身体による表現<ダンス>の可能性
橋本 素子
▼はじめに
▼序論
▼第一章 主体的で開かれた学校外におけるダンス
第一節 「踊る」という行為の非日常化
第二節 ワークショップを適してのダンス
▼第二章 創造性・表現力を育てられない学校教育におけるダンス
第一節 我国におけるダンスの位置づけ
第二節 学校教育の中のダンス教育
▼第三章 コミュニティダンス
第一節 コミユニティ・アートの一領域としてのコミュニティ・ダンス
第二節 国内外におけるワークショップの実践
▼第四章(結論) これからのダンスのあり方
▼参考文献
▼はじめに
本論文を書くにあたり,本当にたくさんの方のお力添えを頂きました。この論文が完成しましたのも,力になって下さった方々がいたからこそであり,決して私一人の力では成し得ることが出来ませんでした。お勧めの参考文献を紹介して頂いたり,忙しいスケジュールの中で質間・相談を快く引き受けて頂いたり,論文の指導までして頂いたり,本当に
ありがとうございました。心より感謝しております。
《お世話になった方々(順不同)》
伊地知裕子さん(ミューズ・カンパニー代表)
ミューズ・カンパニーのみなさん
下山浩一さん(船橋ダンスワークの会代表)
南村千里さん(振付家)
野村誠さん(作曲家)
大高香奈子さん
柴崎久弥さん
共同創作ワークショップ参加者のみなさん
ご多忙のところ本当にありがとうございました。
最後になりますが,非常にのんきに構えていた私を最後まで諦めずに指導してくださった指導教官である長田謙一先生,本当にお世話になりました。ありがとうございました。
尚,以下の文中では論文につき,敬称を略させていただきました。
著者自身,「ダンスの無い生活など到底想像もつかない!」といった程,ダンスというものに魅了されている。とにかく,ダンスというものが著者にとっては重要な生活の構成要素であり,著者の人格形成においても多大な影響を及ぼしているということは事実である。それが一体何故なのかは長い間考えてきたことではあったが,言葉にするには余りにも漠然としていた。しかしその漠然としたものをあえて言葉にしてみたいと考えたことが,本論文を書くに至ったきっかけである。
我々の周囲には実にさまざまな様式のダンスがさまざまな場に存在している。チケットを購入して見に行くステージでのダンス,地域の祭りなどで踊られている盆踊り,ダンス教室に適って習うダンス,カラオケで歌いながら踊るダンス,じつに様々である。しかし,著者はワークショップを通してのダンスに出会ったことで,本来ダンスにはコミュニケーションとしての可能性があるのではないだろうかと考えるようになった。ワークショップでのダンスはクリエイティブで即興に満ちていて,かつコミュニケーションとしての可能性を示唆するものであったのだのだ。
このワークショップを通して出会ったダンスに比較して考えると,上記のダンスには相違点がある。これらのダンスは様式化されたものであったり,模倣したものであったり,いずれにしてもクリエイテイブであるとは言い難い,という点である。我々が主体的に表現するためのダンスというよりは,洗練して人に見せるためのダンスという見方が妥当であろう。また,上記のダンスと比較すると,多くの若者がクラブでDJの選曲に合わせて踊るダンスなどはクリエイティプであると言えるが,これらのダンスでさえもワークショッププでのダンスとは相違点がある。それがクリエイティブであったとしても,集団による創造活勤でないこと,また若者を中心に普及している点である。音楽がかかっている時に子どもが自由気ままに飛んだり跳ねたりするダンスともなると,ワークショップのダンスと非常に近いものがある。この行為は人間の表現に対する意欲の現れであり,誰もが通った成長の過程であろう。「誰にでも感情の発露として,この時代があることを,自身のからだの内に本能的な欲求として感じているはず」1)なのである。しかし,それは大人になるとともに忘れられてしまっていくのが現状である。我々は何故大人になると自由な表現としてのダンスを日常から切り離していくのであろうか。それは,現代社会のダンスというものが狭い枠でとらえられてしまっていることに間題があるのではないだろうか。つまり,現代においては,くダンス>というと洗練して人に見せるためのダンスであり,自由な表現としてのダンス,つまり本論文で取り上げていくコミュニケーションとしてのダンスがその枠から外れてしまっているのである。
そもそも,コミュニケーションというとその媒介として我々が日常で頻繁に使用しているものは「言葉」というものであろう。しかし,コミュニケーションにはもっと多様な媒介があるのである。我々は多様な媒介によるコミュニケーションの中を生きていると言うことが出来るのだ。コミュニケーションとは「気持・意見などを,言葉などを通じて栢手に伝えること。通じ合い。」2)のことである。詳しくは本論で展開することとするが,つまり,我々は自分の内面にあるものを「自己」として外界に対象化し,こうすることによってお互いの自己を承認し合って共生しているのである。逆に言ってみれば,我々はコミュニケーションなしには共生することが不可能とも言える。それなのに,ダンスというコミュニケーションは日常からほとんど切り離されてしまっている。しかし,コミュニケーションとしてのダンスは自分を表現し合える場であり,我々にとっては重要な意味を持っているはずなのだ。
本論文では,コミュニケーションの媒介をダンスという身体による表現活動に着目し,そのダンスが我々の意識に働きかける可能性を中心として論じていく。ダンスや舞踊については多くの先行研究がある。しかし,それらの研究で論じられているものは様式化されたダンス,つまり形式が固定化されたダンスがほとんどである。これらの様式化されたダンスにも勿論魅力はあるが,そこにはコミュニケーションとしてのダンスの姿は殆ど見られない。それは,ダンスによる創造・表現という活動が十分になされていないからであろう。
そもそも,表現とは何であろうか。表現とは自己の表明活動であり,「表現とは自己を対象化すること」3)である。つまり,自分の内なるものを外界へ向かって開放することと言える。この対象化された自己をやりとりすることによって他者と,そして自分とのコミュニケーションを可能とするのである。フェヒテ4)によると,「本来は共同体であった人間の精神が身体によって個に分断されているのだ」5)という。だからその精神は本来あるべき共同性を取り戻そうとする。そのために言葉や身体をつかった表現があるのだ。そして言うまでもなく,この表現行為は人間全体のものであり,決して一部の限られた人々のものではない。表現という行為は人間の本能にそなわっていると言っても過言ではないだろう。人間は孤独では生きられない。これは,物理的にも言えることではあるが,なにより精神的な面をよく言い表している言葉かもしれない。
また,「表現にはなにより『承認』がともなわなけれぱならない」6)。何故ならば,表現は他者によって承認されることによってこそ存在意義があるのであって,承認されないされない表現は行き場を失ってしまうのである。しかし,はたして我々はこのことをどれ
くらい認識し,どれくらい実現させているのだろうか。表現は自己を対象化するということであるということは既に述べた。「承認」とは,その上で「身体的な存在者の表現を,固じく身体的な存在者である他者が受け止めること」7)をいうが,これがなけれぱ表現という行為の意味がなくなってしまう。お互いの自己を表現し,承認しあっていく過程,言い換えればこれがコミュニケーションであり,:「この遇程でヒトは人間となり感性を形成していくのだ」8)という。お互いが承認なしにただ表現だけをしていても,それはコミュニケーションにはならないのである。
そしてまた,「表現にはなにより『自由』がともなわなくてはいけない」9)。他から強制されてする表現などは自身の表現ではないのだ。自分の意志で好きな時に,好きな様に表現できることが大切なのである。しかし,我国の教育の現場をはじめ社会全体で,このことがどんなに軽視されていることだろうか。我々は歴史や文化の中に生きると同時に,無意識のうちにそれを背負って生きている。そのことは,普遍的な尺度というものを我々の中に芽生えさせているようだ。そして,我々は物事を見るとすぐにそれを普遍的な尺度に当てはめて考えてしまうくせがついる。しかし,その普遍的なものが普遍的であり得るには一体何を基準としているのかを疑間には思わないだろうか。第一,表現は自己を対象化することであって,その自己は一人として同じ人は存在しないのだから,同じ表現などあり得ないはずだ。表現に普遍的な尺度など存在するはずはないのである。それなのに,教育をはじめ,社会のあちゆる場面で普遍的な尺度は存在している。それを背負って生きていくことは避けては適れない道なのかもしれない。しかし,大切なのは,その尺度によって物事を歪めてみているかもしれないということを認識することであるだろうと考える。
このような「表現」という活動は現代を生きる我々にとって極めて重要な意味があるのである。なぜならば,混沌とした現代社会を生きる我々にとっては,自分自身でさえも何者であるかが分からなくなってしまっていて,それを明確にする必要性があると考えるからである。最近のニュースを見ていると,新興宗教が深刻な事件を起こしているという現状がうかがえる。「本当の自分を見つけましょう」などというスローガンで,人の心の不安や隙間やに簡単に入り込んでしまい,本当は間違っていることでさえ,正しいことだと恩い込むようにコントロールしてしまう。また,学校という現場でも自分を見失った子どもによる痛ましい事件が続いている。現代人は本当の自分自身を見失いつつあるのではな
いだろうか。しかし,本当の自分とは何であろうかと考えたとき,それは,「どこかにある新しい自分」ではない,まぎれもない「今ある自分自身」に他ならないのだ。このことに気づくためにも,表現は現代を生きる我々にとって重要なのだ。
それなのに現代社会では表現という行為を軽視してきた。そのために人間関係が希薄になってきていると言われたり,それによる様々な間題が深刻化してきているのではないだろうか。
『共感する心,表現する身体』の著者・清水満は「現代社会では,ただの政治的な行動や経済的な行動が社会的な行動として強調され,表現的活動は私的な領域に追いやられている。芸術・文化に代表されるこうした表現的活動は制度化と商業化,組織化の傾向により,私的な表現行為と,商業的な表現行為との隔離・分裂がますます進み,私的な表現行為は『趣味』とか『オタク的世界』,『カルチャーセンター』などに萎小化されて閉じ込められている。商業的・組織的・制度的な表現的行為だけが芸術・文化と見なされ,生活者はそれらの享受者にとどめられている」11)という指摘をしている。このことは身体による表現活動を含め,すべての表現活動に言えることであろう。我々の一般的な解釈としては,私的な表現活動は気違いじみた人間・変わった人間のすることであって,普遍的な価値基準を満たす商業的な表現行為を芸術と見なすことが普通ではないだろうか。しかし,私的な表現こそが我々にとって大切なのである。
また,ダンスにおいて身体の重要性は言うまでも無いが,近年「身体」というものへの見方が大きく変化してきている。かつて,身体は精神より低いものとみなされ軽視されてきた事実がある。「現代を除けば,世界史のなかで最も身体文化(身体競技)を発展させ,躍動する身体の美しさを讃えた古代ギリシア人でさえ,身体よりも精神を重要視したのである」11)。これ以降,身体はより軽視される一途をたどっていく。身体の重要性を主張する思想家がまったくいなかったわけではないが,多くの人々にとって身体とは食物を得るため,労働のため,闘いのための道具として精神の支配下におかれ,精神よりも下位に位置するものという認識が常識となっていったのだ。
日本でも,戦争中の神風特攻隊がその例に挙げられるであろう。実存する「身体」より,「お国のために我が命を捧げよう」というその精神のほうが尊いものとされていたのである。しかし,戦後の日本人は,戦争による人命の軽視への反省から「人命尊重」を重視する国民となっていった。このことは,近世から「身心二元論」12)によって分けられていた身体と精神が統合されていくことを意味している。身体という回路を伴わないでは恩索ということもできない,つまり精神も存在しえないという事実が世界的に注目され,身体が脚光を浴び始めたのである。「私とは私の身体のことである」13)というメルロ=ポンティ(1908〜1961)の言葉はそのことを象徴的に示しているだろう。多少オーバーな例かもしれないが,現代社会における「健康ブーム」や「ダイエットブーム」などは,自分の身体というものを神経質なまでに意識するようになった証拠であろう。
また,逆にこの身体が我々の意識に作用しているということも明らかにされてきた。不慮の事故などで四肢の一部を切断した人が,切断した後になっても以前と同じように四肢のある感覚で行動しているという事例は,心理学の報告しているところである。
