「ビスマルク」を撃沈せよ:「ビスマルク」最後の戦闘(1941年5月27日、0847時-1040時)


最後の決戦への序曲:

 「ビスマルク」が心ならずも北西に進みつつある大西洋の該当水域の夜明けは、0722時に訪れた。夜明けから約25分後の0747時(*1)、重巡洋艦「ノーフォーク」がのろのろと北西へと進みつつある「ビスマルク」の右舷側15nmの地点に現れた。5月23日の夜半に大西洋戦区の英艦隊全艦艇に「ビスマルク」発見の第一報を送ったこの重巡洋艦は(*2)、5月25日の夜半に一旦「ビスマルク」を失探した後も後を追って走り続け、この最終局面に再度顔を出したのであった。
 因みに「ノーフォーク」は当初「ビスマルク」を「ロドネイ」と誤認しており、主力艦隊と合同するつもりで接近していったが、その後「ビスマルク」と確認したため、0750時には針路を変えて同艦より離れていった。

 この時点で「ビスマルク」の位置は、トーヴィー長官率いる戦艦及び駆逐艦各2隻からなる英本国艦隊の主力艦隊からみて方位約120-130度、距離20nm+の地点にあり、英艦隊は「ビスマルク」の予想針路に基づいて、同艦を迎撃すべく針路80度、速度19ktsで進みつつあった。0808時、旗艦「キングジョージ五世」のほぼ正面に重巡「ノーフォーク」が現れたが、この時同艦は旗艦に向けて以下のような信号を送っている ー


「敵方位一三〇度、距離一六nm。御用意乞ウ」


 この信号を見たトーヴィー長官は艦隊針路が北側に寄りすぎていることを知り、艦隊の針路を一旦南(約175度)へと向けたのち、その後110度に定針して「ビスマルク」へと接近していった。
 英本国艦隊の主力艦隊が「ビスマルク」を発見したのは0842時の事であり、最初に発見したのは「キング・ジョージ五世」の航海艦橋から艦の東側水平線を双眼鏡で監視していた航海士であった。位置は艦首からの包囲右7度(117.5度方向)、距離は15nm(*3)であった。その直後、「キング・ジョージ五世」の司令官用艦橋に居たゲルンジー少佐も両艦の間に降り注ぐ雨の帳に艦影を滲ませた「山のように居丈高で幅広な艦の幽霊が、真っ直ぐこちらへと向かって来る」のを発見していた。
 0843時には「ロドネイ」からも「ビスマルク」が視認されている。この直後に艦内に「敵発見!」の報が拡声器で伝えられるや、艦内の戦闘配置に着いていた全ての乗組員が期せずしてどよめきの声を上げた。
 一方「ビスマルク」は同艦が英艦隊に発見される前に英艦隊を発見しており、この頃には最後の決戦に備えて全ての人員が戦闘配置を終わっている状況にあった。そして前部射撃指揮所に詰める砲術長シュナイダー中佐からは、主砲の砲撃を「ロドネイ」に指向することも各砲塔に伝達済みとなっていた。


左舷に主砲塔を指向する「ビスマルク」の図。最終決戦直前もこんな感じで洋上を進んでいたのでしょうねぇ。


 英艦隊と「ビスマルク」はその後数分の間、正対してじりじりと距離を詰めていった。0847時、遂に「ロドネイ」が一・二番主砲塔を以て「ビスマルク」への砲撃を開始した。この光景を見た随伴の駆逐艦「ターター」乗組のある士官は士官室へと飛び込み、夜間配備明けで眠っている連中に向かってこう叫んだ ー

「敵を見つけたぞぉっ!始まったぁ」


第一幕(0848-0858時):英独戦艦、決戦を開始する

 この時「キング・ジョージ五世」と「ビスマルク」の位置はほぼ正対している状態に有り、このため「ビスマルク」は見掛け上小さな目標物でしか無く、また「キング・ジョージ五世」と「ビスマルク」の中間位置に雨が降っていたため視界不良であったため、測距儀では「ビスマルク」の正確な距離を測ることが困難な状況にあった。しかし英艦隊にとっては幸いな事に、「キング・ジョージ五世」には最新型の284型水上索敵レーダーが装備されており、本レーダーが砲撃開始前に25,100ydsの距離で「ビスマルク」を探知する事に成功していた。この後両艦の接近速度を勘案して距離測程を行ない、両者の距離が24,600ydsになった0848時、「キング・ジョージ五世」の前部主砲塔が「ビスマルク」に対して砲火を開く事になった。一方同じ時刻に「ビスマルク」も「ロドネイ」に向かって前部砲塔の四門による斉射を開始している。
 この時「ロドネイ」の砲術は見事であり、0848時に発射した第二斉射が見事に「ビスマルク」を夾叉している(*4)。一方「キング・ジョージ五世」は悪天候に加えて自艦の排煙が艦橋にまとわり付き(*5)、また「ビスマルク」が発砲時の砲煙に包まれた結果視界を遮られて光学測距儀で弾着観測が出来ない状況に陥ることになった。その一方で284型レーダーが「ビスマルク」周辺に上がる水柱を捉えており、それを見る限り全て近弾になっている様に見受けられたので「上げ」が命令されたが、不幸なことに284型が捉えていた水柱は「ロドネイ」の斉射も含めてのものであったため、以後暫くの間「キング・ジョージ五世」の斉射は全て遠弾となってしまっている(*6)。


全主砲を前部に集めた独特な艦様から「海の狙撃兵」と称されることがある「ネルソン」級戦艦の図。「ロドネイ」は同型艦である。


 0852時、「ビスマルク」は右に針路を変え、ほぼ真北に向けて針路をとった。これを見た「キング・ジョージ五世」のパターソン艦長は右20度転舵を下令、「ビスマルク」にほぼ直進する針路を取ったが、「ロドネイ」は三番主砲塔の射界を開くためほぼ真東(090度)に進むべく回頭中であったため、この両艦の距離は段々と離れることになった。
 0853時、相前後して「キング・ジョージ五世」の後部主砲塔と「ロドネイ」の第三主砲塔の射界が開け、これらの砲塔も砲撃戦へと加わった。またほぼ同時刻に「ビスマルク」の後部砲塔も射界が開け、主砲全門を以て「ロドネイ」への斉射を開始している。この時本国艦隊司令部の参謀であるゲルンジー少佐も「キング・ジョージ五世」の艦橋にあったが、その彼の目にも「ビスマルク」から「ロドネイ」に向けて「フットボールのように見える砲弾が、弧を描きながら高い空を目指して上へ上へと上昇していく様」が見えていた。
 一方「キング・ジョージ五世」は284型レーダーの操作員がその操作に慣熟していなかった事もあって正確な距離を掴むのに苦労していた。0853時になるまで距離25,000ydsであるという報告が続いていたが、この時刻になって漸く距離が20,500ydsとなった事が報告された。この新たな報告に従って砲の仰角が下げられ、「ビスマルク」の両舷200ydsの位置を目標にして二度の斉射が「ビスマルク」に対して行われた。この斉射の一度目のものは「ビスマルク」を夾叉しており、命中弾も観測されている。この砲弾は「ビスマルク」の左舷側の前部上部構造物基部を貫徹の後、上甲板部で炸裂しており、「キング・ジョージ五世」からは閃光とともに火災が起きたのが観測されている。「キング・ジョージ五世」の射撃がかなりの悪条件下で行われた事を考えれば、射撃開始後5分で命中弾を出したのは見事な腕前であったと言えるだろう。
 また同時刻には、「ビスマルク」の右舷前方に居た重巡「ノーフォーク」も距離約22,000ydsで砲戦に加わっている(*7)。

