キルギスはシャングリラだった                                   望月照夫  1981年、日本コングール登山隊に同行した藤木高嶺氏は、著書「秘境のキルギス」に「氷河右手に川の流れ、その両側に燃え立つ緑の広がり、ああシャングリラ(桃源郷)だ、私は本気でそう思った」と印象を述べ、その後、行く先々で貧しいけれど心の美しい素晴らしい人々に接し更に感動を高めていくさまを記す。 私はキルギスはもとより中央アジアは初めてだが、かねてから特別の関心を持ち期待に胸を高鳴らせ参加した。ヘディンの「彷徨える湖・ロプノール」に心おどらせ、「敦煌」「楼蘭」にロマンを感じたのは、初恋にも似た青春時代の淡い感傷であろうが、正倉院の収蔵品や慶州国立博物館の陳列品そしてシルクロードの発掘品とその類似性を知るにつけ興味を深めたと思う。 あわせ、天山山脈針峰群の確認と、氷河から奔走する流れでアブラ鰭をつけたサケ科渓流魚の追跡も魅力であった。  特別な思いを抱いたキルギスの旅は、期待どおりの感動、発見、また感動の連続に堪能した。これも御一緒させていただいた5人の皆さんのお陰と心から感謝申し上げるとともに、カリジンさんやトラットさんをはじめ各キャンプ地で御世話くださった地元の方々の御配慮に負うところが大きいと思う。 また、キルギスの素晴らしい大自然も感動を演出した大きな立て役者である。その筆頭にまず水をあげたい。私にとって生水が手軽に飲めるということは何よりもうれしいのだ。咲き乱れる野のお花に圧倒されどおしだった。キルギスは国全体が高地で、イッシククル湖の標高も1,600メートルあり高山植物が主体である。チシマフウロ、ヤナギラン、キンポウゲ、マツムシソウ、ヒメシャジンなどなじみのお花に混じり、初めてお目にかかるお花も多かった。それだけ植物種が豊富ということだろうか。 天山モミの森林を吹き抜けるさわやかな風は魅力的で、山深い南アルプスのシラベ樹林と同じ香りさえ感じた。しかし、灼熱の太陽と乾燥しきった大気、畜糞混じりの砂塵には少々閉口したが、これが「中央アジア」と言い聞かせれば納得できる。  子供たちの純な心とその家族の思いやりにキルギスの心を垣間見た。 キャンプ前の広場でお花を撮影していた時のこと。10歳ほどの子供2人が私をそこから斜面上手の丘に誘導してくれたのだが、数種類のお花が群れ咲く撮影ポイントで子供心にもてなしてくれたのである。 眺望も素晴らしく、しばらくは撮影のとりこになった。子供たちはそんな私を満足そうにニコニコ眺めていた。私はうれしくなって、持っていた駄菓子まがいの品を感謝の気持ちでプレゼントしたが、そんなものでも大喜びしてもらえたのがまたうれしかった。 その後、様々な感動に忙しく忘れかけていた夕方、突然子供たちの訪問を受けた。姉さんたちを伴い4人で来てくれたのである。しかも、大きなパンの固まり2つと、大盛りバター2皿を持参して。バター1皿は蜂蜜入り特別仕込みの逸品で、お婆さんやお母さんの意向による答礼だったのである。  藤木高嶺氏の「キルギスの人たちの心は日本人に似る」「他人を思いやり、好意に対して好意で報いる民族」と分析していたのを思い出すとともに、翌日、カルカワ河畔にキャンプした時も同じような答礼の経験をした。 近くのユルタからクミスを運んでくれたお年寄りが、馬を引き連れ再び来てくれたのである。それは、乗馬体験をさせようとするサービス心からで、多分、先刻支払ったクミスの代金に好意を感じたからであろう。 他方、キルギスの人たちと同じイスラム系遊牧民でありながら、砂漠を漂泊するベドウィンたちは、親切されてもお礼を口にするどころか感謝の気持ちさえ表さないという。むしろ「相手に恵むチャンスを与えてやったのだ」といばるのだという。対照的な考え方である。どちらが合理的か即断は難しいが、少くとも日本人にとってはキルギス的思考の方がなじみ深く心に響く。  多分に感覚的で根拠を問われると返答に苦しいが、キルギスの風は私の肌に合うようだ。更に言えば、昔々のそのまた昔、体験したなつかしい思いすら感ずる。 日本人は雑多な民族の混血と言われ、ルーツは南方系、大陸系などさまざまとされるが、私の場合は大陸系の血をより多く引く気がする。