このように考えると,「身体」による「表現」活動である身体表現,つまりダンスは我々の意識になんらかの影響を及ぼしていることは十分に考えられる。しかし一口にダンスとはいっても,我々の周囲には様々なダンスが存在している。クラッシック・パレエやモダン・パレエ,フラメンコ,社交ダンス,タップダンス,フォークダンス,など挙げていけぱきりがない。しかし著者は本来ダンスはクリエイティブであるべきだと考える。従って,踊るという行為を総称してダンスという言葉で表わすこととする。その中でも本論でダンスという言葉がさすものはクリエイティブな要素を含んだ身体表現としてのダンスとし,そうでないものは「ダンス」として区別することにする。ダンスそのものの定義については多くの議論がなされており,一般的には「律動的な動き」を指すことが多い。しかし,本論文においてはもっと広い意味にダンスをとらえるため「動こうという確かな意志と,からだの動きを統御する集中力」14)を持って身体を動かすことをダンスという言葉の定義として論じていく。
これらの間題意識をもとに,本論文は4つの章から構成する
。第一章第一節では,舞踊の歴史について述べられているいくつかの文献を参照し,踊るという行為が非日常化していった要因と絡めて,「踊る」という行為の歴史を考察していく。また,その歴史を経て今現在,我々の生きる社会構造,それがもたらすライフサイクルにどのような間題が潜んでいるのかを考察していく。第二節では,ワークショップでのダンスの経験を通して得たことをもとに,著者自身を含める現代人が抱えている諸間題を考察していく。第一節で述べた現代社会の間題点が我々の意識に及ぱしている影響を,ワークショップでのダンスがどのようなものであったのか,ワークショップの紹介,を交えながら考察を進めていく。
第二章では,第一章に述べた我々の抱えている間題点を学校教育の中に指摘していく。スポーツ・芸術・文化というキーワードを交え,学校教育の「体育科」に位置するダンスが抱えている間題点を考察していくこととする。この視点を,第一節では教育界を含める日本全体におけるダシスそのものの位置づけに着目して考察し,第二節では学校教育の中の「ダンス教育」のなかに探っていくこととする。
第三章では,ワークショップを通して出会ったダンスを「コミュニティ・ダンス」という言葉を用いて更に詳しく論じていく。我々が広く認識している「ダンス」とは何が異なるのかを中心に,第一節ではコミュニテイ・アートの一領域として生まれたコミユニテイ・ダンスがどのような歴史的背景をもって生まれてきたものなのか,第二節ではワークショップを通してどのように実践されているのかを紹介しながら展開していく。
第四章は,結論の章である。ダンスは限られた人々のためにあるのではない。ダンスには我々の意志に働きかけるたくさんの可能性をもっているし,それはとても意味のあることである。この章では,その可能性を秘めたダンスを人々が生活の中で楽しめるような社会環境を生み出すために,今後何を課題としていけぱよいのかを考察し,結論として提示する。
く註>
1)舞踊教育研究会編『舞踊学講義』大修館書店P.191991年発行
2)岩波国語辞典第四版
3)清水満:『共感する心,表現する身体』・新評論P.72 1997年発行
4)ドイツの観念論の哲学者ヨハン・ゴットリープ・フェヒテ(1762〜1814)
5)清水満:『共感する心,表現する身体』新評論P.78 1997年発行j
6)同書P.73
7)同書P.73
8)同書P,240
9)同書害P.72
10)同書P.243
11)玉木正之:『スポーツとは何か』講談社現代新書P.132 1999年発行
12)同書P.133
13)同書P.134
14)小林正佳:『踊りと身体の回路』青弓社P.36 1995年発行
▼第一章 主体的で開かれた学校外におけるダンス
第一節「踊る」という行為の非日常化
「踊る」という行為,それは古代を生きた人々にとっては,生活の一部を担う,重要な意味をもっていたということはよく知られている。人々はあるときは神に感謝して踊り,あるときは死者を葬るために踊り,「踊る」という行為が生活を構成する重要な行事として存在していたのだ。歴史をたどってみると,「踊る」という行為がヒトという動物の発生した時期をさかばってまで語られているほど古い歴史をもっていることもある。しかし,現代を生きる我々にとって,それはかつてのような重要な意味をもっていない。それどころか,非日常的になってしまっていると言ってしまっても過言ではないだろう。古代と現代における「踊る」という行為への価値のおき方にある格差,そこには様々な要因が見え隠れしている。
過去をずっとさかのぼって原始時代,すでに舞踊は存在していたという。しかも,原始民族といわれるほとんどの民族に踊りは存在していたのだ。「現在のフランスやスペインに発見された旧石器時代の壁画には,踊りが描かれている」1)という。この時代を生きた原始民族にとって,「踊る」という行為は「食べる」という人間の最も本能的な行為と同じくらい欠かせないことであった。現代を生きる我々にとっては想像もつかないことである。また,地上は「天と地の接点」であり「天はわれわれを存在の高みに誘い,地はわれわれを存在の深みに誘う」2)とされていた。この時代の踊りは「肉体と調和した踊り」3)「肉体との調和を失った踊り」4)の二つに分けられている。前者は喜びが原動力となった上方への力強い踊りや静かで落ち着いた踊りで「天上の歓喜の踊り」5)であった。これは,天上的なもの,彼岸的なものを求める人間のロマンチシズムの現れである。後者は極度の精神状態における急激なけいれん的踊りであり、「大地を慕う踊り」6)である。こちらは,人間がエクスタシーの中で士に還ることを意味していた。これらはいずれも決まった形式がなく即興で踊られていた。また,踊る原動力が喜びや悲しみといった人々の感情であったことからも分かるように,「踊る」という行為がまさに表現行為そのものであったことも読み取ることができる。
古代になって,踊りは「肉体と調和した踊り」が主流となっていく。「踊る」という行為は喜びに満ちあふれ,神聖なものとされた。神々が踊っている姿を残した遺跡が発掘されていることもそのことを物語っているだろう。この時代,人々は「人間は死んでもなお生き続ける」と信じており,死に直面することは恐怖ではなかった。むしろ喜びに近かったのだろうか。どちらにしても,人間の誕生と死というどちらの瞬間をも含め,生活のあらゆるシーンに「踊る」という行為が広く存在していたことは確かである。
中世になって,人々は時代の「光」と「陰」という2つの面を背負っていくこととなる。
「光」は農業革命や都市の発達・キリスト教の優越であり,これらはヨーロツパの人々に優越感をもたらした。「陰」はペストの流行,続く戦乱による精神状況であり,これらによって「肉体との調和を失った踊り」を「死者の踊り」として甦らせることとなる。7)そこにある「死」は古代にあった「死」とは異なり,いつかくるもの,すぐ近いものとして恐れられた。ペストの流行という恐怖,そして戦争という恐怖が人々のり「死」に対する認識までもを大きく変えて・しまったのだ。時代による人々の精神状態の錯乱が踊りの中に映し出されていることからはもちろんだが,踊りを身近にある「死」ということと結びつけて考えていたことから,この時代にはまだ「踊る」という行為は人々の生活の中に根付いていたと言える。現代では「死」という現実さえ日常から遠のいてしまっているし,それにも増して踊りを目常のこと・生活のことと結びつけて考えることなど無いに等しいが,そのような現代を生きる我々にとって,かつて当然であった踊りと生活の強い結びつきなど考えられないのではないだろうか。しかし,この踊りに対する認識の隔たりは,ルネッサンスの産物である宮廷舞踊,そしてパロックの産物であるパレエによってさらに広げられていく。
中世にはすでに富廷舞踊というものが存在していた。死者の踊りとは別に「肉体と調和した踊り」である農民の踊りも存在していたが,この二つの踊りはまだ共存していた。しかし,ルネッサンス期にはいりかつては平等だった人々の貧富の差,階級の差が急速に拡大されていった。それにともない宮廷人はドレスやストッキングといった装飾的で窮屈な衣装に身をまとい,この服装によって体の動きを制約されていった。このことは制約された動きの中でステップなどの技を重視し,それをいかに巧みに見せるか,いかに洗練するかということに執着していくことを意味する。従来と大きく異なるのは,「踊る」という行為が様式化され,即興性が失われている点である。そしてパロック時代に入り,宮廷舞踊の延長にバレエという踊りが誕生する。パレエ成立の3つの要素「踊りが見せるものとして演じられた」「踊りの内容は描象的なものではなく劇的なもの」「見るものと見られるものという構造」8)からも分かる適り,この時代に入ると現代にまでおよんでいる以下のような様々な間題を含んでいくことになる。
一つ目に,踊りが舞台の上に上がるということによって,踊り手と観客という二重構造をつくるとともに,見る側と見せる側の距離をもつくったということ。二つ目にはその二重構造によって生まれた踊らない観客の目が,より満足する舞台を要求していく.こととなり,これが技術の発達に拍車をかけることとなったこと。そして三つ目には,舞踊の専門家の出現により,今までは人間全体の生活においてあらゆる場面を担っていた踊りが,一部の限られた人のものとなっていくということ。四つ目には,特にロマンチック・パレエにおいて顕著であるが,踊りのテーマが非現実的になっていくにつれて民衆との結びつきが薄れていったということである。この間題はこれ以降,現代においてもほぼ未解決である。それを露呈し解決しようとして様々な動きが出てきているが,著者にとってはそれらのダンスでさえもほとんど非日常的であり,知識が無いと楽しめないマニアックなものであるように感じる。第一,チケットを購入して見に行くような「踊り」を楽しむには,明らかにお金と時間にゆとりが必要となってしまう。これは限られた人々にしか楽しめない状況を作り出していることになる。これは身体表現としてのダンスの本来あるべき姿ではない。身体表現は表現活動である。表現活動は人間すべてに許されている行為である。これらは身体表現としてのダンスというよりは芸術としての「ダンス」であると言ったほうが適当であろうか。我々は普段の生活の中でダンスに限らず芸術とかアートとかいったことに,受け身の姿勢で接することに余りにも慣れすぎてしまっているのだろう。
文化庁の世論調査によると,この一年間に美術,映画,舞踊,演劇,演芸,音楽の中で鑑賞したことがあると答えた人は,55%いるのに対し,これらを自分で演じたり,作ったりしたと答えている人は20,8%にしか満たない。そのうち舞踊だけについて見ると,見た人は回答者全体の3.85%,活動を行なった人は1,25%にしか過ぎない。9)「踊る」という行為についての創作活動はおろか,見るということでさえ我々の生活からは離れていってしまっている実態が明らかである。ちなみに,鑑賞しなかった理由については,「時間がとれない」が51.9%,「関心が無い」が27.9%,「近くで鑑賞できない」が20.5%,「費用がかかりすぎる」が10.3%であった。10)確かに,舞踊公演は関東圏内では頻繁に催されているが,地方へ目を向けてみるとその公演回数はわずかなものである。また,科金も低額なものは二千円くらいからあるが,著名な公演のチケツトに至っては万単位にまで及んでいるのが実態である。11)
また,現代社会で「ダンス」教室といったものが流行しているようだが,ここにも教える側と教わる側という二重構造が根強く残っているのである。「ダンス」教室そのものをすべて否定するつもりはない。もちろん多くの人が,「ダンス」教室に通い,「ダンス」をして,友人を作り交流することで生活を活性化できることは肯定的に捉えている。しかし,本来ある身体表現としてのダンスの姿はそこにはない。そこにあるのはスポーツとしての「ダンス」といったものであろう。
こうして考えていくと,「ダンス」にもいろんな「ダンス」がある。序章でもクリエイティブな要素を含むもの,含まないものに分けて,ダンスと「ダンス」に区別したが,さらに「ダンス」はスポーツとしての「ダンス」と,芸術としての「ダンス」とに分けることができるようだ。
しかし,ここでもう一つの疑間が浮かんでくるだろう。スポ一ツとは何であろうか,芸術とは何であろうかという疑間である。そのことは,第三章で学校教育のダンスについて論じるときに体育としての「ダンス」も含めて詳しく説明するので,ここではあえて触れないこととする。
