら一つの勢力として存在しはじめる。 やらなくても、なんの不都合もない。しかし、なにやら罪悪感にもにた不安な気分になる。 無精者であるが、小心者でもある。 たぶん、「さんぽに行こう」などといいださなければ、参加はしなかったであろう。 それは四月二十三日の日曜日のことである。 《三濃山のアカガシにあおう会》というものが催された。 ![]() 相生市の北部、新宮町との境に『三濃山』がある。 標高五○八・六メートル。 昔は、山頂近くに村があったが、昭和四十年代になくなった。 羅漢の里研修センターというところから、ゆっくり歩いて、二時間ほどのさんぽだ。 じつは、歩くのは苦にならないほうである。 『熊野古道』を歩き、『東海道五十三次』を歩いたこともある。さすがに、東海道を歩いたときは、歩きあきたが。 ただ、いつもは独りで歩く。 今回のように、身内の者や見知らぬ人々といっしょに歩くのは、とてもひさしぶりであった。 山頂に、大きな木がはえている。人のつけた名は、アカガシという。木自身や、まわりの草木がどういう名で呼びあっているかは、しらない。 気づいたときには、木の命は尽きようとしていた。 巨木を惜しむ心が、樹木医をよんだ。 治療が実をむすび、枝はふたたび芽吹いた。 そんなところだ。 つまり、今回の会は、木の快気祝いのようなもので、病み上がりの木の前で歌ったり、食ったり飲んだりしようというものだ。 病院で手術後の患者の前でおなじことをしようものなら、つまみだされるところである。 相手の意志もたしかめずに、延命治療をほどこすことが問題になるのは、人の場合だけである。 まぁ、がんばって芽をだしたところをみると、アカガシも、もう一がんばりしてみるか、とおもっているのかもしれない。 これすらも、人のかってな憶測にすぎないが。 ボランティアで治療にあたっている三人の樹木医の講演があった。 一人の樹木医が 「私たちは『樹医』ではありません。『樹木医』です。このちがいは、中に『木』がはいるかどうかで、『樹木医』は『木』がはいってます。このほうが『気』がはいるのです」 と言った。 気の毒に、うけなかった。 一人の樹木医が 「木が枯れるのには原因があります。その原因は、数年前、または十数年前、あるいは数十年前の出来事であるのです」 と言った。 症状がでるまでの潜伏期間がながい。気がついたときは、手おくれである。 「命の尽きようとしている木を元通りにすることは、できません。ですが、命の火をもうしばらくの間、もたせることはできます」 治療は不可能と言われて、びっくりした。ただ、悪化の進行をよわめ、命を長引かせることだけが可能だと。 「森で枯れていく木に、樹木医は必要ありません。それは、天寿をまっとうしたのです。ただ、人間がその木になんらかの思いをたくすとき、樹木医が必要になるのです。人間と木の交流があってこそ、樹木医の活動する意味があるのです」 なるほど。 ならば、「元気になった」「芽が出た」と、ワイワイやってくることは、悪いことではない。考えてみれば、ここは病院ではない。 空は天気予報をけとばすような青。 ![]() かつては、火防 (ひぶせ) の木として、屋敷まわりに植えられ、木刀ともなる強き木も、包帯にぐるぐる巻かれて、痛々しいというより、なにか窮屈そうに見える。 ![]() 一人の樹木医が 「このように、山の頂上に、アカガシの巨木が一本だけはえているというのは、めずらしい。ふつうは、枯れてしまう」 と言った。 以前は、木のまわりに石がたくさん積まれていたとか。なんの意味があったのかは、わからない。 もしかすれば、三十年ほどまえに、村が消えたとき、見守るべき者をなくし、アカガシはがっくりしたのだろうか。 数十年、木を蝕んだ傷が、その身を枯らしていたのかもしれない。 「死に至る病は絶望である」といったのは、キルケゴールだったか。彼のバックボーンにはキリスト教があったが、このアカガシも宗教とは無関係ではない。 ( もっとも、キルケゴールの『死にいたる病』という書物は、むずかしくて、読んでいると眠たくなる。書かれている内容を、かみ砕いて教えてくれる方を募集 ! ) アカガシのあるのは山頂だが、この山は『経納山』とよばれていた。三濃山ではあるが、この山は、頭にできたタンコブのような形にもおもえる。 タンコブの相生側の麓には、求福教寺という寺があった。今はちいさなお堂が再建されているのみではあるが、昔はかなりの規模の寺であったらしい。 ![]() この寺には、『分福茶釜』が伝えのこされているそうである。 あの昔話にでてくる茶釜だろうか ? それにしては、その昔話がこの地にのこっていると聞いたおぼえはない。 寺は荒れ、村は消え、木は絶望を病む。 うむ。これも、あまりに木を擬人化しすぎておるな。 ただたんに、積まれていた石がなんらかの理由で取りのぞかれた、その環境の変化が木にわるく作用したのかもしれぬ。また、ほかの理由かもしれぬ。 なんにしろ、芽をだして、期待にこたえてくれているのだから、その姿をよろこんで見る人間がいなくてはならぬ。 木を惜しむ人がいてこそ、樹木医も手弁当で治療をつづけてくれているのだ。 羅漢の里研修センターから、三濃山までの道は、わりと歩きやすく、手頃なハイキングコースと言えよう。 天気のよい日などは、親子でのぼってみるのもよい。 舗装されていない道など、最近では歩きたくてもなかなか歩けない。よい体験にもなる。 訪れる者が途切れるとき、木も存在をやめるのかもしれぬ。 木の命尽きるときがきたとしても、願わくば、それをおくる者がそばにあることを。 |