 対して「ビスマルク」の砲撃もこの時期は正確であり、0859時までに放った十一斉射のうち、三斉射が「ロドネイ」を夾叉している。実際その正確さは「ロドネイ」の報告書に「敵砲撃着実を極め、「キング・ジョージ五世」の艦首に正横を見せつつ交差」と書かれるほどであったが、英艦隊にとっては幸いな事に「ロドネイ」に命中弾が出ることはなかった。


この戦闘時における英艦隊及び「ビスマルク」の航跡図(英海軍省)。例によってクリックすると巨大な図が見る事が出来ます。


第二幕(0859時-0920時):「ビスマルク」、致命的損傷を負う

 0859時、トーヴィー長官は指揮下の二戦艦に「ビスマルク」と並行する針路をとるように命令しており、これによって「キング・ジョージ五世」は針路を175度、「ロドネー」は針路182度を取るべく回頭を開始した。この際の「キング・ジョージ五世」と「ビスマルク」の距離は約16,000ydsであり、同艦は英海軍が戦前に想定していた戦艦の主要交戦距離圏へと突入していた。それが影響したのかどうかは分からないが、この直後から「ビスマルク」には致命的な命中弾が相次いで生じ、短時間のうちにほぼ戦闘能力を失うことになるのである。

 0859時、「ロドネイ」の16in砲弾が「ビスマルク」の前部一・ニ番砲塔至近の中間位置に命中し、上甲板で炸裂した。この砲弾自体は艦内には突入しなかったものの、その爆発によって艦内に大量の破片を撒き散らし、前部一・ニ番砲塔区画に損傷を与えてこれを動作不能としたのであった。「ロドネイ」の僅か一発の砲弾が、「ビスマルク」の主砲火力を一挙に半減させたのである(*8)(*9)。
 この直後の0900時には、重巡「ノーフォーク」の砲弾が「ビスマルク」の前部射撃指揮所に命中、射撃指揮装置を破壊したことにより、実質上前部射撃指揮所は機能を喪失した。またこれに次いで0902時に「ロドネイ」の16in砲弾が「ビスマルク」の一番砲塔上部に命中、この砲弾は二番砲塔にも損傷を与えるとともに大量の弾片を艦橋付近に撒き散らしており、この破片によって艦橋部の多くの将兵が戦死するに至った(*10)。
 0902時頃、英の二戦艦は新針路で定針しており、着実に「ビスマルク」を撃ち据える状態となっていた(*11)。更に0904時には「ビスマルク」の右舷後方から接近してきた重巡「ドーセットシャー」も距離約20,000ydsから砲戦に加わり、「ビスマルク」は完全に包囲された形となった(*12)。
 0905時、「キング・ジョージ五世」及び「ロドネイ」の副砲が交戦に加わった。この時点で「キング・ジョージ五世」は「ビスマルク」より14,000ydsの地点に有ったが、視界不良は相変わらずで観測が困難であったため、副砲は砲撃を時折中断しつつ緩慢な射撃を行わざるを得ない状況に陥っている。


(本図は「Battleships:Axis and Neutral Battleships in WWII」P244掲載の図を参考に筆者が作成したもの)


 0907時頃、レッヒベルク少佐が指揮を取る「ビスマルク」の後部射撃指揮所に対して後部射撃計算機室より連絡が入り、前部射撃指揮所が機能しない ー 少なくとも連絡が取れない状態となったため、前部主砲塔が射撃を中止した事が伝えられるとともに、後部射撃指揮所で後部主砲塔の射撃指揮を取るよう要請がなされた。
 これを受けて後部射撃指揮所は後部主砲塔群の指揮を取る事となり、後部主砲塔群に対して戦闘回路を切り換えるように下令した。この時点で後部射撃指揮所からは「ロドネイ」を視認することが不可能であった事から、射撃目標を「キング・ジョージ五世」に切り換えることになった。
 距離約11,000mにある「キング・ジョージ五世」に対してレッヒベルク少佐の射撃指揮で四斉射が行われ、四斉射目は見事「キング・ジョージ五世」を夾叉した。この時次の斉射で命中弾は必至と考えたゲルンジー少佐は思わず艦橋の一番奥にある後方出口扉の位置まで下がっていたが、司令塔と言っても弾片防御程度の薄い装甲しかないことを思い出した彼は、今度はぬけぬけと前の方へと進んでいったのであった。
 しかし「ビスマルク」は完全に運から見放されていた。レッヒベルク少佐が四斉射目の着弾を確認した直後の0913時、後部射撃指揮所は大きく揺さぶられて、彼は照準機の接眼レンズにいやというほど顔を打ち付けることになった。衝撃から回復した後、彼は再度目標に照準を合わせ直そうと思って照準機をのぞき込んだが、そこには何も写らなかった。「キング・ジョージ五世」の14in砲弾が後部射撃指揮所上部にあった測距儀を粉砕し、後部射撃指揮所の機器を使用不能にしたのである。
 後部の射撃指揮装置を破壊されたため、レッヒベルク少佐は前後部の射撃計算機室両者と連絡をとったが、そのどちらからも前部射撃指揮所に連絡を取る事は叶わなかったため、後部の第三及び第四主砲塔に対して、各砲塔に個別射撃を命じるしかなかった(*13)。交戦開始から約25分を経たこの時点で、「ビスマルク」は統一された射撃指揮を行う事が不可能となり、効果的な反撃を行うのが極めて困難な状況に陥ったのである。

 対して「キング・ジョージ五世」は0900時から0913時の間に二十二斉射を放っているが、そのうち十四斉射が夾叉を記録しており、レーダー射撃が充分な能力を持つ事を証明することになった。またこの間の射撃間隔は約40秒毎に行われており、その主砲塔群は持てる力を充分に発揮していた事が伺える。
 しかしこの頃から「キング・ジョージ五世」は各種の故障が頻発する様になる。「キング・ジョージ五世」が「ビスマルク」より距離12,400ydsにあった0913時、284型レーダーが発砲の衝撃によって故障したため、「キング・ジョージ五世」は再び弾着観測が困難な状況に陥った(*14)。