とにかく,我々の周りにはたくさんのダンスが存在している。しかし,現代の人々にとってダンスとは何であるのか。人々がダンスといってすぐに思いつくのは芸術としての「ダンス」もしくはスポーツとしての「ダンス」ではないだろうか。歴史と現状を織りまぜて考えてみても,非日常化していったのは身体表現としてのダンス,つまりコミユニケーションとしてのダンスであるということが浮き彫りになる。先に述べた歴史をみても中世以降は,様式化した「ダンス」しか記録に残っていない。しかし,考えてみれば様式化されたどんな「ダンス」だって初めはクリエイティプであったに違いないのだ。日本の各地方に残されている盆踊りであっても,それははじめからあったのではなく,地元の人々によってオリジナルに創作されていった遇程があったはずなのだ。しかし,現代社会においてはその創造という過程をほとんど目にしない。時代は大きく変わり,人々の生活も変化し,それにともなって人々のもつ価値観も大きく変化したことは言うまでもない。しかし,序章でも述べた通り「表現」するという行為は本能的な行為にほとんど等しいと考える。現代を生きる人々は本能はまで変化してしまったのであろうか。いや,本能はいつの時代にも共通したものであり,変化しないはずである。だとすれぱ他に何か原因があるはずである。時代の変化の中にも,人々のライフサイクルの中にも,現代を生きる我々そのものの意識の中にもそれぞれ原因はあるだろう。
近年,若者文化の中に浸透しているHIPHOPという黒人の文化にあるダンスには即興の要素もありクリエイティブであるかも知れない。しかし,ここには年代の幅が狭いという現状がある。多少決まったステップがあり,それを踊りこなすには体力が必要不可欠であり,若年層にのみ広がりを昆せているという点で,限られた人々のダンスになってしまっているのであろう。しかし,本来あるべきダンスは人間全体のものであり,決して限られた人々のものではないはずである。
我々の生きている現代社会は,個性のいらない社会になってきていると指摘している人もいる。妥当な意見であろう。最近でこそ見直しが声高に叫ぱれてきているが,人と同じことを要求する学校教育があったり,人と同じことに安堵する我々が今もなお根強く存在しているであろうことは疑いようのない事実である。個性を必要としない社会では,表現も必要がなくなってしまっているのであろう。表現を抑制して生きるということは,自分を抑制して生きるということになる。それはコミュニケーションをも抑制していくことになる。つまり,共生していくことに困難を抱えていくことになるのである。
また,現代は物資の豊かな社会でもある。(そうでない国があることはもちろん承知しているが,ここでは日本という国について述べていく。)食物はもちろん,お金さえあれば欲しいものはたいてい手に入ってしまうであろう。これは現代においては,古代の人々にあったような踊ることへの動機が失われていることを意味している。古代の人々は,自分で狩りをしたり,植物を収穫したりして生活を営んでいたため,食物があることに大いなる喜びの気持ちや感謝の気持ちがあったのだ。それは現代との大きな柑違点であるだろう。我々は食べ物があることに当たり前のような感覚すら持っていて,古代の人々のようにそれに感謝して踊りを捧げようなどという気持ちは持つことがないのだ。もう一つ決定的に欠けていることがある。それは他でもない「共同で作業」する,ということである。地域の結びつきが薄れているとか,家族の絆が失われつつあるとか,さまざまなことが間題となっている現代社会において,今こそ「共同で作業する」ということが見直される時であろう。く共同体>というくコミュニテイ>の概念については,第三章のコミュニティ・ダンスで詳しく述べることとする。
ちなみに,社会が影響を及ぼす私たちのライフサイクルにはどんな間題が潜んでいるのだろうか。我々は「絶えず未来の地点に目標を立て,現在をそのために使うことによって人生を過ごしている」12)という。いい学校にいって,いい会社に就職して,出世コースを歩んで,いいお給科をもらってなど,これらのことがまるで唯一の人生の成功者としての道のように信じ込んでしまっている人もいるし,ここまで大げさな考えを持った人でなくてもやはり目標を未来に掲げてがんばっているのだろう。著者だってそうである。しかしそれを悪いと言っているのではない。間題は「充実した現在というものが失われている」13)ということである。未来に目標を持つことは肯定的に考えているが,現在をただそのためだけに使ってしまうようなことは好ましいとは思えない。ただ,忙しく生活している日々の中では自分のことを振り返る時間がなくなってしまうのではないだろうか。つまり,現代人は余りに忙しく毎日を過ごしていて表現する時間さえなくなってしまっているのだ。
以上に述べてきた以外にも我々の周囲にはたくさんの間題が潜んでいる。しかし,その間題に気づくには何かきっかけが必要だろう。著者は,ワークショップでのダンスがそのきっかけとなった。そのダンスとは一体どのようなダンスであったのかを,我々の意識の中に潜む間題と絡めて次の第二節で述べていくこととする。
<註>
1)石福恒雄『舞踊の歴史〜生きられた舞踊論』紀伊國屋書店P.15 1974年発行
2)同書P.26参照
3)同書P.20
4)同書P.19
5)同書P.20
6)同書P.19
7)同書P.47〜62参照
8)同書P.73
9)以上の記述は文化庁のホームページを参照
10)文化庁ホームページ参照
11)芸能文化情報センター編『芸能白害1999数字にみる日本の芸能』芸団協出版部1999年発行P,98〜115参照
12)清水満:『共感する心,表現する身体』新評論P.121 1997年発行
13)同署P.124
▼第二節 ワークショップを通してのダンス
我々は普段どれくらい自分のことを振り返って生きているのだろうか。また,どんな時,どんなきっかけで振り返っているのだろうか。著者自身そんな余裕などあまりないまま,日々を忙しく過ごしてきてしまったようにも感じている。しかし,以下に紹介するワークショップは我々の固定観念を取り払い,他者とのかかわりを通して今ある自分自身と見つめ合う機会を提供してくれる。第一節で,現代社会や,それがもたらす現代のライフサイクルの中にどんな間題があるかは指摘してきた。しかし,その現代を生きている我々自身にも多くの間題があったのである。
〜ワークショップの概要〜1)
『街が歌い,カラダが躍る。
作曲家と振付家による共同創作ワークショツプ』
主催:船橋ダンスワークの会
日程1999年12月11日(土曜日)午後2:00〜4:00
(毎月一回実施)
会場船橋市勤労市民センター・音楽室(JR船橋駅から徒歩5分)
参加費大人2000円,子ども1000円
※手話同時通訳つき
《船橋ダンスワークの会》 現:caF 2)
代表,下山浩一による千葉市船橋市を中心に活動する芸術文化系NPO。先鋭的なアーティストと市民のコラボレーションにより次世代のコミユニティ・アート・プログラムを開発している。現在二つのワークショップの企画・運営に着手し,映像作家・大木裕之氏とのアート・プロジェクト『光の庭の子どもたち』で世田谷美術館・渋谷Xp‐佐渡が島の3箇所でパフオーマンスを行なった。(現在も進行中である。)今回参加したワークショップは,作曲家・野村誠3)と振付家・南村千里4)をリーダーとして迎えた「共同創作ワークショップ」で,知的障害を持つ子ども・高校生・地域のNPOで活躍するお母さんたち・若手アーティストら多様な参加者が対等な立場で刺激しあい,長期間をかけてパフオーマンス作晶を創る,というものである。
《ワークショップの内容》
会場に行くと既に20人弱の人々が手をつないで部屋いっぱいに大きな輪をつくっているところだった。会場であるリハーサル室は学校の教室ひとクラス分くらいの大きさであろうか。地下2階という太陽光の居かないところにありながら部屋はとても明るかった。参加者全員が,各自の胸に名前を害いたテープを名札代わりに付けている。緊張している著者とは裏腹に,会場には穏やかな雰囲気が漂っていた。服装も,ジャージ姿をはじめ様々であったが各自が用意してきた自由な格好である。参加者の顔ぶれも様々で,小学生,大学生,杜会人,主婦,などじつに様々な肩書きの人々が集まっており,健常者もいれば,ダウン症,聴覚障害など,障害を持った参加者もいた。参加に必要な資格はいっさいなく,誰でも参加できる場なのである。普段はつながりも無く社会のあらゆる場所に点在している人々を一箇所に集めたような不恩議な顔ぶれであった。リハーサル室にはピアノが二台並んで壁に置いてあるだけで,あとは参加者の荷物と積み重ねたパイプ椅子以外何もない。
テープレコーダーも無かった。そんな状態でウォーミングアップは始まった。つないでいる手をゆらゆら揺らしたり,上にあげてみたり,輪の形を縮めたり伸ぱしたりして,いろいろに変形させる。輪のまま歩いて,自由に部屋を動き回る。思ってもみなかったウオーミングアップである。ウオーミングアップと言うと,いわゆる準備体操的な膝の屈伸や,前後屈,側屈などを思い浮かべてしまうからである。これらが体をほぐすウォーミングアップであるとすれぱ,ここでのウォーミングアップは心をほぐしている,つまりリラックスするようなウォーミングアップであった。動作中にも会話が至るところで飛び交っている。
普段なら「黙ってやりなさい!!」と叱られてしまいそうなものである。しかし,この場ではコミュニケーションしながら動くことが普通なのである。そこがまた雰囲気を穏やかにしている要因でもあった。他にも,背伸びしたり,掌をブラブラしながら歩いたり,輪になって座りおしりで歩いてみたり,長座してつま先をつかんでみたり,そのまま揺れてみたり,リズムをつくってジヤンケンしたり,本当にたくさんのことをウォーミングアップとして行なった。しかし,これを読めぱ誰もが分かるように,これらのウォーミングアップは誰にでも,どんな場所でもできることである。子どもだって,年配の人だって,障害を持っている人だって,ダンス経験の有無に関わらず誰にでもできることぱかりなのである。「こうしなさい」という指示も一切無い。リーダーは,勤きのヒントを参加者の中から発見して,それを皆に伝えていくことであった。そして,それを皆が自己流に多様に展開し楽しんでいくのである。
ウオーミングアップがいつ終わったのかは明確には判断できなかった。そもそも,ウォーミングアップを「これがウオーミングアップだ!」と区切る必要性はないのだろう。とにかく,その後にはいよいよクリエイティブな即興によるダンスが姶まった。今日のテーマを決定する話し合いが始まる。テーマは,リーダーが独断で決定するのではなく,参加者全員による話し合いで決定する。ワークショップでのリーダーの存在は教えるという立場の指導者でない。ワークショップには今までのような「教える側」と「教えられる側」という二重構造はないのである。この場では誰もが対等な立場なのだ。リーダーのすることは常に全体を見て,参加者全員が表現できるような場を提供していくことなのである。
これも学校でのダンスの授業における教師の立場との栢違点であろう。そして,参加者全員はお互い見えるように輪になり,意見を出し合う。今日は知的障害を持つある男の子がアイディアを出してくれた。テーマは「天使と悪魔」であったが,興味深かったのはそこに「天使の椅子」,そして「空の椅子」というモチーフが加わったことであった。こうして,ワークショップの即興によるダンスは繰り広げられていく。天便や悪魔などのモチーフを自分の思うままに表現する。ここでもリーダーからの指示は一切無い。音楽も,カセットテープやCDなどの既にある曲を使うのではない。音楽でさえも即興で創られていく。
参加者が踊っている人を見て感じ取ったことを音に込めていくのだ。楽器はピアノや笛,打楽器,ペットボトル,人間の「手」や「声」など様々であった。また,演奏者と踊り手の区別は無く,自分が表現したいことを,表現したいもので,いつでも自由に表現できる場がそこにあった。強制や,こうしなけれぱいけないといった決まりごとは何処にも無かった。本当に自分の表現したいことがあれば,なんでも自由に表現できる場であった。しかし,著者はこのワークショップで殆ど動かずに帰ってきてきた。本論文を書くにあたって,「芸術としてのダンスだけが日常で受け身という姿勢では残っているものの,身体表現としてのダンスが非日常化してしまっている」という危機感を持っていた著者自身でさえも,身体表現としてすぐ目の前にあったダンスを拒んでしまったのである。この事実が何を意味しているのか。それは,著者に限らず,大人であれば大低の人は同じような状況に陥るであろうということである。以下は,著者自身の経験をもとにして考え得る,現代人が・の共通に抱えている間題について考察していく。
