2005年11月23日映画評「君の星は輝いているか」シネフロント社から出版します。
12月20日朝日新聞朝刊オピニオン面に伊藤千尋の記事【フジモリの選択】が掲載されました。2000.12.20
AERA12月4日号(No.51)のp.25にフジモリについての記事が載りました。2000.12.01
12月2日(土)10:00pmからのTBS「ブロードキャスター」でフジモリについて話しました。00.12.02
12月2日(土)9:30pmからの朝日ニュースター「明日への架け橋」で日本・カリブ閣僚レベル会議について話します。00.12.02
12月2日に放映される予定のTBSの番組収録のため、12月1日はTBSに寄ってから出勤しました。
AERA51号(00.12.4)の25ページに【フジモリ「日本亡命の」行方】が掲載されました。
11月29日の朝日新聞朝刊にフジモリ氏と話しながら歩く伊藤千尋の写真が載りました。東京版では第二外報面、大坂版では一面に載っています。
「闘う新聞『ハンギョレ』の12年」を連載しました。
330号 第1回 「真のジャーナリズム」を求めて
331号 第2回 貧者の一灯
332号 第3回 権力と資本からの独立
333号 第4回 社内民主化が自由言論の源
334号 第5回 10年で黒字達成
335号 第6回 若者をつかんだ多角化戦略
336号 第7回 批判と存在価値
337号 第8回 残された課題と日本の私たち 2000.11.13
「アジア記者クラブ通信」vol.101
アジア記者クラブに入会しませんか?
のページに「ジャーナリズム開拓者宣言」を掲載しました。
2000年8月26日(土)「アジア記者クラブ通信」100号記念シンポジウムの司会をしました。
シンポジウムの全記録を後ほど作成します。お申し込みはアジア記者クラブの事務局(03-3204-2301)へどうぞ。一部500円です。 2000.8.29
週刊金曜日に本多勝一氏との対談が掲載されました。
第324号 2000.7.21 「日本に真のジャーナリズムを創るために(上)」
第325号 2000.7.28 「日本に真のジャーナリズムを創るために(下)」
2000年1月
「アジア記者クラブ通信」1月号に「2000年の年頭にあたって」 が掲載されました。
99年11月11日(木)
横浜市南区役所3階302号会議室において、南区コミュニティー・カレッジがひらかれ、「アジア情勢を探る」という演目で講演しました。
99年11月4日(木)朝日ニュースター
11月から朝日ニュースターというケーブルテレビでキャスターをすることになりました。1カ月に1週間、午後3時から30分間です。11月は8日から12日まで、12月は6日から10日まで、来年1月はなんと4日から7日までの幕開け興業です。
当日の夕刊の記事を紹介するほか、「記者の視点」という番組で勝手にしゃべったり誰かを招いて折々の問題について話を聞いたりするものです。そのうちあなたにも出演をお願いするかもしれません。そのときは、よろしくね!
99年10月30日(土)
「横浜国際協力祭り'99」において「熱く軽やかに超えよ国境ーNGO、NPO活動の最前線から」という演目で横浜シンポジア(産業貿易センタービル9階)で、NGO、NPOについて特別講演をしました。主催は(財)横浜市国際交流協会でした。
9月30日(木)
川崎市宮前市民館の秋の成人学校2で「紛争の20世紀 インドとパキスタンはなぜ核競争をするのか」という連続講座全10回の第2回目をしました。
99年9月29日(水)増補版2冊。
「ジプシーの幌馬車を追った」の増補版が発売されました。探検隊4人の座談会が新たに付き、表紙もカラーになりました。値段は同じです。また、「太陽の汗、月の涙」も増補版が出ることに成りました。今、原稿用紙40枚を書いているところです。11月末に店頭に出ます。
99年9月23日(木)演劇パンフレット
青年劇場の公演を見に行きました。喜劇「二階の女」です。学者の家庭崩壊を通じて戦争に突入する日本を描いた作品です。講演のパンフレットに「愛するもののために」と題した文を載せました。そう言えば、7月にも、地人会の公演「谷間の女たち」のパンフレットに「詩と抵抗の地ーチリ」と題した文を寄稿しました。
99年9月16日(木)秋の成人学校で全10回講演
「紛争の20世紀」と題した10回シリーズの講演が川崎市で始まりました。場所は宮前市民館。第1回は、ユーゴの内戦と、コソボの紛争を話しました。2回目は9月30日で東チモールを話します。毎週木曜日の午後6時半から。問い合わせは宮前市民館 044-888-3911(古泉さん)へ。
1999年9月9日、鳥取県の米子市に行って講演をしました。
テーマはジプシーです。10月にロシアのジプシー楽団が公演するのに先だって、ジプシーとは何ぞやを勉強したいから来て!、との地元の労音という音楽団体のお招きでした。
集まったのは150人くらい。ジプシー占いの話や幌馬車の生活などにはドッとわきました。
そうそう、『「ジプシー」の幌馬車を追った』という著書が増刷になりました。二十枚くらい新たに加えて、表紙もカラーに変えての登場です。それが早速、会場に届いていて、ぼくも初めて見ました。読んでね。
1999年8月28日から29日にかけて鹿児島で講演旅行しました。
ピースボートに乗った鹿児島県川内市の高校教師、塚田さんのつくったNGOの主催で「情報化社会にどう生きるか」と「ゼロから分かる国際情勢」の二つを話しました。
みなさん、「情報」という言葉を最初に使った日本人をご存じですか?
あの森鴎外です。軍医の彼は、ドイツ留学から帰って、クラウゼビッツの『戦争論』を邦訳したさいにNACHRICHITを「情報」と訳したんです。つまり情報という言葉はもともと軍事の用語だった。007の情報部を思い浮かべていただければ納得できるでしょう。
コンピュータやインターネットも軍事の要請から発達しました。第二次大戦のさいに暗号解読の目的でコンピュータが研究され、原爆製造のマンハッタン計画でコンピュータの基本概念が形成され、ミサイルの弾道計算のために初のデジタル・コンピュータがつくられました。さらに東西対立の中で一カ所が攻撃されても指揮、通信系統がきれないように分散型、ネットワーク型の発想をしたのがARPAネット。米国陸軍とペンシルベニア大学が共同開発したものです。
軍事から平和への転用は1960年代の終わりに起きました。ベトナム反戦世代が自宅のガレージでパソコンの製作に乗りだしたのです。マックもここから生まれました。
必要は発明の母。最も生死に関係する軍事から情報が発達し、やがて平和に使われるという構図です。
1998年1月4日〜9日ペルーに行って来ました。
ピースボートが主催する「ジャーナリスト即戦力セミナー」・「伊藤千尋と行くペルー」という企画でジャーナリスト希望者を引き連れ、ペルーに行ってきました。