そして、更に想像をかりたてると望月という姓は遊牧民・月氏に関係するのではと思うことがある。 知られるように、月氏はタリム盆地東部を出自とする騎馬遊牧民で、匈奴に追われアム川上流に移動して大月氏を名乗った。そして、大月氏はクシャーナ朝を建てたクシャーナ族を服属させたが、カニシカ王の死後、消息は途絶えたと言われる。  話はとんで日本。我が国への秦氏渡来は古事記、日本書記ともに記録する。 日本書記・応神天皇14年の条に「是歳、弓月君、百済より来帰り」とある。弓月君とは秦氏の氏神である大避(酒)神社の祭神であり、秦氏の始祖とされる。 ここで、弓月君とは月氏の一派と考えられないだろうか。そして、そのなごりが地名の「山梨県大月市」「長野県望月町」や名字の「大月、望月、法月、秋月、香月、早月」など月をキーワードにして今に残ると考えるのである。 月氏は騎馬遊牧民であるから馬を伴うのは当然である。望月発祥の地・望月町は八ヶ岳東麓を利用した官牧で、既に鎌倉時代には広く知られた馬産地であった。 また、山梨県は馬に縁深く、地名の巨摩(こま)は「狛」とともに「駒」と理解される。 岩手県南部地方の南部馬は広く知られているが、藩主の南部氏はもともと山梨県南巨摩郡南部町の氏族である。こうしたことから、月氏が馬を伴い八ヶ岳山麓に降臨し、その子孫が馬とともに周辺に広がったと考えるのはどうだろう。  喜田貞吉氏の「日鮮民族同源論」、江上波夫氏の「騎馬民族国家」に同調するわけではないが、騎馬遊牧民文化が日本文化等に投影されていると考えられなくもない。 同時に、キルギスで伝えられているという「その昔、140人のキルギス人が日本に行った」と関連づけるとロマンが広がって楽しい。 キルギスのお墓の多くに三日月や星の印や飾りが見受けられる。イスラムのシンボルであるが、月氏や弓月君と関連があるのかないのか。弓月とは三日月のことではあるまいか。 更に想像をたくましくすれば、福島・新潟県境地域に多い「星」氏も弓月君の延長上にあるのかと思い、ますますキルギスを身近に感じる。  一方、キルギスの人たちも日本を身近に感じているようだ。それは、140人の伝説が念頭にあるのか、日本商品を通じて感ずるのかは分からないが、ビシュケクから遠く離れた地方の物売りの少女の口から日本語が出た時には驚いた。 ケミンからチョルポンアタに向かう途中、ドライブイン前の広場で小りんごを商っていた7〜8歳の少女が、私を日本人と知ると「ワタシモ、ニッポンニイッテミタイナ」と日本語で話しかけてきたのである。行きたい理由をたずねそこなったが、商売言葉でないことは確かだった。  生活習慣等の類似も見られる。食事の前には必ず手を洗うし、年齢はかっての日本のように数えでカウントする。イスラム文化圏でありながら写真に拒否反応を示さないのも他の国と違う。イスラムは偶像崇拝を否定するので写真撮影を嫌い、特に女性の撮影は難しいとされるが、キルギスの人たちはこだわらずむしろ積極的に撮影して欲しいと言うあたりは日本人に似ている。知れば知る程親近感を覚えるのである。 ましてや、自分には月氏の血が流れ、遠い過去の記憶がDNAにインプットされていると考えるとますますキルギスとの距離が縮まるのだ。 しかし、温血動物(羊)の屠殺は抵抗がある。眼前で殺され解体された羊を食する勇気は持ち合わせない。今回は2日酔いにかこつけて逃れたが、これではとても遊牧民の末裔は勤まらない。  旅行では、アブラ鰭を持つ渓流魚の追跡も楽しみとしてアラアルチャ、イシクアタ、カルカワ河及びイッシククル湖の4か所で竿を出したが成果は得られなかった。 腕が伴わないことに起因するのであろうが、海に流出しない河川にはサケ科の魚は生息しないのでは、と開き直って自分をなぐさめているが調べてみたい。 以前、私は自ら「魚の天敵」と自己紹介したことがあるが、「釣り名人」と誤解されたようで舌足らずを反省している。同時に「天敵」も説明不足で、正確には「釣り・食に値する魚の天敵」と表現すべきであった。 来年、キルギス訪問の計画があれば再度同行を申し込むつもりである。