第一に何かによって固定された美意識が潜んでいることである。著者自身,人に見せられるダンスと見せられないダンスの境界線が存在していた。それは言葉を簡単にすると自分の中で「かっこいい」ダンスと「かっこ悪い」ダンスという区別をしていたということである。しかし,その基準は一体誰によって決定されたものだろうか。そんなの一般的な価値基準に決まっているではないか,という人もいるだろう。しかし,序章にも述べたとJおり「表現は自己の対象化」であり,その自己はこの世界に人がいる数だけ存在する。つまり,表現だって人の数だけ,いや,それ以上に存在しているということになる。そういう視点を持つと,一般的な価値基準というものはあり得ないのである。あったとしても,それは人々が「これが一般的なものに違いない!」と思い込んでいるだけのものであって,本当は違うのだ。一般的な価値基準など存在しないのである。表現には自由が必要であるということは既に述べた。しかし,「いわゆる」一般的な価値基準がある限り,我々はそこに執着し,振りまわされて本当の自由な表現が出来なくなってしまうだろう。
第二には,ワークショップのダンスがクリエイティブであり,かつ即興であることに重要な意味を持っている。即興で踊ること,これは言葉によるコミュニケーションと同じなのである。会話をする時,我々は「言葉」を即興で操っている。固じようにダンスというコミユニケーションでは「身体」を即興で操っているのだ。「しやべるように動くのがダンス」5)なのである。しかし,即興で踊るということは自分自身を剥き出しにす.る様な感覚を伴うため,ためらいを感じる人もいる。即興で踊るということはありのままの自分自身を表現するということなのである。ワークショップを適してのダンスは,コミュニケーションとしてのダンスであるからこそ,普段の人付き合いと同じ姿勢がダンスにも表れるのである。普段の生活の中でも,人付き合いを得意とするタイプ,つまり積極的にコミュニケーションを図る人と,人付き合いを苦手とするタイプ,つまり人見知りをしがちでコミユニケーションをなかなか図れない人がいるだろう。当然ではあるが,人はそれぞれ違うのである。それなのに,苦手な人は無理に頑張ろうとしてしまい,ますますコミュニケーション,そして表現を苦手としていくことになってしまうのである。しかし,ワークショップでは強制は一切無い。「待つ」ということがとても重要視されているのである。そして,待つ姿勢がリーダーをはじめとして,その場の雰囲気に当然のように存在するのだ。
「待つ」ということは,「今の苦手な姿勢のあなたでもいいのですよ」「今のあなたでも大丈夫ですよ」と「承認」するということであり,表現には欠かせないものなのだ。そもそも,強制されてする表現など本来の自分らしい表現ではない。しかし,日常では「いわゆる」一般的な価値基準が存在し我々の自由な表現を奪っているため,表現することを厭っていき次第に忘れてしまっている。そして,表現したい何かがあってもその時にはどうやって表現していいのかを忘れてしまっているのだ。
第三に,我々はダンスというもを耳で間こえるリズムだけと結びつけて考えている。しかし,踊ることを「耳で間こえるリズムにのって体を動かすこと」とイコールで結びつけている図式の中では,耳の間こえない人は踊れないことになってしまう。それではダンスは限られた人の表規手段であることになってしまう。しかし,リズムは耳で間こえる音楽だけでなく,人間の身体の中にも宿っているのである。リーダーのひとり南村は「人間は心臓によるリズムを体内もっている」と言う。これこそ人間誰もが一番身近に持っているリズムであろう。そして,同じ空間で動いている他者の動きの中にリズムは感じられるのである。だけれど,我々は普段耳で間こえるリズムだけに頼って踊っている。「耳で聞くということは,事象と自分との間に距離をおくことであり,これは今の私たちの受け身的知覚のあり方を指摘している」6)ということであろう。つまり我々はからだを使って「もの」へ関わることを疎かにしているために,鈍感になってしまっているのである。
また,我々の体のリズムは,鼓動,呼吸,歩行のリズムであり,その他内部諸器官の運動のリズム,そして体が動き心が開くことで生じる「感情のリズム」である。「その人間が体中で外からのリズムを感じるとき,自分の内的なリズムを共鳴させている」7)のである。ワークショップで「体の内側でバランスをとって1」という言葉があった。「耳」で聴くのではなく「からだ」で音を聴くということなのである。
さらに,我々の多くは基本のステップなどがないと踊れない。しかしステップなどの基本は様式化されたものなのである。だが,「新たな可能性に挑戦するためには,何か外側にある一定の様式を借りると言うこともひとつの方法」8)だという見方もある。つまり,一定の様式を借りることそれ自体は間題はないのだろう。間題があるとすれぱ,その様式を洗練することのみに意識が注がれてしまうことである。どちらにしても,我々は与えられたことを受け身で踊ることは出来ても,主体的に創造することが出来ない。これは,作文や絵をかく作業を与えられたとき多かれ少なかれ誰でも感じたことではないだろうか。
「これについて,こういうふうに書きなさい。描きなさい。」と言われ慣れてきた我々には,真っ自な原稿用紙や画用紙だけをただ与えられも,そこに何を創造していいのか困惑してしまうのだ。つまり「説明に慣れ切ってしまったわたしたちは,どうしてもあれこれ質間したい気持ち」9)に駆られてしまうのである。しかし,表現は主体的にするものであり,本来他者の説明など必要ないはずなのである。
ちなみに,ワークショップとは参加体験型のアート活動のことである。『ドキュメント2000』によると「諸芸術に親しんだり,創造したりする方法のひとつ。知識を教える講義,明確な到達点に向かうレッスンの弱点を補う。模索する過程やメンパーの創発性に重点を置く少人数作業のこと。美術館やプロジェクトではおなじみのプログラムだが,十分に詰めないと『びっくり体験,一時楽しむ』に終わる危険もある」10)という。確かに,このワークショップで行なわれているような創造活動を初めて見た人は驚くであろうし,最初から楽しめる人はなかなかいないだろう。著者自身も姶めから楽しめたわけではない。
十分に煮詰めるというのが,時間をかけることだとすれぱこの指摘は妥当なものであろう。表現を楽しむためには,その基盤に信頼関係が成り立っていなければならないからだ。信頼関係を成立されるためには,長期的に忍耐強く「承認」していくこと,「待つ」ことが重要なのである。
また,ワークショップという場は,幅広い年齢の多様な価値観を持った人と出会えることを可能としている。こういった場でコミュニケーションを図れることは自分の価値観を押し広げていくうえで有効であるだろう。
とにかく,我々はこんなにもたくさんのジレンマ(間題)を抱えている。第二章ではこの間題を学校教育の中に検証していく。またワークショップを通してのダンスにある何がこんなにも意識に働きかけたのだろうか。これについては第三章のコミュニティ・ダンスで述べることとする。
《註》
l)船橋ダンスワークの会 (現:caF) 企画「共固創作ワークショップ」パンフレット参照
2)同書
3)くのむらまこと>作曲家1992年京都大学理学部卒業後,英国ヨーク大学へ留
学,1996年のJCCアートアワーズの現代音楽部門グランプリ受賞をはじめ,国内J
外で様々な音楽活動を繰り広げている。(以上は同上のパンフレット参照)
4)くみなみむらちさと>振付家生後七カ月時に治療に用いた注射の後遣症で聴力を失
う,1994年女子美術大学芸術学部絵画科日本画研究科修了,1998年ラパンセン
夕一ロンドン(ダンス専門のカレッジ)ISPコース修了,日本では数少ないコミユニ
ティ・ダンスの指導者(以上は同上のパンフレット参照)
5)いとうせいこう押切伸一桜井圭介『ダンシングオールナイト』NTT出版社
P.1271998年発行
6)小林正之『踊りと身体の回路』青弓社P.961991年発行
7)舞踊教育研究会編『舞踊学講義』大修館書店P.841991年発行
8)小林正之『踊りと身体の回路』青弓社P.6:11991年発行
9)同書P.52
10)ドキュメント2000『社会とアートの橋渡しドキユメント2000
活動中間報告』P.601998年発行
▼第二章 創造性・表現力を育てられていない学校教育におけるダンス
第一節 我国におけるダンスの位置づけ
我々が,ダンスという言葉を間いて想像するダンスは一体どんなダンスだろうか。HIPHOPやBREAK,HOUSEといった「ダンス」であろうか。それとも,クラッシック・バレエやモダン・パレエなどの「ダンス」であろうか。前章までに,前者は洗練していくスボーツとしての「ダンス」であり,後者はそれが見せるものとしての前提を持つ芸術としての「ダンス」であると例えた。
しかし,学校教育の中ではダンスは体育に含まれている。つまり我々の周囲には,少なくても「芸術としての『ダンス』」「スポーツとしての『ダンス』」「体育としての『ダンス』」という三つが存在していることになるのである。
「何を言っているんだ。スポーツと体育は同じではないか。」という反論もあるだろう。
しかし,『スポーツとは何か』の著者,玉木正之によると,日本では体育とスポーツを混同してしまっているのである。「明治時代に欧米からスポーツが流入して以来,日本では,長い間スポーツが『文化』とは見なされなかった。スポーツは身体を鍛えるための(強い兵士をつくるための)『手段』,すなわち体育と見なされつづけたのである」1)という。
では,体育とは何であろうか,スポ一ツとは何であろうか,というところから話を展開していくことにしよう。
体育とは「体を成長・発達させるための教育。それに関する技術・知識を習得させる教科。」2)というように,上に述べた身体訓練的な解釈が一般的であろう。しかし,スポーツに関しては様々な定義がされている。国語辞典によると「諸種の運動競技や登山などの総称」3)であり,他にも<余暇における余剰身体エネルギーの消費<浪費〉>4),く歴史に生じてきた非暴力化(文明化)の碩向を,直接身体で表象する実践の形式>(ノルベルト・エリアス)5),く人間及び勤物がその美しさを増大することを目的としておこなう努力>(マルセル・ブランジェ)6),などじつに様々である。しかし,これらに比べて「身体運動による精神の解放」7),「合理的な身体運動の中で,非合理的な人間の存在を浮き彫りにする行為」8)という定義がスポーツの本質を一番的確にとらえているであろう。つまり,スポーツは,身体を訓練するための体育ではなく,我々の内なるものを表現する行為のひとつとしてとらえられるべきなのである。体育とスポーツの決定的な違い,それは表現的でないことと,表現的であることなのである。
しかし,「明治時代スポーツが日本に流入したとき,日本人は,スポーツを身体競技としてのみ理解し,体育として利用していった」9)。このことは,軍需政策が体育教育に引き継がれてしまったことを意味している。以上のような背景を経て,ダンスという表現活動が体育に合まれていくことになるのである。
また,芸術とスポーツとの境界線についても様々な議論がある。あえて定義する必要も無いのかもしれないが,ここでは,スポーツは上記の定義をそのまま使用し,芸術は,スポ一ツの中でも見せるものという前提を含み,「これは芸術である1」という普遍的な価植基準を獲得したもの,として定義することにする。
ちなみに,体育もスポーツも芸術もすべて広い意味では文化に含まれていると言える。
文化とは「人間行動の成果」10)であり「人生の飾り」11)であり,「学習によって人間が杜会から獲得するもの」12)である。我々の生活をより豊かにするために私たち自身がつくりだしているのが文化であるのだと定義できるだろう。しかし,体育としての「ダンス」,スポーツとしての「ダンス」,芸術としての「ダンス」を考えたとき,これらは様式化されてしまっており,果たしてこれらは我々がつくりだしているものであろうか,という疑間が生じる。千葉大学教授,長田謙一は「私たちは,私たちに先行する文化の中で人間として生きているが,しかしこの私たち自身がまた文化をつくるのでもある」13)と言っている。つまり,我々の周囲には「過去につくりだされたく過去形の文化>」と「私たちがつくり出していくく現在進行形の文化>」があるのだと言える。このような視点を持つと,上記の三つのダンスはく過去形の文化>に含まれることが分かる。
しかし,第一章に述べたワークショップを通してのダンスは,く現在進行形の文化>である。様式化されておらず,形式も固定されていないし,何より即興でその場で創造されているからである。この論文では「アートとしてのダンス」と位置づけておこう。非常に紛らわしいのだが本論文では,芸術≠アートとして考察を展開する。芸術は形骸化したものや普遍的な価値基準を伴うものでく過去形の文化>に位置付けされるものとし,アートは様式化されておらず<現在進行形の文化>に位置づけできるものとして定義する。
以上から考えて,我々現代人にとって非日常化していった身体表現としてのダンスは,現在進行形の文化に位置するダンスであり,アートとしてのダンスであることが分かる。
つまり現代社会を生きる我々は,かつての人々のように身体によって,ダンスによって,創造的に即興で表現するということが出来なくなってるのだ。
図1.