「キング・ジョージ五世」級戦艦の図


 この間「ロドネイ」は弾着観測に困難を覚えつつも射撃を続けており、夾叉及び命中弾を何度となく出しているが、この頃になると「ビスマルク」は同艦が搭載する魚雷の射程距離内に入ったため、水雷兵装も戦闘に参加する事になった。「ロドネイ」の前部水中魚雷発射管は、0911頃から0913頃にかけて距離約11,000ydsにあった「ビスマルク」に対して両舷の魚雷発射管から六本の魚雷を発射しているが、これは全て外れている(*15)。この直後の0916時には、「ビスマルク」が自艦の目標としては既に後落しすぎている事を見て取った「ロドネイ」艦長ダルリンプル・ハミルトン大佐は、交戦開始前に長官から受けた「状況次第によっては独自の判断をもって行動を許可する」という命令に基づいて、「ロドネイ」を右180度回頭させて、「ビスマルク」と並進して北に向かう針路を取らせたのである。
 この「ロドネイ」の運動の結果、回頭直後同艦は「ビスマルク」の左舷距離約8,200ydsの位置を北に向けて航行する形となったが、これは並走する「ビスマルク」からは格好の目標となり、後部の主砲塔群は「ロドネイ」を目標として個別に射撃を再開している。
 一方「キング・ジョージ五世」も0915時にトーヴィー長官からパターソン艦長に対して「もっと近づけ!未だロクな命中弾は見ておらんぞ!」という叱咤兼命令が下されたことから、0920時に北に向けて面舵を取った。この回頭中前部主砲塔は砲撃を続ける一方で、後部主砲塔は運動後に射撃を再開するため右に旋回を行っていた。また同艦の左舷副砲はこの頃には再び射撃を再開していたが、艦の運動に従って「ビスマルク」が射界外に出て非交戦側となったことから、0920時頃射撃を中止している。


第三幕(0920-0952):「キング・ジョージ五世」故障頻発&「ビスマルク」戦闘不能

 0920時に「キング・ジョージ五世」が新針路を取った時、同艦は19ktsの速度でほぼ真北に向かって進みつつあり、その時点で「ビスマルク」は距離約12,000yds、方位右舷50度の位置にあった。
 「ビスマルク」の後部主砲塔群は「ロドネイ」に向けて砲火を開いていたが、0921時になると「キング・ジョージ五世」の14in砲弾が三番砲塔前楯に命中している。この砲弾は信管が過敏であったのか装甲を貫徹せずにその砲塔前楯で爆発したが、これにより三番砲塔の右砲が俯仰不能となった事から三番砲塔砲塔長の独断によって発砲を中止するところとなった(*16)。
 同じく0921時には「キング・ジョージ五世」の右舷副砲が射撃を開始している。上構部分に命中した5.25in砲弾は非装甲及び軽装甲の部分に損傷を与えていき、また上甲板に居た人員を死傷させる事になった。 
 しかし0922時になると、それまで快調に稼働していた「キング・ジョージ五世」の主砲塔に突如不具合が発生した。デンマーク海峡で「プリンス・オブ・ウェールズ」が苦しめられた装填機構の不具合が「キング・ジョージ五世」でも発生したのである。この時点で一番砲塔と三番砲塔の全ての砲が一気に射撃不能となり、唯一使用出来るのは二番砲塔の14in連装砲となってしまったのである。これにより主砲砲撃力は通常時の20%に迄減少する事になり、「キング・ジョージ五世」は暫く一門または二門の砲のみで射撃を続ける事になった。二門以下の砲では散布界の観測による射撃修正が不可能なため、射撃にはかなりの困難があったと思われるが、この状態でも引き続き命中弾を与えた「キング・ジョージ五世」砲術科の術力は大したものであったと言うべきなのであろう。一方後に射撃中止命令が出るまで右舷の5.25in砲は故障知らずで撃ちまくっており、各砲辺り都合77斉射を行うに至っている。

 この頃になっても「ビスマルク」の四番砲塔は未だに発砲を続けており、「ロドネイ」に至近弾数発を与える事に成功している。そのうちの右舷艦首至近に落ちた一発は、水中で炸裂して右舷艦首魚雷発射管扉に損傷を与え、右舷発射管を使用不能に陥れた。また0927時には一番主砲塔が一斉射を行っているが、これとほぼ同時刻に一番砲塔付近に着弾した「キング・ジョージ五世」の14in砲弾が止めを刺したらしく以後完全に沈黙している(*17)。
 0929時、「キング・ジョージ五世」は「ビスマルク」より距離8,000ydsの距離に有ったが、洋上を覆う砲煙と「ビスマルク」自身が炎上して出す煙等の要因により、目視による弾着観測は相変わらず困難な状況にあった。このため279型対空レーダーに対して射撃観測を行うように命令が下されたが、対水上用レーダーではないレーダーでの観測は不十分なものにしかならなかった。なお、これと同時刻に三番主砲塔が戦列に復帰しているが、復旧されて使用可能なのとなったは中央の二門のみであり、外側の二門は遂に戦闘終了まで発砲不能のままであった。
 0930時、「ビスマルク」の四番主砲塔の左砲がトウ内爆発を起こし、発砲不能となった。この後右砲は更に二斉射を放ったが、0931時に砲塔バーベット部が16in砲弾によって被弾・貫通した事も相まって、四番砲塔内部に火災が発生し煙が立ち込める事態となった。このため四番砲塔の要員は砲塔内部から脱出するに至ったが、これにより遂に「ビスマルク」の主砲は完全に沈黙する事になった。時に0931時のことであった。


海底に眠る「ビスマルク」の四番砲塔バーベットに今も残る16in砲弾による弾痕


 以降「ビスマルク」は英艦の各種口径の砲弾に打ちのめされて、洋上に浮かぶ廃虚と化していくのみとなった。0930-0935時頃には「ロドネイ」の主砲弾が前墻楼トップの測距儀・射撃指揮装置部に命中し、同部分は左舷側に崩れ落ちている。また「ロドネイ」の主砲弾はこれとほぼ同時期に左舷水線装甲帯と主水平装甲を打ち破り、左舷の汽缶室及び煙路に損傷を与えている(*18)。これによって「ビスマルク」は煙突基部の上甲板部から機関の排煙を吹き上げるようになり、速度が更に低下したのである(*19)。



(本図は「Battleships:Axis and Neutral Battleships in WWII」P244掲載の図とKing George V Class Battleshipsの表記を参考に筆者が作成したもの)

