アジア記者クラブ代表委員
朝日新聞外報部記者 伊藤千尋
■90年代とは何だったのか
「2000年」が来た。年が改まっただけとはいえ、ミレニアムと聞くと何となく歴
史の節目にいるような気がする。いや、確かに節目にいるのだということを実感する。
冷戦が終わり、ポスト冷戦時代にも別れを告げ、世界は21世紀を目前としている。先
の見えない混迷の時代と言われるが、いいじゃないか。混迷だからこそ、指針が必要
だ。闇の一点に指を示すこと。それこそ、私たちジャーナリストの役割である。歴史の
記録者である私たちの出番だ。
今や市民参加が当然とされる社会が到来した。このような時代のジャーナリストの役
割とは、単に記録するだけではない。時代を動かし新時代を作り上げるのも、私たちの
仕事である。けっこうじゃないか。ジャーナリストとは、そもそも革命家だ。おおいに
叫ぼうじゃないか。
我らの時代が来た。
2000年にどう生きるかは、90年代を振り返ればわかる。21世紀をどう過ごすか
は、20世紀を考えれば見えてくる。
90年代のさまざまな出来事を凝縮したのが、99年の日本であり世界だった。ところ
が、ここでしっかりと心に刻むべきは、日本のレールと世界のレールは、ときにパラレ
ル、ときにまったく分離して進んでいるという事実である。放っておけば、日本は世界
から脱線する。かつて国際連盟から脱退し自滅した過去が頭をよぎる。
まず政治から見ていこう。99年、日本の国会は、歴史に名を残した。ガイドライン法
案を始め盗聴法、国民総背番号制、国旗国歌法案の4法案がろくな議論もなく、国会を
あっけなく通過した。この「世紀の四悪法」に共通するのは、国家による個人の管理で
ある。人間を放っておくと何をするかわからないからしっかり監視して自由を束縛しよ
うというのが、これらの法案に共通した趣旨である。
ところが、世界の流れはまったく逆だ。89年のベルリンの壁の崩壊以来、欧州を中心
に世界は国家の枠をいかに取り払うかに心を砕いてきた。NPO、NGOの活性化で、
国家はいかに個人に羽ばたいてもらうかに心を砕いてきた。
悪法を通した最大の原因は「自自公」の結託である。民主主義とは少数意見の尊重で
あると語ることをやめ、多数の意見に少数を服従させようと、有無を言わせない力の論
理で押し切った。人間が謳歌する戦後民主主義が大嫌いで、政治も宗教も誰かの意見に
盲目的に服従する専制支配に埋没したいという時代遅れの旧人たちが我が物顔に振る
舞った。
あっけにとられている場合ではない。巻き返さなければならない。昨年、アジア記者
クラブはシンポジウムを行い、こんな時代におけるジャーナリズムの役割を話し合っ
た。猛獣を放置するような行為を許した点で、99年日本のジャーナリストは罵倒されて
いい。大いに反省すべきだ。だが、ただ嘆いている場合ではない。反撃が必要だ。
■半鐘を鳴らせ
年末、私は一人の女性に出会った。仲村清子さん。名前を聞いても首をかしげるだろ
うが、あの光景を思い出してほしい。
95年、米兵による少女暴行事件を機に開かれた沖縄県民総決起大会の壇上で8万5千
人の群衆を前に「決してあきらめてはいけない。ここであきらめたら次の悲劇を生み出
す。私たち若い解世代に新しい沖縄をスタートさせてほしい」と訴えた普天間高校三年
生の少女。彼女こそ、その人である。
仲村さんは大きな目を見据え、言葉を一つ一つ選びながらこう語った。「世の中に流
されるのでなく、平和のために努力することが大切だと思います。大会のあと沈黙して
いた分、同世代の若者たちに呼びかけたい」。
年末から正月にかけて、彼女を主人公にしたドキュメンタリー映画の撮影が始まっ
た。監督は、日本兵と中国少年の交流を描いた日中合作映画「チンパオ」を送り出した
中田新一監督である。22歳の仲村さんも、55歳の中田監督も、新たな戦いに立った。
こうした人々は、実は今の社会にたくさんいるはずだ。埋もれた動きを発掘し、社会
を動かす力とすることこそ、今、私たちに求められている仕事ではないか。
おかしい、という声は日本の社会に満ちている。それが力になって表れないのは政治
家の責任でもあるが、それ以前にジャーナリストの責任である。火事が起きているのに
半鐘を慣らさないのは罪ではないか。
大新聞の政治部は、次の総選挙はいつかと、そればかりを取材の目的としている。政
治家にすり寄って、「ネ、教えて」と猫なで声を出すのがジャーナリストのすること
か。芸者ジャーナリズムに邁進する〇〇新聞政治部など、くそ食らえ。
■元気な外国、哀れな日本
経済を見よ。ヨーロッパでは欧州が通貨統合した。かつて世界の戦争センターであり
二つの大戦の震源地でもあった欧州は、戦後50年という時間をかけて国家の壁をなくし
政治の統合から経済の統合に突き進む。男女の仲で言うなら、長い交際でじっくり性格
を見極め、さらに同棲という実験を経てようやく財布のヒモを共にしたということだ。
文化も国民性も異なる多数の国が、じっくりとした話し合いを辛抱強く繰り返した成果
である。そこには、戦争をしっかり反省し理性で平和な世を築こうとする姿勢が感じら
れる。経済の差こそ戦争をもたらした。ならば経済を統合すれば戦争は起こらないとい
う、実に単純な、だからこそ確かな論理である。
一方で日本では、リストラと倒産、首切り以外の話をあまり聞かない。アメリカ流の
新自由主義経済に流され、競争と実績だけが、かけ声として飛び交う。
しかし、アメリカの競争社会は日本とは違う。失敗してもまた挑戦できる仕組みがア
メリカにはある。かつて不況のおりにも、情報や環境など?柏