《註》
1)王木正之『スポーツとは何か』講談社現代新書P.184 1999年発行
2)岩波『国語辞典第四版』P.665
3)同書P.591
4)玉木正之『スポーツとは何か』講談社現代新書P.20 1999年発行
5〉同書
6)同書
7)同書
8)同書
9)同書P.186
10)星野命『人間と文化』朝倉書店P.1
11)玉木正之『スポーツとは何か』講談社現代新書P.1831991年発行
12)星野命『人間と文化』朝倉書店P.3
13)千葉県教育文化研究センター編集,発行
『ちぱ教育と文化1999NO.56』P.24
第二節 学校教育におけるダンス
学校教育におけるダンスの歴史は,明治時代にまでさかのぽる。明治期に西洋文化の流入によってダンス教育が体系化されたが,それまでの体育は,富国強兵のため軍需政策が引き継がれた身体訓練としての形式体操一色であった。このため,主体的で自由な活動であるダンスが取り入れられたことは大きな変化であった。しかし,「表現性を重視しながらも,教師がつくった既成作品を踊ることが中心教材であり,身体訓練の域を脱するものではなかった」1)という。また,この時代にダンスという言葉はまだ使用されておらず,「行進遊戯」と「唱歌遊戯」という名称で扱われていた。2)ちなみに,「行進遊戯」は後のフォークダンスヘ,そして「唱歌遊戯」は表現・創作ダンスヘと発展していくものである。
そして,戦後の教育改革によりダンス教育も改革を迎えることとなる。体育の中に初めてダンスという領域ができ,自らのダンスを創って踊る「創作ダンス」と,仲良く踊って楽しむ「フォークダンス」が主内容となった。創作ダンスの内容は@表現技術,A作晶創作,B作晶鑑賞であり,フォークダンスの内容は@外国の民踊,A日本の民踊が取りげられた。この時代のダンス教育のねらいは,以下の三つが挙げられている。@創造力を養い,情操を陶治する。Aリズム感・空間感を養う。G社会的な性格をつくる。3)しかし,昭和52年の指導要領改訂でダンスの領域はまたも改名され「表現運動」として第三学年から実施されることとなる。表現という言棄を用いたのは,個々が自己の感じを表現することに重点をおいたからである。第一〜二学年については「基本の運勤」の中に「模倣の連動」として取り上げられることとなった。表現する前に,自ら動くことのできる子どもを育てようという目的があったのだ。表現する内容は学年によって細かく指定された。以下に引用する。4)
<第三学年>「軽くて柔らかい感じ」,「対応した動きの感じ」.
<第四学年>「重くて柔らかい感じ」,「力が急に爆発する感じ」
<第五学年>「激しい感じ」,「力強く作業が進行する感じ」
<第六学年>「鋭い感じ」,「対立する感じ」
また,フォークダンスは,表現連動に「加えて」取り扱っても良いとされた。だが,実際はフォークダンスを主としいて,表現運動が租末にされているのではないだろうか。これには,非常に多くの間題点が指摘されている。
第一には,子ども側の間題である。踊ること自体が受け身で強制的にやらされているという感覚を持ってしまうため,楽しんで踊ることができない子どももいるし,踊るのが恥ずかしくって動けない子ども,「私はどうせ下手だから…」と嫌がる子どもがいるのは予想できることである。その解決策として多くのことが文献に述べられていたが,どれもいまいち説得力がない。そもそも,まずはじめに教師側の間題を解決しないといけないのではないだろうか。
では教師側にはどんな間題があるのか。以下の四つが挙げられていたので引用する。
一つ目には,指導が難しいこと。二つ目には,指導内容がよく分からないこと。三つ目には,ピアノが弾けないから。四つ目には,ダンスの体育的価値が理解できないからである。5)三つ目の間題は,ピアノに限らずテープレコーダー等を便用することも考えられるし,第二章で述べたように,耳で間こえる音楽のみにこだわることはないのである。自分たちで歌いながら踊っても良いし,音楽がなくても踊れるのである。むしろ,音楽を使ってしまうとイメージを曲の方にに求めてしまうだろう。従って,指導要領にある表現内容を純粋に表現したいのであれぱ音楽がない方が好都合であるとも言える。学校教育の現場では「統合教育」が注目され姶めてはいるが,まだまアど実現が遅れている。そのため,健常者である私たちは,当然のように耳で間こえる音楽(リズム)や,目に見える形に頼りすぎていているのでイメージが広がりづらくなっているのではないだろうか。姶めのうちはそれで良いとしても,ずっとそれでは,ありきたりのつまらない表現になってしまう恐れがある。高学年ともなると,面自く感じられなくなってしまうだろう。リズムについては,第三章の第一節で詳しく述べるのでここでは,目に見える形について考察を進めていこう。
目の見える人にとって,対象を最もよくとらえられるのはく見た目の形>である。これが悪いのではない。著者が恐れているのはそこから先へ進めないことである。「人は見かけによらない」という言葉がある。人は外見だけでは判断できない,付き合ってみると意外な一面を持っていることがあるのだ,おおかたこんな意味であろう。これは,人に限らず,対象とすること全てに該当するのである。もっと様々な感覚を磨ぎ澄まし鋭敏な感受性を持つと,その外見に隠された多くのことが見えてくるかもしれない。教師にはその感受性が必要なのである。そして,教師が子どもの感受性を押し広げてあげることも大切な務めであろう。逆にそのことによって,教師自身も子どもによって感受性を広げられていくのである。そこには教師と子どもの栢互作用がある。教師が一方的に教えるという構図はないのである。
また,一つ目の指導法が難しいという間題は非常に感じるところがある。ダンス経験のない教師などは困惑していしまうだろう。しかし実際に一番間題なのは,教える教師自身が果たしてダンスを好きであるのかということではないだろうか。ダンスを子どもに楽しませるには確かに技術が必要である。しかし,指導法以前に大切なのは自分がダンスを楽しめることであるだろう。指導法はその次のことである。最後に,ダンスの体育的価値を理解できないという間題であるが,この間題も上に述べたことに共通することがある。価値を理解できない,つまり価値が見いだせないめは教師自身がダンスを楽しめないという状況に置かれているからであろう。しかし,考えてみれぱ,教師もまた,本論で展開している間題点の多々ある学校教育を受けて育ってきたのである。なかには,恵まれた教育を受けて素晴らしいダンス教育を展開している教師もいるだろう。だが,著者自身はそのような楽しいダンス教育を学校で受けた記憶はあまりないのである。
そもそも,学校教育全体にダンスを含めた体育に対する軽視が指摘できるのではないだろうか。「身心二元論に立つ教育の思想は,今日なお根強く残され,人間教育の主体は,知的な教育にあるという考え方が偏知教育を招き,国語,算数,理科,社会に加えて現在では外国語の教育が重要視され,体育,音楽,芸術,家庭なるものはさして重要ではないと考えられている」6)のである。確かに,知識な能力を習得することは重要な教育活動ではある。しかし,その知識は健康な身心を持って,はじめて活かされるのである。つまり,基盤になっているのは健康な身心であって,この基盤がしっかりしていないところに知識だけ詰め込んでも,その知識は無駄なものになってしまう恐れがあるのである。現代社会でも,精神の破壊による様々な間題が起こっているが,この精神を破壊する要因として過激な受験戦争,知識偏重の教育が絡んでいることは否定できないだろう。
また,平成元年度版小学校指導書の体育編によると,体育科の目標は以下の通りである。7)
適切な運動の経験と身近な生活における健康・安全についての理解を通して,運動に親しませるませるとともに健康の増進と体力の向上を図り,楽しく明るい生活を営む態度を育てる。
しかし,ダンスはこの目標に沿っていないのではないだろうか。どちらかと言えぱ,以下に引用する図画工作科の目標に沿っている。8)
表現及び鑑賞の活動を通して,造形的な創造活動の基礎的な能力を青てるとともに、表現の喜びを味あわせ,豊かな情操を養う。
ダンスは,身体訓練のためにあるのではない。明治時代から現代への移り変わりの中で「身体修練のためのダンスから,児童中心主義に基づく全人形成としてのダンスヘと変容してきた」9)という声もある。確かに変化はしたのだろう。しかし,指導書が授業をしているのではない。授業は教師という人間によって行なわれている。そのため,教師が表現であるダンスを体育の他の種目と同じように扱っている限り,間題は解消しないのではないだろうか。ダンスは直接身体を使うものであるため体育の中に位置づけられているのかもしれない。しかし,ダンスは表現活動であり,創造活動である。このことを忘れられているために,ダンスが本来の可能性を失い,授業でも嫌がられていってしまうのであろう。
自由な表現の保障されていないダンスは受け身でしか踊ることがないのである。現代を生きる我々が身体を使って表現するということを日常から切り離していく原因は,このような学校教育にも根深く残されているのだ。
また,学校教育の中でダンスについてはどのような基準で評価をしているのだろうか。
参考文献より抜粋した項目を以下に示す。
○は子どもの自己評価,●は教師の評価の視点10)
○楽しくできたか,一生懸命やったか,協力できたか,どんな点で進歩したか
●柑手と協力できたか,よく練習されていたか,
表現する喜びを知ったか,恥ずかしがらずにやったか,動きは内容にふさわしかったか
子どもの評価は,ともかく教師の評価の視点に間題がある。一つ目には,恥ずかしがらずにやったかどうかを評価することである。第一章第二節でも述べたことだが,人間には個人差がある。従って表現には「待つ」ということも必要なのである。恥ずかしいのは,その子どもが自由に表現する機会を十分に与えられてこなかった可能性が非常に大きいのだ。個人内評価ならともかくとして,栢対評価をすることは個性を押しつぶすことにつながってしまうのではないだろうか。また,動きが内容にふさわしかったかどうかを評価することには,いかなる基準を持って望んでいるのであろうか。表現は自己の対象化であり,人の数以上にたくさんの表現がある。従って,教師の主観的な「いわゆる」一般的な価値基準を持って子どもの表現を評価することなどあってはならないのである。表現を評価するということ自体に疑間を感じる。それはダンスに限らず,図画工作科の評価についても同じである。表現を評価するということは,評価者のフィルターが必ず入りこんでいるということであり,憲法にも保障されている「表現の自由」がなぜ学校教育の中では保障されていなのであろうか。その教師と合わなかった子どもの表現は,「運が悪かったのだ」では済まされない。評価が存在するために,私たちは「うまく踊らなくては!」とか,絵は「上手に描かなくては!」とか怯えてしまい表現することを厭っていくのであろう。学校の絵画コンクールなどでクラス全員分の絵を廊下に飾り,金賞や銀賞を付けられた記憶はないだろうか。こういった,表現に優劣を付ける行為が自由で伸びやかな表現を奪っているのである。極端な話ではあるが,絵画コンクールなんて「全員金賞!」であるべきなのである。
また,「我国のことを振り返ってみると,日本の教師は,研究授業などの時は他の教師が見て恥ずかしくないレベルまで生徒のレベルを平均的に上げることにばかり傾注し、いわば身内の中での世間体,見てくれのほうが大事になっていることがある」11)という指摘もある。受け持ちのクラスの出来が,まるで自分自身の教師としての評価であるように勘違いしてしまうからであろう。しかし,子どもの意志を尊重しないところに,自由で伸びやかな表現などは求められないのである。表現には「選択」の機会が必要なのである。