 0938時、「ビスマルク」は「ロドネイ」の艦尾後方をすり抜けて「ロドネイ」の左舷側に抜け出る形となり、このため「ロドネイ」は砲戦の方向を今までと反対側である左舷側に切り換えることになった。0940時には両艦の距離は約8,000ydsまで開いていたが、この時二番主砲塔直後に命中した16in砲弾によって二番砲塔後部で大規模な爆発が起こり、砲塔後部の装甲鈑は吹き飛ばされて艦橋上空の空に舞い上がった。この爆発で二番砲塔左舷側の甲板部には大きな裂け目が発生すると共に、二番砲塔の周辺では大規模な火災が発生する事になっている(*20)。
 以後も「ロドネイ」は「ビスマルク」の機動に合わせて運動を続け、数分毎に交戦舷を変えつつも、6,000yds以下の至近距離から「ビスマルク」に向けてその巨弾を叩き込んでおり、一方「キング・ジョージ五世」は約8,000yds前後の距離を保ちつつ「ビスマルク」の左舷側に巨弾を叩き込み、「ビスマルク」の艦上や艦内を修羅の巷へと変えていった。時刻は不明確だが、「ビスマルク」の右舷舷側装甲を貫いた大口径砲弾(*21)によって第一五区画にあった無線室が完全に破壊されて総員戦死を遂げており、また同様に右舷の水線装甲帯を貫いた砲弾は左舷前部の副砲弾薬庫内で爆発し、左舷二番副砲を貫徹した砲弾とともに同砲塔後部天蓋を吹き飛ばして使用不能にすると共に、その爆発によって大量の破片を艦上に撒き散らさせる事となった。また「キング・ジョージ五世」からと思われる射弾は左舷機関区画後部の発電機に命中して炸裂し、また変圧器から火災を生じせしめてもいる。
 また0950時から1000時の間には、艦の後部に命中した16in砲弾の赤熱した破片が四番砲塔バーベットに開いた穴より砲塔内部に侵入したため、砲塔下部で火災が発生しており、四番砲塔弾薬庫に注水がなされてもいる。また前部マストが倒壊したのもこの頃のことであった。
 この他にも多くの砲弾が「ビスマルク」の舷側上部及び主装甲帯を貫徹して艦内へと突入して艦内に大きな損傷を与えている。加えて「ノーフォーク」や「ドーセットシャー」からの8in砲弾や、戦艦の副砲である6in及び5.25in砲弾も舷側上部の145mm装甲帯を貫徹して艦内に損害を与えていった(*22)。
 この頃になると「ビスマルク」は完全に海上の廃虚と化しており、英艦からは「ビスマルク」上部構造物の至る所に開いた破口から炎と煙を噴きだしているのや、また舷側や甲板から開いた破口からは艦内区画に生じている火災の炎のきらめきと煙を見る事も出来た。また主水平装甲より上部の艦内も阿鼻叫喚の様相を呈しており、特に艦橋より前の艦首区画は損傷甚だしく、激しく炎上するに至っていた(*23)。しかしその様な状況にあっても未だビスマルクのメインマストには雄々しくも戦闘旗が翻っており、またゆっくりとではあったが前へと自走を続けていたため、英側の各艦は戦闘を継続せざるを得なかった。
 「ロドネイ」艦長ダルリンプル・ハミルトン大佐は、後にこの時の心境を以下のように述べている。「あの時私がその仕事を喜んでやっていたなどと思わないで欲しい。だがしかし、「ビスマルク」が戦闘旗を翻して前に進んでいる以上、他にどうしようも無かったんだ」。

被弾・炎上する「ビスマルク」の光景を描いた絵


第四幕(0952-1040):巨大戦艦、大西洋の波間に消える
 
 0952時になると、北に向かって進んでいた「キング・ジョージ五世」は「ビスマルク」の艦首左舷前方に出たことから、「ビスマルク」の左舷側を並行して砲戦を行うべく針路を220度に変針しており、また目標との速度差及び位置変位に伴う目標との方位角の変化率を減少させるため、速度の低下した「ビスマルク」に合わせる形で速度も14ktsへと落とす事になった。この直後の0953時になると、時間的にフランスからドイツ空軍機が飛来する可能性が高くなったと判断されたこともあって、主砲の弾着観測を行っていた279型レーダーが対空索敵任務にあたるよう命令が下されている。これとともに両舷の5.25in副砲は対空戦闘に備えて「ビスマルク」への射撃を中止して対空警戒配置に切り換えられており、また待機していた近接対空火器の要員も各々の戦闘配置に就いている。
 更に長らく戦闘不能状態にあった「キング・ジョージ五世」の一番主砲塔が戦列に復帰したのも0953時のことであった。故障後31分を経て漸く同艦は全主砲搭が戦列に復帰したわけだが、しかし一番砲塔も三番砲塔同様外側の二門は遂に復旧せずに終わり、以後「キング・ジョージ五世」は戦闘終了まで稼働する主砲六門をもって戦闘を継続することになる。

 一方至近弾による発射管室への浸水等の障害を乗り越えて、不屈の「ロドネイ」水雷科が再び「ビスマルク」への魚雷攻撃を敢行したのもこの頃の話である。前述のように右舷魚雷発射管は既に使用不能となっていたが、今度は左舷発射管のみを用いて雷撃を敢行したのであった。0955時に放たれた最初の魚雷は命中が確認出来なかったものの、0957時に再度放たれた魚雷は航走距離の後半2/3を水面上に姿を現しながらも「ビスマルク」に向けて定針して進んでいき、0958時に「ビスマルク」の艦中央部に命中するのが「ロドネイ」艦上から確認されたのであった(*24)。

 この頃になると、「ビスマルク」は完全に戦闘能力を喪失した状態となっていた。このため遂に1000時直後と思われる頃には応急指揮所に居た副長エールス中佐より、機関長レーマン中佐を始めとして、各部署の応急修理班の長に対して、自沈命令が下されるところとなった(*25)。
 この命令を受けて艦尾第一〜第四区画を担当するの応急修理班第一班のシュミット上級准尉は、作動中のあらゆるポンプを注水に切り換えて、担当部署の全区画に海水を送り始めた(*26)。
 この時点でも主機は三基とも無事で低速ではあったが運転を続けており、汽缶からも必要な蒸気が主機に供給されている状態にあったが、中央機関室にいたユーナック少佐もこの命令を受けて自沈作業に取り掛かった。この命令で右舷と中央の機関区画ではキングストン弁が開かれると共に冷却機用吸水口に自沈用爆薬がしかけられた。
 しかし左舷機関区画では既に戦闘の損傷と破口から入った海水が換気口を通じて艦内に侵入しており、これによってかなりの浸水が内部に生じていたためキングストン弁の開放及び爆薬の設置といった自沈措置に伴う作業を行う事は出来なかった(*27)。また艦首区画を含めて他の艦内区画でも自沈措置実施が行われなかった区画が有るなど、艦内における自沈措置は徹底して行われたわけでは無い事には充分注意を要する必要があるだろう(*28)。
 
 「ビスマルク」艦内で自沈作業が行われつつある際も、英戦艦部隊の砲撃は続けられていた。1005時頃にはトーヴィー長官より「キング・ジョージ五世」のパターソン艦長に対して「ビスマルク」に止めを刺すべく、より近接せよとの命令が出されており、「キング・ジョージ五世」は取舵を取って再び北方へと針路をとった。「奴が沈むのを見れないなんてたまったものか!」と激高する司令長官を載せて「キング・ジョージ五世」は更に「ビスマルク」へと距離を詰めていった。1009時から射撃を中止する1022時までの間、「キング・ジョージ五世」は最短で約3,000ydsの距離まで近づいて更に「ビスマルク」を撃ち据えたのである。「キング・ジョージ五世」の主砲射撃によって、「ビスマルク」の二番砲塔の前面装甲が貫徹された結果、同砲塔が再度爆発炎上したのはこの頃のことであり、(*29)また1014時に「ビスマルク」の前部司令塔付近に命中した砲弾は、更に艦橋の上部構造物の何箇所かを破壊するに至っている。



