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Way to writer

『何故作詞家に?』
よく聞かれるのは何故作詞家になったの? どうやって作詞家になったの?って質問。
雑誌のライターだった許。
ページをまかされてる人だったから、今思うとバリバリのキャリアウーマンだったんだよね。そっ、恐いムードの漂う・・・ね。
その私がいきなり作詞家になる!といって吠えたの。
かなり衝動的に作詞家になろう!ってね。
とにかく、転職しようって。
貯金なんかぜんぜんしてなくて、ちっとも建設的じゃなくて、
あればあるだけお金を使っちゃう女が、である。
けっこう無謀な決断だったなぁ。
だって、ほんとに一度も作詞したことなくて、カラオケも聞くだけの人で、バンドとか歌手もやったことない私が、作詞家になる!って吠えたって、ねぇー。
ほんとは、どうやって作詞家になればいいの?って、感じだった。
誰も相手になんかしてくれなくて当然。
なのに、雑誌で恵まれてたのにもかかわらず、30才にして、転職してしまった私。
Way to Writerでは、何故、どうやってなどの作詞家奮闘記を書きます。
本当のこと書くと思うよ(^-^)

作詞家への転職を決めたのは、二十代の後半。
えっーと、シングル・デビュー作の「サンド・ベージュ-砂漠へ-」が1985年ものなので、勉強を始めたのは、その前の年くらいだったと思うんだけど。

ミニカメラ

やなせたかし先生に会いに行く

25才だったと思う。あまり確かな記憶じゃないの。私は四谷の坂道を泣きながら歩いていた。やなせたかし先生の家からの帰り道。
「あなたは、作詞家になりなさい」
やなせ先生のことばが、頭のなかでガンガン響きまくってた。
私はショックだった。作詞家なんて!いやだーーーーーーぁ!

やなせ先生に出逢ったのは、雑誌の取材だった。「anan」の。
その後、私のところへご自身の本が、送られてきた。私はお礼の電話をかけた時、何を思ったのか、「今度、詩を見てもらいたいのですが」と口走った。大胆で馬鹿な女だ。
相手にされないだろうと思ってた。返事は以外だった。それにとてもやさしかった。
「いいですよ」
胸んなかで、鈴がちりり〜ん。うれしかった。

行きはよいよいだった。前途はバラ色って気持ちで、四谷を歩いていた。
自分の書いた詩を持って、やなせ氏のお宅を目指していた。きっと私の詩を読んで、やなせ先生は興奮するだろう。すぐに出版社に電話なんてことになっちゃったりして。
すごいことになっちゃったりして。本屋さんには私の詩集が並んじゃったりして。

私が詩人になりたかったのは10代の頃だったのね。漠然とそう思っていた。なんとなく書くのが好きだったから。無意識のなかに、この夢が生きていたのかもしれない。ましてや絵描きにもなりたかった、という少女だったから、やなせたかし先生は、雲の上の上のあこがれの存在だった。でも毎日書きためたものなんかが一つもなかったから、電話切って、あわてたあわてた。
必死で書いた詩を3作と、高校生の時に書いた自称詩集を持って行った。そんなダメもと思考の、思いつきで生きてる女の詩なんかが、すごいことになるわけがないんだとも知らずにね!


わくわくして、やなせ先生が詩を読み終わるのを待っていた。
「僕はあなたを詩人にしたくないなぁ」
やなせ先生は、パラパラめくりながら、言った。私はもっとじっくり読んでーお願いと、心で手を合わせておがんでた。
「あなたは、作詞家になりなさい」
あっさりとしたひとことだった。
「へっ?」
今、なんておっしゃいましたの?
そんな感じだった。やなせ先生の理由はぜんぜん納得できなかった。
こんな変な詩じゃだめだよ、君。みたいなこと言われたほうがよかったのに。
「あなたの詩は、“なんとか”って本ぐらいだったら、すぐに載るよ。でも・・」
そんなぁ!じゃあ、どっこも紹介してくんないんだぁ。。。
私はがっかりして、先生のお宅をあとにした。
悲しくて、悔しくて、夢も希望もなくて、涙が出てきた。
作詞家ってなんだっけ? 歌謡曲の歌詞でしょー?
うぇーーーーん。夢がこなごなに崩れたちゃったのだった。