何を,何で,どういうふうに,表現したいか選択する機会を持たせる勇気が必要である。多くの教師にとっては,自分自身で決定したことを与えることの方が楽であり,楽なほうに逃げてしまっているのではないだろうか。教師の決定したことを与えるような受け身の表現ばかりを教育していたのでは,受け身の姿勢が身に付いてしまうのは避けられなくなってしまう。多歩の困難は覚悟しなければならないが,思い切って選択権を子どもに与えてみれば自由な表現が少しずつ芽生えてくるのではないだろうか。教師に必要なのは,予想しないことに臨機応変に対応する能力であろう。
《註》
1)舞踊教育研究会編『舞踊学講義』大修館書店p.120 1991年発行
2)同書P.119
3)大学女子体育研究会編『ダンスの指導』明治図書P.5〜7参照
1969年発行
4)新教科体育研究会編『できた喜びを体験させる 表現運動の指導』東洋館出版社P.328 1979年発行
5)水谷光『ダンス指導ハンドプック』大修館書店P.31〜35参照1975年発行
6)同書P.35
7)文部省『小学校指導書体育編』1992年発行
8)文部省『小学校指導書図画工作編』1992年発行
9)舞踊教育研究会編『舞踊学講義』大修館害店P,112 1991年発行
10)水谷光『ダンス指導ハンドブック』大修館書店P.20〜22参照
1975年発行
11)清水満『共感する心,表現する身体』新評論P.201997年発行
▼第三章コミュニティ・ダンス
第一節 コミュニティ・アートの一領域としてのコミュニティ・ダンス
<コミュニティ・ダンスと>は,様式を指す言葉ではない。<コミュニテイ・アート>の中でも身体を直接つかって表現する様々な活動のことである。そのため,はじめに<コミュユニティ・アート>について述べていく必要があるだろう。
「コミュニティ・アートは第一次世界大戦後から始まり様々に変化を遂げてきたのだ」と,コミュニティ・ダンスの指導者,南村は言う。第一次世界大戦は日本の人々の生活だけでなく,精神にまで大きな影響を及ぽした。しかし戦後の生活に楽しみは少なく,人々は沈んだ精神に「光」を求めていたのだ。そこに<コミュニティ・アート>がスタートされたのである。この当初の<コミュニテイ・アート>の目的は「戦争ですさんだ人々の精神を明るくしたい」というものであった。アートによって人々の精神に明るさを取り戻そうと考えられたのである。しかし,<コミュニティ・アート>は「地域が住民へ与える」という形で広められていったため,住民にとっては受け身のものであった。今日の我々の芸術やアートに対する受け身の姿勢はこの時代のものが根強く残ってしまったのだろうと考えられる。そして,このコミュニテイ・アートの浸透によって国中にアート・カウンシルやサポート組織が生まれていった。
また,以下のような定義もされてる。ミューズ・カンパニー代表の伊地知裕子は「コミュニティ・アートが具体的に姶まったのは1968年頃で,これはアートのあり方に疑間をもったアーティストたちがアートを町中ヘ,人々の手に返すことを主眼として生まれてきた」1)と定義している。「『人々による人々のための』アート運動」であったのだ。2)ある団体では「アートに対するアクセスと参加が可能であり,中央に集中することなく,異なったコミュニティの二一ズを反映する様々なアートをコミュニティ・アートと,定義しそのことによって初めて民主主義が達成される」3)と定義している。以上から,アートは過去のように限られた人々のためのものではなく,人間全体のものとしてとらえられていったことが分かる。そして,コミュニテイ・アートは「アーティスト,および住民にとって,コミュニケーション及び表現の手段」4)である。このコミュニケーションによって,人々が集まり,親交を深めらていき,そのことが「個人における発達や社会的なつながりをもたらす」5)ところまでつなかっていくのだ。そもそも<コミュニティ>とは,一般に<地域>または<地域共同体>という意味で認識されていることが多い。アメリカの社会学者マッキーパーによる定義を以下に要約する。
6)
コミュニティの基本的指標はひとつには<地域性>がある。<地域性>とは人々がともに住み,ともに属することによって生じる他地域との差異や社会的特徴のことである。もうひとつの指標が<共同体感情>である。これは住民栢互の間に生じる人間生活全般に渡る関心や共通の所属感情を指す。
確かに日本という「国が」「各地方」の「住民」を対象ににアートを投入した戦後の日本においては,この<コミュニテイ>の概念でとらえることが出来ているかもしれない。しかし,現在の<コミュニティ・アート>の<コミュニティ>とは以上に述べてきたような,狭い意味の<コミュニティ>ではとらえ切れないだろう。私たちの社会はめざましい発展・発達により以前のような狭い意味のくコミュニティ>=<地域>,<地域共同体>という図式より,格段に範囲を広げているのである。『コミュニティ心理学への道』の著者,安藤延男の述べていることがこのことを適切に表わしているので引用する。7)今日のような都市化・大衆社会化の急激に進行する状況下では,かつての村や町の生活に見いだされた如き,地理学的な実体や<地域性>に依存するコミュニティはきわめてあいまいとなり,また大都市の近隣社会では<共同体感情>も著しく希薄化をきたしている。これにひきかえ,<社会的栢互作用>の範囲は,交通・通信手段の飛躍的発達によって以前とは比較にならぬほどの広がりを見せている。こうした事情は,<杜会的栢互作用>を地理学的な<地域性>の制約から解放し,さまざまな機能的集固や人びとのネットワークの成立を可能にしている。
<コミュニティ>の概念は時代の流れと共に変化しているし,これからも変化していくと言えるであろう。もはやくコミュニティ>とは,く地域>やく地域共同体>といった固定的なものだけではなく,もっと多様な枠のくくり方で考えられていくべきである。幅広い流動的な<コミュニティ>としてとらえ直す必要があるだろう。そして,この流動的なくコミュニテイ>の二一ズを反映していくためにくコミュニテイ・アート>があるのである。
また,英国では数多くの団体がコミュニティ・アート・エデュケーション・プログラムを提供している。そのことを示す以下の表を引用する。
図2.英国の地域でさまざまなコミュニティ・アート・エデュケーション・プログラムを提供している団体
コミュニティ・アート、エデュケーション・プログラム
@プロフェッショナルな芸術団体(例:ロイヤルシェイクスピアカンパニー、イングリッシュ・ナショナルオペラ等)
A地域における各種コミュニティ・アート団体
B博物館、美術館
Cアート・センター、劇場
Dアダルト・スクール(各行政区や市)
E大学等(但し、コミュニティ・アート・ワーカーを育成するコース)
Fフェスティパル(LEFT等)
Gその他
出典:伊地知裕子『英国におけるコミュニティ・アートの伝統』
しかし,これに比べて「日本では,立派な文化施設は各地方にいっせいに建築されたけど,住民のためのアート教育活動,アートイベント,コミュニティ・アートのようなプロジェクトを運営していくアートアドミニレスター,エデュケーション・オフィサー,また,コミュニテイ・アーティストがほとんど不在である」8)という。第二章のワークショップリーダー南村も「日本ではコミュニティ・ダンスは学び切れない」と話していた。実際,彼女自身はイギリスで勉強を積んできたという実績がある。日本でも,<コミュニティ・アート>が広がりつつあるのは感じるが,やはりまだ限られた人にしか知られていないというのも事実であろう。国内のアーティストの育成もまだ取り組みが少ない。その状況の中でミューズ・カンパニーの企画・制作により「コミュニティ・アート・リーダー養成コース」というものがおよそ10年前から実施されているので,以下に紹介する。
《ミューズ・カンパニー》9)
アート・マネジメント会社。障害の有無,年齢,アート経験の有無,学歴などにかかわらず,すべて人の中にあるアーティストの部分を体験できる各種ワークショップ(教育プログラム)の企画制作,他。代表,伊地知裕子により10年ほど前から活動を行なっている。以下に紹介するワークショップ以外にも,様々な領域のワークショップの企画をしている。昨年11月に行なわれた「カンドウーコ・ダンス・カンパニー」日本公演の企画・制作・招聘もミューズ・カンパニーによるものである。
《コミュニティ・アート・リーダー養成コース》10)
表現ワークショップ・シリーズC
●「触覚の探検から美術表現ヘ」2000年1月13日/20日/27日
さまざまなものを手で触るところから感覚やイメージを広げ作晶をつくっていく。
●「伊藤キムのダンス・ワークショップ」2000年2月4目/10日/18日
緊張と脱力,外部の力,即興の3つをポイントを中心にしたワークショツブ。
●「『サンマイム』と『サンポエム』」2000年3月/1日/15日/22日
手話,パントマイム,手指,身体,表情をつかって表現してくことで,個々のイマジネ ーションを広げていく。
※参加費は各ワークショップとも10,000円(3日間通し)
<コミュニテイ・ダンス>はこのような<コミュニテイ・アート>の一領域である。つまり,人々から離れていってしまったダンスを再び人々の元へ還そうとしているのである。第二章,第二節のワークショップを通してのダンスはまさにこれであろう。つまり,ワークショップでのダンスはコミュニケーションとしてのダンスであり,<コミュニティ,ダンス>であるのだ。この意味でのダンスは人間全体のものである。しかし<コミュニティ・ダンス>が<コミュニティ・アート>と同様,いや,それ以上に知られていないということは明らかである。間題としては,大戦後スタートした時点での受け身の姿勢が尾を引いていることも挙げられるが,その他にも,指導者がいないことは大きな間題点である。実際<コミュニティ・ダンス>をイギリスで本格的に学んだ指導者は国内に2人しかいないのだ。
しかし,既に述べたように「表現」するということ,そしてその「表現」を「承認」し合う<コミュニケーション>ということは我々にとって重要な意味を持っているのである。
『コミュニケーション論』の著者,生田は「生物が集団生活を営む以上はその成員の間になんらかの結びつきが不可欠であり,また,そのためにはその間になんらかのコミュニケーションが必要である」11)と述べている。我々はコミュニケーションによって他者との間に栢互関係を形成しながら生きているのであるその栢互関係のうえに成り立っているのが我々の生きている社会である。「コミュニケーションはあらゆる社会を通じての最も基礎的な過程である」12)と言うことが出来るであろう。このような<コミュニケーション>としてのダンスには我々の意識に働きかける大きな可能性があるのである。しかし,このダンスが「クリエイティブであること」はともかくとして,「即興であること」はいったいどんな意味を持っているのだろうか。
分かりきっていることだが,即興のダンスは決してテクニックを教えるものではない。
「インプロビゼーション(即興)ダンスは,私たちをだんだん自分の感性に正直に反応させていくようになる」13)のである。即興で踊ることでは,決してうまく踊ることを要求されているのではない。我々はそれぞれに異なった経験を持っている。「即興は初心者から熟練まで経験に応じてそれぞれの今もっている力でつねに新しく勝負する,つまり今もっている財産をまるごとぶつけて,『今,ここで,私と,私たちが』ダイナミックに交流するという表現の根元的でしかも大きな幅を持った行為」14)なのである。