海底調査で撮影されたビスマルクの主砲塔に残る砲弾貫徹口


 一方「ロドネイ」も1019時に砲撃を中止するまで「ビスマルク」への射撃を継続しており、この頃になると3,000yds-4,000yds程度の距離から「ビスマルク」を主砲・副砲の全砲門をもって撃ち据え続けていた(*30)。この時機には目標までの距離が近いため砲に最大俯角をかけて射撃を継続しており、また目標との射撃方位角の関係で、発砲衝撃によって艦に損傷を与える可能性がある事から本来なら禁止されている艦尾方向に向けて16in砲の斉射を度々行っていたことから、同艦は自艦の発砲衝撃で甲板及び艦内に被害を受けつつも砲戦を継続している状況にあった。 
 しかしそれだけに「ロドネイ」の砲撃は正確かつ猛烈なものとなり、1005時頃には水線装甲帯を貫いた16in砲弾が「ビスマルク」艦内の酒保区画で炸裂して副長エールス中佐以下多数の乗組員を殺傷せしめたほか、1011時には16in砲弾の命中によって「ビスマルク」の艦尾部分が粉砕されて火焔とともにグレーがかった白色の煙が吹き出すのが観測されている、更に1014時に行った最後の主砲による斉射では、一番砲塔に砲弾を命中させて砲塔の付近から猛烈な火焔を吹きだせると共に、他の命中弾の閃光が「ビスマルク」の前墻楼頂部を映し出す光景も見られたのであった。
 また「ノーフォーク」と「ドーセットシャー」の両巡洋艦も砲雷撃を続行しており、1010時には「ノーフォーク」が左舷側の魚雷発射管より四本の魚雷を発射している。この魚雷は1013時頃に「ビスマルク」の右舷側に命中したのが観測されているが、これもドイツ側は確認していない(*31)。


「ドーセットシャー」から撮影された「ビスマルク」に接近して砲戦を行う「ロドネイ」の光景


 1015時頃になると、燃え盛る廃虚と化した「ビスマルク」から生存者が舷側から海へと身を躍らせる様が英艦から傍見されるようになった。この時点でもビスマルクは北西に向けて低速で進みつつあったため、海面には「ビスマルク」の航跡に沿って「ビスマルク」の生存者がぽつぽつと浮かぶのが見られるようになった。
 この頃になると英戦艦の燃料が枯渇し、基地に帰投するのにぎりぎりの燃料しか残っていない状況となったため、トーヴィー長官は遂に砲戦継続を諦め、「キング・ジョージ五世」に砲戦を中止して母港へと向かうように命令するとともに、「ロドネイ」に対しても「キング・ジョージ五世」に後続する針路を取るように命じたのである。時に1015時のことである。
 また交戦水域の南方海上にサマヴィル提督率いるH部隊の諸艦が姿を表したのも正にこの時刻であった。「レナウン」と「シェフィールド」の両艦は遂にこの砲戦に参加する事は叶わなかったのである(*32)。

 この後1020時にはトーヴィー長官は各艦に対して、


「魚雷ヲ有スル艦ハ「ビスマルク」二接近シ、之ヲ雷撃スベシ」


という命令を送っているが、この時既に戦艦部隊に附属していた護衛の駆逐艦2隻は燃料不足のため帰途についており、「ノーフォーク」も「ロドネイ」も既に魚雷を撃ち尽くしていた。しかし「ドーセットシャー」のみは魚雷を有していたので、この命令を受けて同艦は「ビスマルク」に対して雷撃のための襲撃運動を開始したのである(*33)。



重巡「ドーセットシャー」の図


 「ビスマルク」の機関科員や応急班員が自沈用の爆薬をセットして艦上に上がってきたのはこの時分の事であった。最初に自沈用の爆薬が爆発を始めたのは艦尾の区画でのことであり、時刻にして1020時頃の事であった。以後自沈用にセットされた爆薬の爆発が艦内の奥深い場所で続く事になる。

 トーヴィー長官の命令により、北方に向けて交戦水域を離脱しつつある「キング・ジョージ五世」が最後の斉射を行った時刻である1022時、交戦水域の南方海上にあったH部隊旗艦「レナウン」に座乗していたサマヴィル提督より「ドーセットシャー」のマーチン艦長に対して「ビスマルク」を雷撃するよう命令が伝達されたが、「ドーセットシャー」はこの時既に魚雷攻撃のための襲撃運動に移っており、同艦が「ビスマルク」に対して最初の魚雷を放ったのはこの直後の1023時のことであった。距離約1.5nmから「ビスマルク」の右舷をめがけて発射された魚雷は、1025時に一本は艦橋下部、もう一本は右舷後部の高角射撃指揮装置の下部に各々命中が確認されたのであった(*34)。

 この直後の1026時、「ビスマルク」の艦尾部分が脱落するのが「ロドネイ」から観測されている(*35)。この損害もあってか「ビスマルク」は艦尾の沈降速度が速くなり、1030時頃になると後甲板は波に洗われるほどに沈み、また徐々に左へと傾斜する角度が深くなっていった(*36)。

 一方「ドーセットシャー」は1029時に「ビスマルク」の艦首前方をかすめて、同艦の左舷側に姿を現していた。「ドーセットシャー」が「ビスマルク」の左舷に向けて魚雷一本を発射したのは1034時頃のことであり、これもまた1036時に艦首司令塔の下部に命中が確認されている(*37)。



(本図は「Hood and Bismarck」内の本文表記を参考に筆者が作成したもの)


 この頃既に「ビスマルク」は大きく左に傾斜しており、艦首を持ち上げつつ、その左への傾斜速度を速めて行った。その中で「ビスマルク」の艦長リンデマン大佐は傾斜が強まる中を艦首先端へと歩を進めていき、艦の傾斜が深まるに連れて寄り水平に近くなりつつある旗竿の右舷側を先端位置へと向かっていった。そして艦首旗竿の先端に辿り着くや、彼は白い軍帽のひさしに手をさっと上げ、海中の生存者に向けて決別の敬礼を送ったのである。
 完全に横腹を見せた「ビスマルク」は艦首先端で敬礼する艦長と共に、静かに横倒しになって沈んでいった。その後完全に横転して艦首を高々と海上に聳え立たせた「ビスマルク」は、やがて艦尾から姿を没していき、大きなフレアがついた艦首部を最後にその姿を波間に完全に没し去った。その後に残されたのは重油の海に浮かぶ数百に及ぶ救命具をまとった生存者の姿のみであった。時に5/27の1040時。ドイツ海軍の誇りである巨大戦艦「ビスマルク」は、此処にその最期を迎えたのである。


