隙間
MEX in my hert 02/01/06
NS3から、社名を変更する気はないか?と聞かれたのは半年前でした。工具商社に勤める彼とは、FE3を介して知り合ってもう長いつき合いでした。メーカーから買うと高くなる機械部品をたまに購入する程度で、愛想は悪いが機械に詳しいし面白い男だな位に思ってましたが、たまたま作業や、K精機のレーザー加工の仕事が多くなり、その頃には急速に親しくなってきていました。
濾過機という狭い範囲での、仕事に限界を感じていたので、前向きに考えると返事をしました。気になったのは、NS3が俺と言わずに俺らと言ったことで、他にも会社を移りたい人がいることでしたが、取り扱い商品が増えれば、客先とも親密さが増し加工の仕事も増えるだろうという単純な考えから、23年前に勤務先を退社した時以来、かみさんの反対を押し切って決断しました。
以来、毎日が忙しく、不景気やリストラの話を聞く度ありがたいことだと自分に言い聞かせてきたのですが、正月4日目ともなると、さすがに残務も無くなり(やるべきことは、まだまだあるのでしょうが)ふとむなしさや、会社の将来への不安が襲ってきて、FS3が会議室に書いてくれた「忙しいとは心が無いこと」の言葉を思い出しました。
Gには不相応の荷を背負ってしまったようですが、もう投出すわけにもいかなくなりました。応援してくれた人達に顔を合わすことができなくなりますから。
一枚のテレカ 01/04/08
引き出しの中を整理していたら、古いテレカがみつかった。客間にスケッチを使わせてもらったSK3のものでした。もったいなくて使えないと思っていたのに、いつのまにか5個の穴をあけたうえに、かどは擦り切れて光沢も失せてしまって・・・
2年前までは、人工膀胱をつけて、ペースは落ちても花の絵などを描き続けていると年賀状をいただいたが、今年は始めて賀状が届かなかった。高齢で体が相当弱っているのだろう。昨年の賀状には、自分の運と家族の愛に対する感謝、花の美しさを以前にもまして感じると書いてあったが・・・・Gが驚いたのはこのボロボロのカードをスキャナーで撮ってみたら、輝いて見えたことです。
実際に絵を見ていたので、カードを頂いた時は絵も写真にすると光がなくなるものだなあと思った記憶があるのですが、長いこと名刺入れの中でこすられて光沢を失ったカードがスキャナーで撮っただけで、輝きを取り戻す。(ソフトなどを使って手を加えたりはしてません)
時を経ても、名刺入れの中で汚されて、擦り切れてもこのカードは光ろうとしてるような気がします。この10年、汚れて擦り切れてきたのはGの眼だったんじゃないでしょうか?

夜汽車の中で 00/10/31
昨晩夢をみました。少女がGによりっかかって眠っていて、なんとも気持ちよくて30年も昔の出来事を思い出しました。上京後初めての帰省列車は混んでいて床に雑誌や新聞紙を敷いて坐っていても、押し合いへし合いといった感じで酔ってる客か旅慣れてる客でもなければぐっすり眠るなんてできそうにもない状況でした。
当時は寝台車はもちろん昼の特級も貧乏学生にはつらい料金で東京脱出のための一晩の辛抱を選ぶ人が多かった。多分彼女もその一人っだったのでしょう、偶然背中合せになって、朝までその姿勢のままでした。彼女が汽車を降りていく時は泣きたい気持ちになって、その汽車が帰省の列車でなくて上京のための旅だったら、ほんとに泣けたかもしれません。
上京したてのGはどんな言葉で話しかけたらいいか検討もつかなかったし、慣れない都会の暮らしに疲れきっていて話かける気力もありませんでした。心細さが列車の中で一番安心できる所として彼女の背中を選んで移動することも体の向きをかえることもしようと思いませんでした。
その時は自分が今で言うストーカーとかセクハラとか思われたんじゃないかと気になりましたが、今では彼女も同じ気持ちだったのだろうと思えるようになりました。G同様帰省して昔の仲間たちと会って、都会の暗さも夜汽車の暗さもすぐに忘れてしまったんでしょう、そして背中のぬくもりを確かめるためにもう一度孤独になりたいとは思わないでしょうね。
高橋尚子と円谷幸吉
シドニーでの高橋選手の活躍はうれしかった。「たのしく走れました」というコメントも爽快だった。どこまでも明るい彼女を見ていて、東京で銅メダルをとりながら、メキシコ大会の前に自死した円谷選手の事が頭に浮かんだのはG一人でしょうか?
「疲れて走れません」の遺書は、彼女のコメントの対局にあるような気さえしました。時代は勿論、環境も違うし、個性も違うのでしょうが、彼も走ることが大好きだったという点はなにも変わりません。誰かに勧められたという訳でなく自分で走り始め、5000m10000mと距離を伸ばしマラソンへの挑戦も周囲の反対を押しきってのものだったようです。
二人は走ることが何よりも好きということも、妥協することが嫌いな点もにています。大きな違いは、彼女は健康であり、当時の彼は肉体的にも精紳的にもそうではなかったということでしょう。
心も体も常に変化しているので一生健康であり続けることは、誰にとっても不可能に近いことだとGは思います。男子3日あわざれば活目してみよ!の逆で尊敬していた人がだらしなく見える日があってもおかしくはありません。
老人性鬱病
なぜか憂鬱だとか、寂しいと感じるのに理由が見つからないとなると鬱症状なのですが、精神病への偏見からそれらしい理由を見つけて病院へいかずにすましていることがGにもあるかもしれません。この程度で病院に言ってたら本当の病人に申し訳ないなどと考えるのも言い訳にはなります。
父親の叔父の体験談ですが、退職して1.2年は仕事から解放されて好きな事に没頭できて楽しいらしいのですが、やがて夕方になると無償にさびしくなり訳もなく涙が出てきたりしたそうです。勿論、老化の先にあるものを見つめれば健康な人でもむなしくなります。いつも落ち着かず何かに追いかけられていた方が心の健康にはよいのかもしれませんが、一旦健康を失ったら思い切って環境を変えてみたほうがよい場合も多いようです。
身近に精神科や神経科に通院経験のある人がいない場合、他の病気と同様自分だけは大丈夫と思う人が多いでしょう。自死者が交通事故死を上回ったのは不景気の影響といわれていますが、どのような理由にせよ健康な人が選ぶ道ではないように思います。
鬱病とか分裂病の診断を恐れず医者をたずねていれば、この人たちも健康に戻れた可能性が高いと思いますし、自分でも怪しくなったらでかけるつもりでいます。たいてい医師はこういってくれるそうです。「つらかったでしょう」