NHKテレビ版 シャーロック・ホームズの冒険
求龍堂 刊 定価2600円+税
文:ピーター・ヘイニング 訳:岩井田雅行、緒方桂子
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いつも茶褐色のダサイ鹿打ち帽とマントを身にまとい、頭は切れるがコカイン中毒の変な男−−−。これがグラナダシリーズ(注1)を見るまでのわたしのシャーロック・ホームズへの印象でした。その頃のわたしはホームズにはまったく興味がなく、ビジュアル化された探偵ものというともっぱらポワロものばかり見ていました。
究極のTVシリーズ
しかし、ふとしたきっかけからNHKで本放送第一話「ボヘミアの醜聞」を見て、ホームズに対する印象を改めなければなりませんでした。なんといってもこの英国グラナダTV製作のシャーロック・ホームズシリーズに出てくるホームズは、非常にオシャレであるというこれまでのダサイイメージを完全に払拭するものでした。それに後で知ったのですが、このTVシリーズは、ストーリーを原作に忠実にしただけでなく、原作連載時の掲載誌ストランドマガジンの挿絵のイメージを非常に忠実にビジュアル化していたのです。特にホームズ役のジェレミー・ブレットはファンの間でも一番支持されているだけのことはあって、究極のホームズ像を見せてくれました。特にNHK版は、ホームズに露口茂、初代ワトスン(デビッド・バーク)に長門裕之、2代目ワトスン(エドワード・ハードウィック)に福田豊士という豪華なキャスティングをしており、特に露口茂のホームズはまさにハマリ役で、ジェレミー・ブレットのエキセントリックな演技をさらに数百倍「濃い」ものにしていました。(あまりにもハマッていたので、ホームズの原作本を読む時もホームズのセリフは露口さんの声を頭に思い浮かべながら読むようになってしまいました。(^^;)
プロの仕事
さて本書ですが、ホームズの研究書としてもかなり興味深いものと言えると思います。しかも、これまで出ていそうで出ていなかったグラナダシリーズに関する唯一(?)の本ですしね。
本書にはいろいろと撮影時における興味深いエピソードが書かれています。中でもベーカー街のセットについては、1890年代当時の情報をかき集め、セットを作る際の建築様式を当時に忠実に作ることは元より、通りの舗装方式まで徹底的に調べあげ、それまでの常識とされていた「石敷き」の舗装を排し、「タールマカダム舗装」(注2)を史実上正しいものとして採用しました。さらにカメラのクローズアップにも耐えられるように、予算の大部分を入念なディテールアップに費やしたそうです。(確かにTVを見ててもセットに金がかかっていることは素人目に見ても分かります。)
ホームズ虎の巻
あと、面白いのがプロデューサー、マイケル・コックスがステュアート・ドウティとニッキー・クーニーの協力を得て作成した「ベーカー街ファイル」です。これは、デザイナー、メイクアップ・アーティスト、衣装係、カメラマン、小道具係、大道具係たちスタッフが「ホームズの世界観」について調べるのに、原作本よりかさばらずに素早く調べることができる参考書としてつくった虎の巻(?)です。本書にもこれの翻訳版が掲載されています。内容としてはいろいろなカテゴリー別に原作からの引用されたセリフや描写が抜き出されてまとめられているといったものです。つまり原作の雰囲気を忠実に映像化するためのスタッフ用の意識合わせ用のマニュアルといったものでしょうか。
衝撃的だった「最後の事件」
さて、グラナダシリーズで最も印象的なエピソードと言えば、個人的にはやはりNHK第1シーズン最終回(英国では"The Adventures of Sherlock Holmes"の第2シーズン最終回)の「最後の事件」でしょう。いわゆるホームズと宿敵モリアーティ教授がスイスのライヘンバッハ滝から転落するという衝撃的な結末を向かえたエピソードです。本放映時、ホームズの最終回はどうなるのだろうか?ひょっとして「最後の事件」なのか?と思って見ていたのですが、最終回1話前の「赤毛連盟」でモリアーティ教授が出てきた(注3)ことによって、その不安は見事に的中しました。最終話、ホームズとモリアーティがとっくみ合ったままライヘンバッハの滝に転落していくという衝撃的な映像を視聴者は目撃することになったのです。本書にもその「転落シーン」の撮影風景のエピソードが書かれています。
あのシーンはスタントマンに、滝の頂上に設置した特製ウィンチから伸ばしたワイアーをくくりつけ、実際に滝つぼに落下してもらうという非常に原始的な方法で撮られています。(今だったらCGとか使うんでしょうが…)落下の速度は時速約30マイルで、これはパラシュート降下とほぼ同じ速度だそうです。転落後、スタントマンの2人は「体の節々が痛んだ」と言っております。(しかし、この時ジェレミー・ブレットが二人のためにシャンパンを空けてくれたそうです(^^。)かくして、ホームズのTVドラマ史上最高のシーンが完成したわけですが、このロケの時、スタッフは次のシリーズのための「ホームズが転落しないバージョン」もカメラに収めて帰ったそうです(^^;)。ただし、その時はワトスン役がデビッド・バークからエドワード・ハードウィックに交替することは頭になかったのですが…。
俳優ジェレミー・ブレット 〜永遠のホームズ〜
さて、最後に主役ホームズを演じきった俳優ジェレミー・ブレットについてですが、本書にはジェレミーの経歴および撮影中のインタビューも掲載されているという、ファンなら読みたくなるような内容が満載です。
ジェレミーの役に対する取り組みは非常に真面目で、彼は常に手元に「シャーロック・ホームズ全集・完全版」を置き、どのページにも自筆で注釈を書き込み、脚本が原作を離れて気に入らない部分があると原作通りに直してもらうよう嘆願したそうです。
また、ジェレミーの性格はホームズとはかなりの部分で違うらしく、孤独でオタク的なホームズに対しジェレミーは社交的で友人も多いといったありさまで、このホームズの暗い影の部分が、役作りにのめり込むジェレミーを非常に苦しめたそうです。
最高のホームズ役者と賞賛されるジェレミーも1995年9月12日に心臓麻痺のため、他界されました。享年61歳だったそうです。一時期非常に太った時期があったのですが、それは心臓病の薬、ジギタリスなどの副作用によるものだそうで、シリーズ末期には心臓病で緊急入院もしていたほど体を蝕まれていたそうです。(もっとも若いころからリューマチと心臓病には悩まされてきたそうですが…)本当に惜しい役者を亡くしたものだと思います。もっともっと新しいシリーズが見たかったのですが、今となってはそれもかなわぬ夢になってしまいました。ただ今はどうか安らかに、としか言えません。永遠のホームズ役者、ジェレミー・ブレットに乾杯!
※注1)1984年から1994年にかけて、イギリス、グラナダTVで製作、英国ITVネットワークで放映されたシャーロック・ホームズのTVドラマシリーズを指す。
※注2)砕石を敷いた上にタールを流し、ローラーで固めた舗装。(本書より)
※注3)原作では「赤毛連盟」にはモリアーティは登場していません。
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