また,様式化されたクラッシック・バレエが「身体を自らの外部におのれを放射するような動き」15)を展開したのに比べて,コミュニケーションとしてのダンスでは「身体を内部に開いていくような動き」16)と例えられる。即興で踊るということは,自分自身の内都に深く集中していくことなのである。即興で踊ることで「一人ひとりの創りだしたフォームや動きが美しいのは,頭だけで考えだされたものではなく,自分の内面への集中から自分自身を表現しているから」17)とウォルフガング18)は言う。彼はまたこうも言っている。「瞬発的な創造力が人生には必要なのです。与えられたものにすぐに反応する作業の仕方をしていくことで,人生のさまざまな局面に創造的に対応していくことができるようになる」19)のだと。現代を生きる我々には,この「創造的に対応していくということ」が欠けてしまっているのではないだろうか。そして,その欠如が第二章で述べた,「いわゆる」一般的な価値基準を生み出してしまっているのだ。
また,これまではダンスのコミュニケーションというと,主として踊り手あるいは創り手と観客との間での伝達・メッセージとしてとらえられることが多かった。しかし,「身体で語る世界は,もっともっと豊かなコミュニケーションの場面を含んでいる」2。)という指摘がある。これはとても妥当な指摘である。何故なら,即興であるということは,創り手と踊り手が必ず同一の人間である。つまり,コミュニケーションとしてのダンスには<創り手>もく踊り手>も<観客>も区別がないからである。その空間にいる参加者全員が,<創り手>であり<踊り手>であり<観客>でなのである。それぞれが一人三役をこなしているのだ。
以下の図3は従来の「ダンス」のコミュニケーション・モデルであり,図4はコミュニケーションとしてのダンスのコミュニケーション・モデルである。従来の「ダンス」のコミュニケーションに比べて,ダンスのコミュニケションの方がはるかに綿密なネットワークでメツセージをやりとりすることが出来るのである。
図3
図4
このようなコミュニケーションを含んだダンスとはどんな意味を持つのであろうか。『舞踊学講義』によると,ダンスは「自分自身との対話であり,また共に踊る仲間との感じ合いの世界である。ダンスによるコミュニケーションは,むしろこのような自他との交流,共感,共有する世界,そして『ノンパーパルな表現の独自性』としてとらえていったほうが意味がある」21)のである。つまり他者とのコミュニケーションに限らず,自分自身とのコミュニケーションを園れるのがダンスなのだ。
ダンスによるコミュニケーションは,言葉が話せない人とだって,言葉が通じない人とだって,文化が異なる人とだって,誰とでも分かち合えるものなのだ。「一人ひとりが異なる栢手との微妙なコミュニケーションをはかる繊細な感受性を養う」22)のがダンスなのである。
第二章,第二節で紹介したワークショップの参加者から,踊ることは「自分自身を振り返るきっかけとなる」という話をしてもらった。たとえダンスが直接的に変化をもたらさなかったとしても,ダンスを一つのきっかけとして,自分自身としっかり見つめ合うことができるのは重要なことであろう。「他者を,自分を,肯定的に考えられるようになった。」という参加者もいた。「ダンスの力は自分自身やお互いの声に耳を傾ける能力を養うことにある」23)のだ。
また,「ダンスは身体の表情である」24)という例えがある。この表情としてのダンスを含め,「人間の表情はおそらく他者と生存を共にするところから生まれてきた生理的反応であろう」25)と『舞踊学講義』の著者は述べている。表情は表現であり,つまり,表現というのは他者の存在があって初めて意味を成すのであるということだ。他者の存在なしには,表情,そして表現も意味がなくなってしまうのである。表現には自己と並んで他者が必要なのである。そして,「コミュニケーションに表れる身体というのは科学の対象となるような単なる物理的実体ではなく,心を包含して表情をともなった身体であり,それに反応する身体もまた表情を持っている」26)という。これが,ノンバーパル・コミュニケーションといわれるもので,身体によって租手の心に直接的に感応し,言葉のコミュニケーションにもまさる非常に多くのこと,奥行きを持つものを伝えることができるのである。そして,このダンスというコミュニケーションにおいては,即興だからこそその「場」と「人」が生きた表現になるとも言える。つまり,「踊りの動きや律動そのものが人と人の中からその都度生まれてくる」27)のである。
また,からだを自由にすることは,心を解きほぐすことでもある。これは,序章にすでに述べた「身体は逆に私たちの意識・にも統一的に作用している」ということを物語っている。自由に表現するということは,自分の心を外界へと開放することなのである。つまり,からだが自由になることで,心も自由になれるのである。
《註》
1)平成9年度地域・草の根交流欧州派遣事業『芸術と社会を結ぶ』報告書より
伊地知裕子『英国におけるコミュニティ・アートの伝統』
2)1999年カンドウーコダンス・カンパニー日本公演パンフレット
3)平成9年度地域・草の根交流欧州派遺事業『芸術と社会を結ぶ』報告書より
伊地知裕子『英国におけるコミユニティ・アートの伝統』
4)同書
5)同書
6)安藤延男『コミュニティ心理学への道』新曜社P.51979年
7)同書P,8
8)平成9年度地域・草の根交流欧州派遣事業『芸術と社会を結ぶ』報告書より 伊地知裕子『英国におけるコミュニティ・アートの伝統』
9)月刊『音楽広場』1995年4月号〜1996年3月号参照
10)ミューズ・カンパニー<コミュニテイ・アート・リーダー養成コース>の案内参照
11)生田正輝『コミュニケーション論』慶応通信P.161982年発行
12)同書P.5
13)月刊『音楽広場』1995年6月号P.45
14)舞踊教育研究会編『舞踊学講義』大修館書店P.16 1991年発行
15)多木浩二『思想の舞台』新害館P.781996年発行
16)同書
17)月刊『音楽広場』1995年8月号P.65
18)<ウォルフガング・シュダンゲ>ベルリン生まれ。ロンドンを拠点に障害を持つ人,もたない人,心臓疾患者などに,創造的身体表現を教え始める。障害をもつ人と,もたない人が団員の「アミキ舞踊劇団」演出家。(月刊『音楽広場』1995年4月号P.35参照)
19)月刊『音楽広場』1995年10月号P,91
20)舞踊教育研究会編『舞踊学講義』大修館書店P18 1991年発行
21)同書P.18
22)月刊『音楽広場』1995年12月号P.83
23)日本経済新間1997年11月22日発行
24)舞踊教育研究会編『舞踊学講義』大修館書店P.79 1991年発行
25)同書P.18
26)同書P.18
27)清水満『踊りと身体の回路』青弓社P.44 1991年発行
第二節 ワークショップの実践
受け身の姿勢を捨て,注意して探してみると,我々の身の回りにもワークショップは意外と多く存在している。ダンスそのもののワークショップはまだ数少ないかもしれないが,それでも確実に存在しているのである。ここに紹介するのはそのほんの一部ではあるが,自主的に参加した人々が,自分の表現を模索し,その過程を適して変化していく場面はとても印象的であった。
《第一回ちば人権展/なくそう差別・県民ひろぱ》1)
The Human-Right Exhibition in chiba
主催:社団法人千葉県人権啓発センター
地元協力市:千葉市
全体テーマ「人権は一人ひとりの宝物」
期間1999年12月14日(火)〜19日(日)
場所千葉市文化センター/中央公園(JR千葉駅から徒歩10分)
ちぱ人権展は以下のプログラムをとおして,世界,日本,千葉県の人権間題を広く知ってもらうことを目的として催された。
プログラムは,展示の部(人権展,NGO‐NPOの見本市),子どもの人権相談(不登校について,法律相談,ほか),きららららフェスティパル(フリーマーケツト,クイズ,工作の体験,ほか)),公演の部(人権講演会,コンサート,人権映画上映会),そして人権ワークショップの部に分かれていた。
このうち著者が参加したのは,参加型のプログラムの人権学習体験としてとして,子ども・女性・障害者・被差別部落・環境・国際ボランティア間題等などに取り組むための16コマの人権ワークショップのうち『コミュニテイとアート』〜共同ワークショップ〜3DAYSである。これらのワークショップは,異なる立場の人々の栢互理解を促進したいという目的もって催された。ワークショップの概要は以下に紹介する。
〜コミュニティとアート ワークショップョップ・3DAYSの概要〜2)
日程:1999年12月16日(木)〜18日(土)
時間:14:00〜16:00
会場:千葉市文化センター・6階・第1スタジオ
参加費:おとな6000円、子ども3000円
講師:野村誠,南村千里
企画:船橋ダンスワークの会 (現:caF)
※手話通訳付き
参加者は1日目10人,2日目15人,3日目15人であった。開催日が平日ということもあり意外に少なかった。しかし,年齢も,性別も,障害の有無も関係なく,参加者には様々な背景を持つ人が参加していた。
このワークショップではダンスを創ることだけが目的ではない。自分の表現したいことをダンスはもちろん,何を使って表現してもいいのだ。ダンスで表現する人,歌で表現する人,打楽器で表現する人,ピアノで表現する人,人によって様々であった。ダンスは,手話を取り入れた動きがあったり,人の模倣をし,それをさらに発展させる動きがあったり,どれをとっても新鮮であった。しかし,共通してその顔にあるく表情>は見ている側にも迫ってくるものがあった。
活き活きとしているだけではない。自分の創造している世界にのめり込んでいるとでも表現すれぱいいだろうか,言葉にはできない人間の持つ奥深いものに触れたように感じられた。言葉にできない表現は,表現者の言葉にならない心の姿を映し出していたのだろう。そして,ワークショップの内容,雰囲気は3日間ともそれぞれ違ったものであった。参加者の顔ぶれや,その場所自体が左右する要因となっていたのであろう。それだけ表現というものが人と場と強く結びついていたのだ。
会場の照明効果もあってか,「即興で創造されているダンスや音楽などがとても神秘的だった」と述べている見学者もいた。自分のありのままの表現をさらけ出す心地よさがとてもよく伝わってくる創造活動であった。
《共同創作ワークショップ》3)
日程:2000年1月8日(土)
会場:船橋市:市民文化ホール・2階リハーサル室
時間:14:00〜16:00
参加費:大人2000円、子ども1000円
企画:船橋ダンスワークの会 (現:caF)
※手話通訳付き
参加者は,小学生が3〜4人くらい,中・高校生が2〜3人,大学生が3人,残りは社会人7〜8人の,計17人か18人位であった。
ウォーミングアップは2人組をつくって,一方の先導によって,もう一方が目を閉じて歩くというものであった。先導は歩いている人の背中を1本の指で押すことによって行なわれる。背中の中央に指が触れたらまっすぐ歩く,右だったら右へ曲がる,左だったら左へ曲がるという合図である。神経を背中へ集中して歩かなけれぱならない。自分の意識を自分の身体に集中するということは日常で滅多にないことである。また,目を閉じると視覚以外の他の感覚がとても敏感に働き出すのが感じられた。
