![]() サイゴン(ホーチミン市)のプロファイル 人口:5,063,871人 (1999年) 面積:2,090ku ハノイからの距離:1,730km 東海岸からの距離:約50km サイゴン港:1862年開港、3万トンクラスの貨物船まで入港可 インドシナ時代の名前:東洋の真珠 サイゴンの紹介 サイゴンは1956年のジュネーブ協定の後、南北にベトナムが分割され、1975年にサイゴンが陥落するまでの間、南ベトナムの首都としてにぎわってきました。その後新政府によってホーチミン市と名称を変更されましたが、市民の間ではサイゴンの名称がいまだに使用されています。国営会社の名前に「サイゴンビール」や「サイゴンツーリスト」などのように使用されているところをみれば、政府自身もサイゴンの名称を完全に消そうと考えているわけではないようです。また、歌謡曲などの歌詞には、サイゴンの名前がもっぱら使用されています。どうもホーチミン市という名前は、歌謡曲では硬いイメージになってしまうからなのかもしれません。 サイゴンの名前はクメール語の「カポックの木の茂る森」から来ています。サイは茂る森の意味で、ゴンはカポックの木の意味になります。中国式に漢字で表すと「西貢」と書き表します。 市の中心部を流れるサイゴン河は、ドンナイ川の支流にあたり、サイゴン港から南シナ海へはおよそ50kmの距離があります。サイゴン港近辺の川幅は約300mで、水深はおよそ10mあります。このためサイゴン港には3万トンクラスの貨物船も楽に入港できます。サイゴン川と港はこの町のシンボルになっています。 北のハノイの町並みは中国の文化の影響を受けていますが、南のサイゴンではフランス統治時代の影響が今も強く残っています。ホーチミン市の市役所である人民委員会庁舎はフランスのアールヌーボー式のデザインですし、有名なホーチミン市郵便局は、フランス建築家の設計によるものです。街造りもヨーロッパ風になっていて、交差点にはロータリーがあり、放射状の通りと、碁盤状の通りとが重なり合って町並みができています。ハノイとサイゴンの街角は似ているところもあれば、まったく違うところもあり、ベトナムを旅する私たちにとってたいへん面白く感じられます。 ホーチミン市は1区から11区に分かれていて、そしてその外側にタンビン地区、フーニョン地区、ビンタイン地区などがあります。市の中心部とされているのは1区と3区です。この二つの区の中に市の主だった役所や、オフィスが集まっています。市の中心は人民委員会庁舎を中心に、Nguyen Hue通りとHam Nghi通りを挟んだあたりになります。またDong Khoi通りはサイゴンの銀座通りで、高級品店が軒を並べています。最近ではNguyen Hue通りとDong Khoi通りの間にショッピングセンターも開発されました。 国際空港であるタンソンニャット(漢字では「新山一」と書きます)空港から市の中心部へは車で約20分の距離にあります。タクシーならば6ドル程度の料金です。空港からナムキーコイギー通りまたは、ハイ・バーチュン通りを通って市の中心部へアプローチします。中心部のベンタイン市場を抜けて西へチャンフンダオ通りを行くと、中華街のチョロンへ行くことができます。中華街のチョロンは、サイゴン一番の規模の市場とサイゴン市民の遊興の場所として、カラオケ、レストランなどで賑わっている場所です。 中華街「チョロン」について ヨーロッパの列強国が植民地を広げる手段として、中国人のクーリー(労役人)をその東南アジアの植民地に送り込みました。これがアジアにおける華僑の始まりです。しかしながら、ベトナムにおける華僑は少しこれらとは違う事情でベトナムへやってきたようです。中国に国境接するベトナムでは、中国での政治的圧力を避けるために国境を超えてベトナムへやってきた中国人が多くいました。18世紀の後半に楊彦由を首領とする亡命兵3000名が国境を超えベトナムのグエン王朝へ助けを求めてやってきました。グエン王朝は彼らをメコンデルタの開墾をするために、南部へ入植させ、彼らが港としてチョロンを使ったのが、現在の中国人街のチョロンのはじめだといわれています。
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