備考:

(*1)Battleships:Axis and Neutral Battleships in WWIIによれば0753時だが、ここは英海軍省が出した作戦図の記載に従った。

(*2)最初に「ビスマルク」を発見したのは重巡「サフォーク」だが、同艦の発した発見の報は無電墻が結氷していたため、他艦や基地でこれを受けたものはなく、「サフォーク」と合同した後「ノーフォーク」が発した電文が初の報となったのである。

(*3)この際の発見距離は良く12.5nmと書かれるが(この数値は0843時の「ロドネイ」の報告による)、両者の相対速度と射撃開始時の時間及び距離を考えると15nmの方が正しいと思われたのでこの数値を採用した。

(*4)「ロドネイ」がこの時期「ビスマルク」の目視による観測に苦労していないのは当時の乗員の記録からも明らかなので、「キング・ジョージ五世」と「ビスマルク」の中間にあって視界を阻害していた雨は「ロドネイ」の位置からは障害になっていなかったのだろう(この時の「ロドネイ」は対水上レーダーを保有していないので、水上の索敵・観測は全て目視によるものであった)。なお、「ロドネイ」はこの時命中弾があった事も合わせて報告している。

(*5)時々「高速で走る軍艦では、排煙が逆流することはない」と言う人がいるが、当時の該当水域では「キング・ジョージ五世」の左舷斜め後方の方角から風速10.8m/s〜17.1m/sの風が吹いており、一方で「キング・ジョージ五世」が速力19ktsで発生する風力は約9.8m/s。このような状況であれば排煙が逆流してくるのは当然である。

(*6)これが世界海戦史上、初めて実戦で行われたレーダーによる射撃指揮が行われた艦砲射撃である。

(*7)これも作戦図の表記に従ったが、「巨大戦艦ビスマルク」によれば同艦が砲戦に加わったのは0854時のこととなる。

(*8)この砲弾命中の時刻はBattleships:Axis and Neutral Battleships in WWIIの表記による。「戦艦ビスマルクの最期」にも南に向けての回頭中に「ビスマルク」の前甲板への命中弾を確認した旨の記載があるので0859-0902時の間に命中弾が出たことは確かである。因みにKING GEORGE V CLASS BATTELESHIPS(V.E. TARRANT著)によればこの砲弾は0902時に命中した事になる。後述のように0902時に一番砲塔自体にも命中弾が出ているので、あるいはこちらの時刻の方が正確なのかも知れない。なお、同著によればこれが「ロドネイ」がビスマルクに与えた最初の命中弾である。

(*9)「ノーフォーク」の見張員は0927時頃前部主砲塔群を観測して、「ビスマルクの前部砲塔は、砲の俯仰角機構が直撃でも喰らったかのように一番砲塔の連装砲は最大俯角となっており、二番砲塔の砲身は二門とも横を向き、逆に上方を睨んだままになった」と証言している。

(*10)キャメロンの「海底に眠る戦艦ビスマルク」では、0902時に16in砲弾が命中して前部射撃指揮所と司令塔が全滅した様に描かれているが、あれは嘘である。なお、司令塔に16in砲弾が命中したのは確かだが、それも0902時のことではない。

(*11)「ロドネイ」は新針路(182度)に入ってから、風を右舷斜め後方より受ける形となったため、自艦の煤煙と発砲時の砲煙によって「ビスマルク」を視認する事が困難となり、射撃速度を低下させる必要が生じた。

(*12)キャメロンの「海底に眠る戦艦ビスマルク」では「シェフィールド」も砲戦に参加したことになっているが、その様な事実はない。

(*13)0900時の被弾によって前部射撃指揮所の機器が使用不能になった事については既に述べたが、これの直前の0912時には、前部司令塔に「ロドネイ」からの16in砲弾が命中しており、この時点で艦前部の指揮系統全てが壊滅したように思える(但し、艦長及び副長はこの時点では生存しているので、むしろ被弾によって艦前部の通信系統が寸断したのが指揮系統が崩壊した要因としては大きいのだろう。艦内でも艦長との連絡が寸断されたため、「司令官と艦長戦死!」という艦内放送が流れた後暫くして、「艦長戦死は誤り。生きておられる!」という放送がなされた事が、艦内の指揮通信系統が崩壊していたのを示しているように思える)。なお、Battleships:Axis and Neutral Battleships in WWIIの表記によれば、この際に命中した砲弾は「キング・ジョージ五世」からの14in砲弾であった可能性がある、とされている。このため私が作成した被害図でも、司令塔への命中弾は「ロドネイ」または「キング・ジョージ五世」からの砲弾による、という表記としている。

(*14)良く「キング・ジョージ五世」を含めたこうした事例から、「射撃用レーダーなど自艦の発砲衝撃で真空管が切れて使用不能になるから、光学測距に比べての測的優位は一時のものに過ぎない」と言う人がいるが、実際にはこの時を含めて射撃用レーダーが故障するのは真空管より電気回路系統の問題によって作動停止することの方が多い。因みにこの時「キング・ジョージ五世」が搭載していた284型は電圧制御盤内の電線を繋ぐハンダ付け部分が取れたことによって作動不能となった。
 因みにこの海戦の後、284型を含む各レーダーに対して各種の衝撃対策が取られた結果、発砲衝撃による故障の確率は著しく低下した。実際1943年12月26日の北岬沖海戦では、「デューク・オブ・ヨーク」の284型は77回に及ぶ自艦の主砲発砲の衝撃に耐えて、最後まで良好な精度の電探射撃を実施している。
 蛇足ながら米海軍でレーダーに対する衝撃対策がとられたのはカサブランカにおける仏戦艦「ジャンバール」との砲戦の際、「マサチューセッツ」の対水上レーダーが発砲の衝撃で故障した戦訓を得て以降のことで、1942年11月以降各艦に対してその対策がとられている。なお米海軍のレーダーに対する衝撃対策も充分な成果を挙げており、大戦後半には自艦の発砲衝撃に対するレーダーの抗堪性は極めて高いものとなっていた。

(*15)「ロドネイ」の魚雷発射管は単装発射管なので、彼等は口径622mmの大型魚雷を約一分毎に再装填して発射していた勘定になる(24.5inMkI魚雷は全長約8.1m、重量は2.6トンあり、日本の九三式に比べて全長は90cmばかり短いが、重量は殆ど変わらない大型魚雷である!)。恐らく「ロドネイ」の発射管は機力装填式なのだろうが、その機構がどうなっているのか知りたいものである。

(*16)「ビスマルク」の三番砲塔は0915時に砲塔側面舷側上部の145mm部分を貫徹して艦内で炸裂した14in砲弾によって沈黙したという説もあるが、「ロドネイ」が0919時に後部二砲塔の発砲を視認しているので、ここでは「戦艦ビスマルクの最期」の記載とも合う0921時の命中弾によって使用不能となったという説を採用している。

