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| 巻の17 | ウルトラハンド (任天堂) | 2001/ 2/ 3 |
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京都を代表する世界的三大企業といえば
「京セラ」「ワコール」「任天堂」というのが定説なのだそうで。 こういう表現をされると、あらためて任天堂の市場規模の大きさを思い知らされますね。 元々任天堂といえば花札から始まったのはご存知の方も多いでしょう。 そんな会社がどうして今のような会社になっていったのか。 それには、ある一人の創造性あふれる人物の存在があったのです。 残念ながら今は故人となってしまったその方の名前は、横井軍平さんといいます。 |
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| 横井軍平さんが任天堂に入社されたのは1965年(昭和40年)のことでした。
同志社大学の電子工学科を卒業したものの、大手電気メーカーの入社試験に次々とハネられ、地元を離れる気がない事もあって任天堂しか入れる会社がなかったのだそうです。 もちろん当時の任天堂は主力商品が花札トランプ系であり、電子工学の知識を活かした仕事なぞありません。横井さんは設備の保守点検の仕事に配属される事となったのでした。 ところがこの仕事がヒマだったらしく、会社に転がっていた旋盤類でマジックハンドとかを作って遊んでいた、つまりサボッていたのです。 これを見た山内社長が横井さんを呼び出しました。てっきり叱られると思った横井さんに山内社長が言った言葉は 『 ゲームとして商品化せよ! 』
というものでした。 予想外の命令にとまどいつつも試行錯誤を経て、そのマジックハンドは任天堂の新製品として大ヒットを飛ばしました。 この大ヒットにより、任天堂は社内に開発課を新設。 横井さんは設備保守の仕事から離れて、この新たな部署に配属されたのです。 そしてこの開発課こそが、任天堂を花札トランプメーカーから電子玩具の会社に移行するきっかけとなり、後に光線銃SP等を経てゲームウォッチや、そしてファミリーコンピューターを生み出し「世界の任天堂」に躍進する礎となったのでありました。 |
その頃の私はお金のないガキンチョでした。いや、お金のないのは今も同じですが(笑)。 当時これを買った友達が近所にいまして遊ばせてもらったのですが、さわればさわるほど欲しくてたまらなくなります。 頼んでも買ってもらえない(と思ってねだる事もしませんでしたが)だろうと、「小学○年生」のフロクみたいに見よう見まねでボール紙を切って画鋲で可動部を止めて「らしい物」を作ってみました。 でも出来たモドキハンドは当然ヘナヘナのペラペラで特徴のクランプ機構も再現できるはずもなく、「やっぱり本物のほうがいいよなぁ…」とガックリした思い出もあります。 そんな任天堂のターニングポイント商品であり、かつ個人的にも思い出深いオモチャ。 数年前、あるオモチャ屋で倉庫のデッドストックと思われる形で新品同様の物が定価で手に入った時は心の底から小躍りしたものです。 当Webページ『遊想雑貨』開設一周年記念にふさわしい、一見地味にして存在感のひときわ大きなアイテム。 今回はその商品「ウルトラハンド」を紹介しましょう。 |
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見ての通り、元々の原型はパンタグラフ型のマジックハンドです。 これにターゲットになるピンポン玉とその台が3組入って、昭和41年発売当時のお値段600円。 前述したように「ゲームとして」開発せよという言葉は、このピンポン玉とその台を使って「掴んで取ってくる“ゲーム”要素」にちゃんと反映されております。 さて、実物に触れたことがない人はパッと写真見て「こんなの、伸ばしたら掴めるだろうけど、戻しだしたらすぐ放してしまうやないか!?」と思うでしょうね。当然の疑問です。 そこで一度掴んだら戻したダケでは開かないワンウェイクランプ機構が工夫されていて、手元で自在に開くことが出来るのです。 これこそが、ウルトラハンドが単なるマジックハンドではなく「ゲームとして」工夫されている大きなポイントなのです。 |
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左の写真を見てください。 アームの付根部に半円部のワンウェイクランプがあり、そこから赤いヒモが手元まで伸びています。 このクランプ機構により、縮めた時に閉じたアームは戻しても閉じた状態を保持しているのです。 そして開くときには手もとの赤いヒモをつまんで開くとクランプのクラッチが外れてアームが開くという作りになっているのです。 慣れてくれば、掴んで放してという動作が簡単に思い通りにできるようになります。 横井さんは、遠くに置いたタバコを持ってきて口にくわえて、さらに遠くのマッチを掴んで擦って火をつけるという芸当まで出来たそうです。 ここまでくると、もぅほとんど名人芸の世界ですけどね(笑)。 実際、単純だからこそあんまり考えず簡単に遊べる、この気軽さ(というか気楽さというか)はなかなか捨てがたいものを感じます。 |
簡単な作りだから、パチモンも多く世に出ました。 難儀な事に、本物より良く出来た物すらありました。単純に掴んで放すというだけのオモチャならもっとしっかりした物だってあります。 ただやっぱり、伸びて縮んで掴んで放すというこの機構そのものは立派に個性を放っているように思います。 そもそも、いつの時代もオモチャという物、よそにパクられてこそヒット商品の証じゃないですかぁ(笑)。 |
| こうして、横井軍平さんのこの商品の大ヒットをきっかけに、任天堂は徐々にですが大きく変化しはじめました。
これ以降もラブテスターとか、ゲームウォッチ(ここで重要な発明が十字キー(!))、ゲームボーイ等の他にゲームソフトも多数世に出し、任天堂に大きな足跡を残したあと、惜しまれつつも退社し新たな道を歩み出しました。 そしてコトという会社を設立し、新たな開発者人生のスタートをきり出したその矢先、1997年10月に不慮の交通事故に遭い亡くなられたのです。 バンダイから発売された携帯ゲーム機ワンダースワンとその第一弾ソフト『GUNPEY(グンペイ)』がコト時代に手がけた横井さんの最後の作品と言われております。 今でもこうやって横井さんの作ったオモチャをさわって遊んでいると、つくづく本当に惜しい方を亡くしたなぁと思うと同時に、横井さんの作ったオモチャで遊べる子供たちはホンマに幸せ者やでぇ!と心から感謝したい気持ちで一杯になったりするのです。 《参考文献:アスペクト刊 『横井軍平ゲーム館』 牧野武文氏編著》 |
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