『五体不満足』乙武洋匡著 を読んで
私は本を読まない
本来このコーナーでのエッセイでは無いのかもしれないが私は普段、小説等の本類を殆ど読まない。
小学生の頃は、良く読んでいたようだが中学生にもなると殆ど読んだ記憶が無い。
特に気になるものがあれば別だが…。
とはいっても、本屋さんへ行くのは大変好きで、立ち読みに講じる。それも温泉の本やら車の本、パソコンの本、アダルト雑誌等々、雑誌の系統である。
新刊本のコーナーを見て回り、表紙や前書きを流し読みして吟味するのだが食指をそそられるものが無い。
つい先日、なじみの本屋さんで立ち読みするつもりで新刊本コーナーを流し見していて気になる本が目に付いた。
久久に買った本
その本のタイトルは『五体不満足』 乙武洋匡(おとたけ ひろただ)と言う人の著で、表紙には横断歩道を渡る電動車椅子の青年の写真が載っていた。
しかも、青年には両手足が見えない。
私が気に止めたのは一般的に奇怪と思われるこの容姿ではなく、その青年が、清潔でオシャレで生き生きとした印象で写っていた事である。
さらに、中身をぱらぱらとめくってみると、予想に反して面白そうだ。
わたしは迷わずこの本を買って帰った。
私の予想に反した事の一つとして
彼は先天性四肢切断、と言う生まれながらにして両手足が無いと言う大きな特徴を持って生まれてきた。
母親は出産後1ヶ月後に、予め普通ではないと予告されていた我子に対面する事になるが、初対面の開口一番『まあ、かわいい』と言ったそうだ。
ここら辺から、私はずいずいと引き込まれていったのである。
詳細は、是非この本を読んで頂きたいので割愛するが、要はこの本が面白いと言う事。
彼自身、書の前書きで『感動は求めません。参考にしてください』と述べているが、私はむしろ書として面白いと思う。
どこが面白いかって?
障害者の福祉やボランティアなどと言う事に付いて述べた書ではなく、彼自身のとんでもない生活、突拍子もない性格、ワルガキ仲間の事に付いて書いていると言う事が面白い。
小さい頃から、回りの人と変わらない、いやそれ以上の考え、行動、悪さ、をしでかす。それらが痛快で心地よい。
体の障害を体の特徴として捉え、自分が障害者である事など20歳になるまで気付かなかったと言うのだ。
又、不思議と回りの人たちも、彼が障害者などと感じず、彼を少し違ったからだの特徴の持ち主としか感じていない様だ。
彼の痛快な、幼児から学生までの生活ぶり、そしてリーダーシップを取れるような人物である事、豊かな人間環境、突拍子もない両親等々、これらがこの本が面白い理由ではなかろうか。
転じて
彼が、彼の両親の子供として生まれてこれたのは幸せだと思う。良き仲間と出会えたのも幸せだ。
逆に、彼と出会えた人々はもっと幸せかもしれない。
書に登場する人物はきっと素晴らしい社会人となっているに違いない。
人間は生まれもって善なのか悪なのか、どう判断しようも無い。しかし、いずれにせよ環境次第で悪にもなるし善にもなる。
彼の書を読んでいると、小さい頃から彼の様な人物と共生していれば思いやりや優しさが育まれるような気がする。
もちろん、彼の回りにいじめが存在し無い訳ではないだろし、彼自身もいじめに遭ったかもしれない。
本人の気持ちの持ち方、考え方次第で回りが変わって来るということもある。
又、身体的特徴を持った人を、一般の人たちと隔離して当たり障りの無い様に育てれば良いと言うものではないだろう。
次世代の為に
我子がかわいければ、みんなが幸せになれる世の中作りをしなければならない。それが私たちに残された使命である。
次の世代に何を残してやれるか。
娘がいじめに遭えば怒鳴り込む、子供の事に大人が入り込むなと言われても私はそうする。彼の両親の様に出来た親では無いから。
でもそれだけで良いか?
そういう環境にならない様に、何か一つでも良いから次世代の環境の事に付いて考えたい。
例を挙げれば、前述の障害者の人たちが共生できるような環境や考え方の構築。
子供は、幼い頃から障害を持った子供を偏見では見ない。興味は持つかもしれないけど、大人達が無理矢理引き離さない限り、一緒に遊びたいと思うだろう。
一緒に大きくなれば、それを変だとは思わない。
神戸の殺人事件
あの事件では、少し知的障害のある少年が標的となった。この本を読みながらあの事件が思い起こされ、どうしようもなくやりきれない気持ちになった。
被害者が弱者として捉えられていた事等が標的となった原因であろうか。
いろんな問題、原因を抱えているので、ここで単純に分析するつもりはないが、少なくとも弱者が強者に殺されると言う事自体が間違っている。
それ以前に、被害者が弱者と捉えられていた事が問題なのでは?
加害者の人格形成はあの小学校の中で形成されたのではない。幼い頃から、そういう回りの環境が存在したのではないか?
私がリーダーシップを取って世の中を変える事は出来ないかもしれない。しかし、自分に出来る範囲で、次世代の世の中作りの一端を担えればと感じている昨今である。
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