(*17)個人的には装填済みの砲弾を処分するための発砲ではないかと思うが、確証はない。なお、先に(*9)でも書いたが、「キング・ジョージ五世」の14in砲弾によって一番主砲塔は砲塔駆動用の機械をやられたのか、最大俯角をかけた状態で沈黙している。

(*18)「ビスマルク」の垂直防御は無敵ではなかったという戦例であるが、この時の発砲距離は約4,000ydsなので、傾斜装甲部を抜かれて艦内に損害が出るのも無理からぬところだろう。なお、バラード博士による1989年の海底調査で「ビスマルク」の煙突左舷の甲板部に大破口が開いていることが確認されているので、筆者はここから機関部からの排煙が出ていたのが観測されたのだと推測する。

(*19)「ビスマルク」は戦闘開始直前から約10ktsで戦闘行動を行っていたが、以後同艦は3-5kts程度でしか動いていないようだ。

(*20)「ロドネイ」の記録では0942時に二番砲塔後部で大火災発生となっている。なお、これで発生したとされる破口は1989年に行われたバラード博士による「ビスマルク」への海底調査でも確認されている。

(*21)Battleships:Axis and Neutral Battleships in WWIIによればこの付近に二〜三発命中した事になっているが、その命中箇所付近の右舷主水線装甲帯に複数の大口径砲弾によると思われる大きな破口がある事は2001年の英国TV局(4TV)の映像で確認する事が出来る。

(*22)水線上部の145mm装甲部分に大口径砲弾のみならず、中口径の砲弾が貫通した貫徹口が開いていることは、バラード博士による1989年の海底調査及び2001年の英国TV局(4TV)による海底調査で確認されている。
 なお、上部及び主舷側装甲帯を貫徹した英側の砲弾のうち、傾斜装甲部を含む主水平装甲帯を貫徹して水平装甲帯下部まで損害を及ぼしたのは少数であるが、上部水平装甲帯と主水平装甲帯の間にある多くの重要区画、特に通信情報伝達系統の艦内区画は各種口径の砲弾で大きな損害を受ける事になった。

追記:
 2001年の英国TV局による海底調査の結果によれば、「ビスマルク」の船体部分には約400に及ぶ砲弾による貫徹口がある事が確認されている。一方キャメロンの「海底に眠る戦艦ビスマルク」では船体に命中した砲弾痕の調査の結果舷側装甲を含めて4箇所しか装甲を貫徹した痕はないと言っているが、これは英艦上から「ビスマルク」を観測していた人間が異口同音に言う「砲弾の命中によってビスマルクの船体に開いた多数の貫徹口から艦内から立ち上る炎や煙が見えた」という証言や、実際に英艦の砲撃によって「ビスマルク」の主要防御区画を含む船体内部で多くの損傷が発生した事とは大きく矛盾している。私には「海底に眠る戦艦ビスマルク」の調査結果は、何か意図的に内容を改竄しているようにしか思えない。

2003年7月27日追記:
 この件を含めて、キャメロンの「海底に眠るビスマルク」に関する内容については、海外の研究者も私と同様にその内容について疑念を表明するか、否定する意見を述べている。彼等はその典拠として、2001年の英国TVによる海底調査の指揮を取ったD.ミヤーンが「もっと近づいて見てみることだね。美しく見える(ビスマルクの)船体が魚雷や砲弾で叩きのめされているのが判る。実際問題として、同艦は英艦の砲撃によって叩き潰された結果、その最期を迎えたのだ」と述べていることや、またA.プレストン(The World's Worst Warshipsの著者であり、著名な艦艇研究家)が英国TVによる海底調査の際に撮影された写真を見て、「(これらの写真は)「ビスマルク」が艦内に浸水した廃船であることを示している。写真からは約400の破口が船体に開いているのを見る事が出来るが、これらの破口の大半は大口径弾が舷側装甲を貫徹して形成されたものだ。ドーセットシャーの発射した四発の魚雷(実際には三発)は同艦の沈没を早めたが、しかし実際にはそれ以前の段階で同艦の艦内に数千トンに及ぶ浸水を生じせしめていたのだ」という発言を紹介している。
 まあ「海底に眠るビスマルク」の内容に対して一番強烈な意見は、カルガリー大学のH.ハーウィッグ博士の発言だろう(同氏はなんと「海底に眠るビスマルク」のヒストリカルアドバイザーを勤めていたようだ)。同博士は2001年の調査による一連の写真を見て、「(ビスマルクの)左舷舷側は…、スイスチーズの如き様相を呈している。私は今ビスマルクが99%撃沈されたことは確実であり、決して自沈ではなかったと思う」と述べているのである。

(*23)「ビスマルク」の生存者の大多数が砲戦終了後主水平装甲鈑の下の区画から上がってきた乗組員であることからも、「ビスマルク」の主要防御区画内のうち主水平装甲より上の船体内部での損傷が激しかったことを伺い知ることが出来る。また艦橋より前の艦首区画部分の生存者は一人も居ないことは、特に艦首側の損傷が酷かった事を示しているといえるだろう。

(*24)これが本当なら、航走中の戦艦が航走中の戦艦に魚雷を命中させた世界戦史史上唯一の戦例であるが、「ビスマルク」の生存者はこの魚雷命中を否定している。まあ英側が砲弾の着弾による水柱を見違えたか、ドイツ側が魚雷の命中を砲弾の命中と間違えたかのどちらかであろうが、命中箇所が右舷中央の水線装甲帯部分であるので船体に破口が出来るわけもなく、実際海底調査の映像で確認することも出来なかった事から、多分これは永遠の謎となるだろう。

(*25)キャメロンの「海底に眠るビスマルク」に曰く、「恐怖にかられた乗組員が自主的に自沈措置を」というのは少なくとも間違いである。

(*26)「巨大戦艦ビスマルク」では機関室にも此処の作業によって注水が開始されたようにも読めるが、実際にはそうでは無いのは後述の通りである。

(*27)当時の機関兵の証言有り。実際この時期には「ビスマルク」が左に大きく傾いているのは英艦からも視認されているので、この時点で左舷側には機関区画を含めて相当な浸水があった事は確かだろう。

(*28)海水を艦内に入れることが出来る区画自体それ程多くないのだが、そのうち四番砲塔を除く主砲弾薬庫区画に注水されたかどうかは生存者の応急班員や機関兵の証言でも確認されておらず、副砲及び高角砲弾薬庫でも右舷前部の副砲弾火薬庫区画及び左舷後部の高角砲弾火薬庫区画以外の弾火薬庫に注水されたかという点についても生存者の証言からは確認することが出来ない。
 また艦首区画においては、当時既に応急指揮所から連絡が取れたかどうかは疑わしいし、応急班員の大半がその時点で戦死もしくは負傷していたと思われる状況下で自沈作業が実施できたとは思えない(戦闘中艦首応急班員の手数が足りないため、後部の応急班員が応援に出たが一人も帰ってこなかったし生存者も居ない、という現実もあるし、しかもこの時まだ英戦艦は艦首側にあって砲撃を続けているのだ!)。ビスマルクが艦首を高々と上げて沈んだことからも、艦首部においては自沈作業は実施されていないのではないかと思うのである。

