何を隠そう子供が嫌いだったのだ、ふふふ。

で、今でも特に好きではない。


但し、自分の子供は別。
生まれる前は、自分の子供に対してこれほど愛情を感じるとは思ってもいなかった。

今でも、子供全般に対する感じ方は個人差があるものだし、子供嫌いの人ががいてもそれが悪だとは思わない…そう考えている。
子供に対して悪意や憎悪を感じるようであれば問題であるが、子供が嫌いだ位の感じ方であればそれはその人の個性かもしれない(ただ、人に対しての感情や愛情が不足しているのかもしれない。私もその一人)。


自分に子供が出来れば変わるのかもしれないが、子供がいても子供嫌いの人はたくさんいる。
私の場合、子供が出来てもよその子は好きになれない。

一つだけ変わった事といえば、多少子供に対して温厚?になったという事。
許せなかった事が許せるようになった。

例えば、子供がぎゃーぎゃー騒いだり他人の迷惑をかえりみず遊んでいる、そんな光景がだいっ嫌いだった。
子供のしつけが悪いと感じる場面でも、親のしつけや子供の行儀に対して嫌悪感を抱いていた。

でも、これらの事がたとえ悪い事であっても許せる様になったのである。今までは、かっか来ていたのがある程度温和な気持ちで見られる。
もちろんしつけが悪いのは親の責任(良くある光景=喫茶店、レストランで靴を履いたままいすに上るとか)で、これに対しては異論はない。

ある程度温和な気持ちで観察できるようになったのは、やはり子供ができたおかげ。心の冷たい自分の心の中に少しはやさしい心が宿ったのかもしれない。


私にとって今や子供は絶対的な存在。良く巷で、『子供の為に自分を犠牲にするのはナンセンス』なんて言葉が聞かれるが、決してナンセンスではないと思う。

自分の人生は自分の為の人生であったものが、妻の為の人生となり、それが子供の為の人生へとなるのである。子供の為に働いている、全てをなげうつ事が出きる、それが子供。


感謝
こんなに自分の子供に愛情がもてたのは、一つに、超未熟児で生まれたという事が考えられる。
心配して心配して、苦しんで苦しんで、私の場合そうやって愛情が深まったのだと思う。
いわばこれは、神様が私に与えてくれた試練である。『まだまだ、おまえは甘い』そう言っているのだろう。

こんな私に、”子供への愛情”と言うすばらしい贈り物をしてくれた娘と妻と神様に感謝する。

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