グループ・ワークでは「犬の歯みがき」というテーマで,ひとグループ4〜5人になった各グループが創造活動を行う。具体的なイメージや描象的なイメージ,セリフ付きのグループ,マフラーという小道具を使うグループなど,パラエティに富んでいた。
ワークショップの終わりには反省会があり,参加者全員で反省や感想を述べあう。参加していた小学生の子どもたちが「また来たい!」とこっそり話してくれた。グループごとの発表が終わった後も,この子どもたちがはじめに言ったセリフは「楽しかった!」である。発表が大評判であったことも,自分の創作を認められたこともうれしかったのであろう。その笑顔がとても印象に残った。表現には,<承認>が伴わなけれぱならない,この重要さを突きつけられたように感じた。楽しいと恩わなければ,後につながっていかないのである。もし仮に,今日の参加者がその子どもたちの表現を誉めるのではなく,(たとえ悪気がなくても)酷評していたら,その子どもたちはもう二度と表現を進んでしなくなってしまうかもしれないのである。自主的で自由な表現には,<承認>という行為が決して欠かせないのである。
以下は,これから先に予定されているワークショップである。従って,概要のみを紹介することとする。
《ダンス・ダイナミクス・ワークショップ》4)
日程:2000年3月18日(土)〜4月2日(日)
会場:東京・大分・別府の各会場
講師:ウォルフガング・シュタンゲ<Wo l f g a n g‐St a n g e>
主催:ミューズ・カンパニー
協賛:トヨタ自動車(株)KOA(株)伊藤患商事(株)(株)資生堂
以下に去年の参加者の声を引用する。
1つの事柄やインスピレーションから,どんどん広がりを見せて,人と人とが輪になるという連帯感。逆に普段の生活の中でどれだけ自分が決まりきっているものの中で生きているかということを実感できた。(東京20代女性)
コミュニケーションを取ることと,アートを創り上げることが,当たり前のようにつながっていた。(佐賀20代男性)
オープンに心を開いてすぐに反応することの大切さを知り,人生についても積極的に生きていくことが出来るように思います。(東京60代女性)
ワークショップを通して,ダンスというコミュニケーションを通して,現代を生きる我々が忙しい毎日の中で見遇ごしてきた自分をしっか.りと見つめる機会を持つことは重要である。普段の生活の中で当然のように恩ってきた自分の価値観を押し広げ,視野を広く持つことは他者と共存していく上で非常に意味のあることであろう。コミュニケーションを適して我々が得られるもの,それは他者や自分自身に対する新しい見方,今ある自分自身への自信,そして他者に対する寛容な姿勢であろう。
《註》
1)第一回ちぱ人権展パンフレット参照
2)第一回ちば人権展,人権ワークショップ<共同ワークショップ・3DAYS>案内参照
3)ミユーズ・カンパニー企画くダンス・ダイナミクス・ワークショップ>案内参照
▼第四章 これからのダンスのあり方
身体で即興で表現するダンスは,コミュニケーションとしての可能性を持つ。即興で表現するということは,自分自身の中に深く集中することであり,そのことによって,外界へ向かって心が開いていくのだ。その心が開いた状態でコミュニケーションが成立するのである。
しかし,そのコミュニケーションとしてのダンスが現代社会ではほとんど見いだせない,というのが現状であることも述べた。自分から「やろう!」という人が非常に少ないのである。ワークショップに来る人々は主体的である。そのため,自分から外に目を向け,表現する場を求めてワークショップに来るのである。間題は,表現しくても表現する場を知らない人がいることである。特に,ダンスについてはほとんど知られていないのだ。舞台芸術であるダンスを受け身で楽しむことはあっても,自分自身で創造することがないのでjある。見るためのダンスと,創造して踊るためのダンスは持っている意味が異なる。私たちが今まさに必要としているのは,コミユニケーションとしての身体表現であるダンスなのである。ある人は「なぜ今ダンスなのか?ではなく,なぜ今までダンスでなかったのか」と言っている。なぜなら,ダンスによる表現は,もともと原始時代から脈々と受け継がれてきて我々の日常に深く入り込んでいたのである。自由な表現であるダンスを取り戻すために今最も重要であるのは,「承認」する態度であろう。実現の鍵をにぎっているのは我々の中に潜む「固定観念」を取り払えるかどうかである。固定観念がある限り,我々はどうにかその範囲内に収まろうとしてしまう。物事を見るときも,その固定観念のもとに生じた「一定の尺度」に当てはめて考えてしまっているのである。自分の持っている固定観念に気づくことが出来れぱ,自分の感性に正直になることが出来るのである。コミュ二ケーションとしてのダンスは,多くの人とかかわることで自分自身の持っている固定観念に気付き,価値観を押し広げるきっかけを与えてくれるのである。
また,近年崩懐しつつある<共同体>としての<コミュニティ>について,『共感する心,表現する身体』の著者,清水は「表現的」な民主主義を持ってすれば解決できると言う。「『表現的民主主義』は,政治的な民主主義を補完して,それが形骸化しないようにする最大の歯止めとして役立つ」1)と述べている。表現的民主主義とは,人々が「関与」して「協固」で「制作」する中で,「共感」し合い,「理解」し合うことによって「自己発見」をする過程を指している。2)つまり,希薄になってきている人間と人間の結びつきは,「協同」で「表現」を「承認」し合うことによって再び強化することが出来るのではないかということであろう。「表現」を分かち合うことには強い連帯感が生じるのである。
この「表現的民主主義」を実現するものの一つが,本論文で述べてきたダンスに見いだせるのではないだろうか。人々がワークショップという場で「関与」し「協同」でダンスを「制作」していく中で,お互いの表現に「共感」し合い「理解」し合うことによって「自己発見」をしているのである。アートに位置付くコミュニケーションとしてのダンスが持つ大きな可能性である。
それでは,こういったダンスを人々が生活の中で楽しめる社会環境を生み出すためには,今後何を課題としていけばいいのだろうか。文化庁の世論調査によると,「あなたは,文化を振興するために,国や地方公共団体はどのようなことに力を入れたらよいと思いますか(複数回答)」という質間に対しての回答が以下のようであった。
「文化施設を整備・充実する」45.4%,「指導者を養成・派遣する」31.5%,「学校や文化施設での芸術の鑑賞教育を充実する」31.2%,「文化に関する情報を提供する」30.5%,「文化活動の支援ため,補助金を出したり基金をつくる」29.7%である。3)
著者自身は,次の三つの柱が必要だと考える。一つ目には,場の提供をすること。二つ目には,生涯学習に向けてのダンス教育に取り組むこと。三つ目には,情報の提供をすることである。場の提供については,住民のためのアート教育活動,アートイベント,コミュニティ・アートのようなプロジェクトを企画・運営してい<団体の増加が望まれる。しかし,これには国の文化行政が大きく絡んでくるので非常に難しい間題であろう。ただ,誰もが気軽に参加できるように,会場を無科で提供する,参加費をできるだけ低額にすること等,行政の立場にいる人と共に教育に従事する人を含めた我々社会全体が,それぞれの立場でできることを少しずつ実現していくことが大切である。また,生涯学習とは知識や技能を多く習得することより,いかに人間として成熟していくかが重要である。そのためには,「学ぶ」という姿勢を身に付けていく必要がある。ダンスについても従来までの「ダンス」から離れて,いかに楽しめるかという視点を持っていく必要があるだろう。そういった姿勢を持てば生涯ダンスによって楽しめる人,表現できる人が育っていくはずなのである。そして,最後に一番大切なのが,これらのダンスの存在を広く人々に知らせる必要があることだ。せっかく企画運営する団体が増えていっても,社会の人々が知らなけれぱ意味がない。情報をより広範囲に提供することが望まれる。
現代杜会の様々な間題は,日々我々を悩ませている。しかし,その間題の根本的なところには共通したものを感じる。頻繁に起こる犯罪なども望むことなく閉じ込められた人間の内なるものが,形を間違えて「表現」されてしまったとでも言い表せるのではないだろうか。ヒトは表現的な動物である。表現によって人間となるのである。されるべき表現を抑圧して過ごすことは,心を歪めてしまう原因となるだろう。我々は,人間がなによりも表現的な存在であるということを再認識すべきなのである。そして,その事実を著者に教えてくれたのが,<コミュニケーションとしてのダンス>であったのだ。言葉の媒介によるコミュニケーションより,奥深い人間の本質的なところで他者と触れ合うことは,この世界に共存する人間同士をより近くに感じることでもあるのではないだろうか。孤独な人間同士の精神が表現によって結びつくこと,それは我々が共通にもった本能に潜んでいる欲求なのである。そして,ダンスというコミュニケーションはその孤独な精神をより強く結びつけてくれるであろう。
《註》
1)清水満『共感する心,表現する身体』新評論P.241 1997年
2)同書P.235参照
3)文化庁ホームページ参照
▼参考文献
・舞踊教育研究会編『舞踊学講義』大修館書店1991年発行
・小林正佳『踊りと身体の回路』青弓社1991年発行
・清水満『共感する心,表現する身体』新評論1997年発行
・石福恒雄『舞踊の歴史〜生きられた舞踊論〜』紀伊園屋書店1974年発行
・M.N.ドウブラー『舞踊学原論一創造的芸術経験』大修館書店1974年発行
・多木浩二『思想の舞台』新書館1996年発行
・『小学校指導書体育編』文部省1992年発行
・『小学校指導書図画工作編』文部省1992年発行
・玉木正之『スポーツとは何か』講談社現代新害1999年発行
・『からだや動きで表現するために』全国身体障害者総合福祉センター1997年発行3
・いとうせいこう 押切伸一 桜井圭介『ダンシングオールナイト』NTT出版社1998年発行
・生田正輝『コミユニケーション論』慶応適信1982年発行
・加藤春息子『広場のコミュニケーションヘ』勤草害店1986年発行
・斎藤吉雄『コミュニティ再編成への研究』(株)御茶の水書房1990年発行
・安藤延男『コミュニティ心理学への道』新曜社1979年発行
・大学女子体育研究会『ダンスの指導』明治図書1969年発行
・水谷光『体育授業シリーズダンス指導ハンドブック』1975年発行
・『現代学校体育大辞典』大修館書店1973年発行
・邦正美『舞踊創作と舞踊演出』論創社1986年発行
・ジャクリーンM‐スミス『ダンス創作テクニック』大修館書店1984年発行
・新教科体育研究会編『できたよろこびを体験させる表現運動の指導』東洋館出版社1979年発行
・三浦弓杖『ダンスの学習指導』光文書院1994年発行
・学校教育研究同士会編『一たのしい体育シリーズG一なわとび・民舞』ベースボール・マガジン社1988年発行
・星野命『人間と文化』朝倉書店1979年発行
・千葉県教育文化研究会センター編集・発行『ちば教育と文化1999NO56』1999年発行
・芸能文化情報センター編『芸能白書1999数字にみる日本の芸能』芸団協出版部1999年発行
・ドキュメント2000『社会とアートの橋渡しドキュメント2000活動中間報告』1998年発行