(*29)「我が戦艦の14inと16in砲弾はビスマルクの主砲塔の装甲を貫徹し、その結果ビスマルクの砲塔はスイスチーズの如き様相を呈した」という英側の報告書は決して嘘ではないという例として上げることが出来るだろう。

(*30)公式報告及びBattleships:Axis and Neutral Battleships in WWIIの記載によれば、主砲が最後に射撃したのは1014時の事であるので、最後の5分間は副砲のみが射撃していたようだ。

(*31)2001年に実施された英国TVの「ビスマルク」に対する海底調査により、舷側の被害状況から「ノーフォーク」の魚雷も一本命中している可能性がある事が指摘された(右舷後部の破口と損害状況が魚雷一本のものとしては大きいと見られたようである)。

(*32)「アークロイヤル」の艦攻隊も0900時に攻撃のため発艦しているが、「ビスマルク」の上空に接近したときには既に砲戦たけなわのときであり、接近して攻撃することが出来ずに終わっている。

(*33)「ノーフォーク」は決戦開始前に右舷発射管の魚雷を「ビスマルク」に対して発射していたため、全魚雷を消費している状態にあった。「ロドネイ」は発射したとされる魚雷数から行けば左舷発射管室に一本残っているはずだが、既に長官命令により帰投中なので攻撃には移らなかったのだろう。

(*34)この魚雷による破口は2001年に実施された英国TVの「ビスマルク」に対する海底調査によって確認されており、艦内に損害を与えていることも確認されている。

(*35)1011時に「ロドネイ」の主砲弾が命中して白煙をあげさせた付近から艦尾が折れて脱落したと報告されている。これもドイツ側の証言による確認はされていないのだが、一方で報告された位置とほぼ同じ箇所で「ビスマルク」の艦尾部分が折れて切断されているのは、1989年のバラード博士及び2001年の英国TVによる海底調査で確認されているのも事実である。

(*36)艦尾の浮力を失った事により、左舷側の320mmの水線装甲帯及び145mmの上部水線装甲に数多く開いた穴から艦内の左舷側に大量の海水が侵入したのではないかと愚考する。

(*37)この魚雷による損害は、右舷側同様に2001年に実施された英国TVの「ビスマルク」に対する海底調査によって破口が確認されており、艦内に損害を与えていることも確認されている。キャメロンの「海底に眠る戦艦ビスマルク」では、水線下艦内内部の魚雷防御隔壁によって損害を艦内に与えていないので効果は無かったと断定しているが、ビデオの映像の内容とその説明を聞く限り、あの映し出した隔壁の位置は「ドーセットシャー」の魚雷命中位置では無い様に思える(舷側後部水線下部分が広範囲に渡り剥がれているので、その前端部分が魚雷命中箇所と考えて調査したようだが、あの映像では艦の中央部のカタパルト下端の位置を撮影している様にしか思えない)。


「ビスマルク」沈没に関しての考察:

 「ビスマルク」の沈没について、最近我が国ではキャメロンの「海底に眠るビスマルク」の影響もあってか自沈説が強くなってきている。確かに1005時以降、「ビスマルク」艦内で自沈措置が行われた事は事実であるし、その内容についても既に述べた。しかし自沈措置がなされたのが事実だとしても、「ビスマルク」にとって致命傷となった左舷側の浸水は自沈措置によるものでは無い事もまた事実である(左舷の機関区画で自沈措置は行われていない事は既述した)。また満載排水量50,000トンに達する大戦艦が、自沈用爆薬が炸裂を開始してから僅か20分以内で沈むというのもおかしな話に思えるのである。
 しかし「ドーセットシャー」の魚雷によって撃沈された、とする考えは私にも毛頭無い。「ドーセットシャー」の魚雷が左舷側に命中したとき、既に「ビスマルク」は大きく左に傾いており、実際何もしなくても沈没しただろう。ただ「ドーセットシャー」の魚雷命中が、「ビスマルク」左舷により大規模な浸水を引き起こしたため、左舷への転覆沈没を早めた事を否定する事は出来ないだろう。

 私個人としては、Battleships:Axis and Neutral Battleships in WWIIの著者が1990年版の増補部分で述べたように、「自沈措置は「ビスマルク」沈没の一要因に過ぎない」という説を支持するものである。自沈措置は確かに「ビスマルク」沈没に影響を与えただろうが、5/24以降に同艦の水線下に加えられた損傷は、「プリンス・オブ・ウェールズ」からの主砲弾による浸水を始め、「ヴィクトリアス」艦攻隊の雷撃による副次的損傷(直接的損傷はなかったが、これにより「プリンス・オブ・ウェールズ」から受けた箇所の損害及び浸水が拡大した)、「アークロイヤル」艦攻隊の雷撃による浸水の拡大、そして英戦艦隊からの猛砲撃によって左舷側を大きく損傷するなどした結果、その浮力を減じることになったのだ。これらの各種要因が複合した結果、同艦の左舷部分に大量の浸水を生じる事となり、あの時刻にあの場所で「ビスマルク」が沈む事になったと考える次第である。


本海戦に参加した英艦艇の射撃弾数一覧表:

射撃艦名
16in砲弾
14in砲弾
8in砲弾
6in砲弾
5.25in砲弾
キング・ジョージ五世
-
339
-
-
660
ロドネイ
380
-
-
716
-
ノーフォーク
-
-
527
-
-
ドーセットシャー
-
-
254
-
-

備考:

 英の戦艦二隻は交互射撃と砲塔毎射撃を使用して砲戦を実施している。「キング・ジョージ五世」は当初より交互射撃を主要したが、砲塔が故障した時期には砲塔毎の射撃も行っている。「ロドネイ」は当初交互射撃を実施したが、装填機構の不具合等の問題が発生した事により、射撃速度維持のため以降各砲塔毎の斉射による射撃によって砲戦を行っている。なお、両艦とも戦闘を通じて全主砲をもっての斉射は行っていない。因みにこの戦闘中における「ロドネイ」の主砲射撃回数は113回、各砲塔の発砲間隔は約1.7分であった。
 約一時間半にわたる砲戦にしては射撃弾数が少ないとも言えるが、これは英艦が主砲の故障や不具合発生、また弾着観測に困難を来したため射撃速度を落とす・一時射撃を中断するという事態が度々生じたことが大きく影響している(巡洋艦二隻は砲塔に不具合を起こした形跡はないが、弾着観測困難のため度々射撃中止に追い込まれている)。
 なお、「ビスマルク」への命中弾数に関しては、資料によって射撃弾数のうち約10%から約30%の砲弾が命中したとの諸説があるが、実際のところ明確な数は不明である。



Written by Yoshifuru Otsuka(2003/5/30)

(Last Update:2003/7/27)