個室悠々第1回番外編

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   24号室 

 今回は年末特別編として、サロハネ285で30年ぶりに訪れた四国で撮影した鉄道風景の一部をご覧いただく。 

【琴電】
 高松琴平電気鉄道が合併によって現在の社名になったのは1943年(昭和18年)のことで、元々は東讃電気軌道が1911年(明治44年)に現在の志度線を開業した事に始まる。続いて高松電気軌道が1912年(明治45年)に現在の長尾線を開業、1926年(大正15年)には琴平電鉄が現在の琴平線を開業し、ほぼ今日の琴電の骨格が出来上がったのである。
 今回撮影した築港線、瓦町〜高松築港は、戦時下の空襲により市内線が休止に追い込まれたのを受けての1948年(昭和23年)の開業ある。

 高松城の内堀端を長尾線平木に向かう元名古屋市営地下鉄300形の701+702の2連。この701+702は撮影の半年後、2007年8月に志度線に転用され、723+724に改番された。

高松築港〜片原町 2007年2月18日


 国の重要文化財、高松城旧東の丸「艮櫓」の横を走り抜ける琴平線一宮行き。元京急700系の1203+1204の2連は新屋島水族館の広告電車で黄色1色である。

高松築港〜片原町 2007年2月18日


 レンタカーで金刀比羅宮に向かう途中の栗熊〜羽床間で、高松築港行きの元京王5000系1105+1106を撮影。後方は堤山であろうか。奈良の耳成山を髣髴とさせるような、きれいな円錐形の山が多いのもこのあたりの特徴である。

栗熊〜羽床 2007年2月18日


 金刀比羅宮参道の土産物屋にクルマを止め、山上の社殿を目指す。さすがに2/3ほど登ったところで太ももが痛く、息も上がってくる。参拝を済ませ、下界を見ると、大きくカーブを描く琴平線と、駅に停車中の1200形がジオラマのように見渡せた。

金刀比羅宮から琴電琴平駅を望む 2007年2月18日


【瀬戸大橋・JR四国1】
 金刀比羅宮参拝を終え、今度は朝列車で渡った備讃瀬戸大橋をレンタカーで渡る。途中の与島パーキングエリアで見つけた瀬戸大橋のモニュメント。後方は北備讃瀬戸大橋。

2007年2月18日  与島パーキングエリア


 今回30年ぶりに訪れた四国の変わり様で一番びっくりしたのは瀬戸大橋であったが、その次くらいに驚いたのが松山行きの特急「いしづち19号」で乗ることになった8000系振り子式電車である。何しろ無煙化は早かった四国だが、電化に関しては遅れを取っていて、30年前に訪れた時はキハ181系が最新鋭の虎の子という存在だっただけに、その間の変化には目を見張るものがある。
8501ほか3連のリニューアル編成。

2007年2月18日  高松


リニューアルにより、客室も285系サンライズのような明るい難燃木製部材がシートバックに使われるなど、高級感のある室内となった。

2007年2月18日  8501の室内  高松


 リニューアルのもうひとつのポイントは四国のイメージを表現した洗面所である。砥部焼きのボウルと藍染めの暖簾にはびっくり。屑物入れの形状や鏡に組み込まれた照明など、上質な温泉宿の雰囲気を漂わせる。

2007年2月18日  8501の洗面所

 近代的な高松駅とはがらりと変わり、昭和の面影を残す松山駅。1953年(昭和28年)に建てられた駅舎で、焼失前の下関駅を髣髴とさせる三角屋根が印象的。2000年(平成12年)にリニューアル工事が行われ、駅名の書体もレトロ調になっているが、現在高架化計画が進行中である。

2007年2月18日


【伊予鉄】
 松山から伊予鉄で道後温泉に向かう。伊予鉄道の歴史は古く、1888年(明治21年)まで遡る。現在の高浜線の前身がそれで、いわゆる坊っちゃん列車が走った軌間762mmのナローであった。道後温泉に至る現在の城南線は1895年(明治28年)に道後鉄道が開業した古町線とはルートが異なり、松山電気軌道が1911年(明治44年)に1435mmで開業したものが前身とされる。
 夕闇迫るレトロな佇まいの道後温泉駅に到着したモハ50形75号。1964年(昭和39年)製の自社発注車である。

 

2007年2月18日  道後温泉


 伊予鉄道は2001年(平成13年)に坊っちゃん列車の動くレプリカをディーゼル機関車で実現してしまった。何しろ松山市内を電車に混じってこんな列車がやってくるのだから楽しい。機関車の形式はD1形とD2形。こちらはD1形の牽く第1編成で、ハ1形2両を従えている。

2007年2月19日  県庁前〜市役所前


 実際に乗ってみると、なお楽しい。大街道〜県庁前の松山市メインストリートを走る第2編成ハ31形のオープンデッキからはこんな光景が。後方から追ってくるのはモハ50形77号、鉄ちゃんならずとも思わず身を乗り出したくなる。

2007年2月19日 


 さらに極めつけが自前の転車機能である。機関車中央部のジャッキを起動、軌道から数センチ車体を持ち上げたところで、乗務員がぐるりと機関車を回転させるのである。ここまで来ると、そのアイデアに脱帽。この作業にはギャラリーがたくさん集まって来る。
 機関車はD2形14号機。なぜ14号機か?伊予鉄道の語呂合わせとみた。

2007年2月19日  松山市


市内を見下ろす松山城を遠景に、先行するモハ76をとらえる。市内線に活気のある町はなぜかほのぼのとする。

2007年2月19日  市役所前〜県庁前


上の画像撮影地点を松山城天守閣から眺めるとこのようになる。電車は50形と2100形が続行している。

2007年2月19日  松山城天守閣から


 伊予鉄道でもう一つの見ものは市内線と鉄道線の平面交差である。かつては何箇所かで見られた光景で、中でも阪急西宮北口の神戸線と今津線のダイヤモンドクロスと、京都四条河原町の京都市電と京阪電車の平面交差は有名だった。現在鉄道同士(路面同士は除く)の平面交差はここ伊予鉄道の大手町と古町、名鉄築港線と名古屋臨海鉄道のみである。
 踏切が閉まっているときに市内線が停まらないことには絵にならない。待つことしばし、高浜線の元京王2010系800系がやって来た。 

2007年2月19日  大手町で高浜線モハ813の通過を待つ市内線モハ55


 通り過ぎるモハ813を見送りながら、またまたびっくり、なんと片運転台の単行である。どうやら回送のようである。松山市の方からやってくるこの回送列車の謎を確かめに松山市へ向かった。

2007年2月19日  大手町


 松山市駅で高浜方から進入してくるクハ765を先頭にした元京王5000系の700系が3連でやって来た。

2007年2月19日  松山市


 ここでようやく事の真相が呑み込めた。朝の多客時間帯に高浜から松山市へMc+Mc+Tcの3連でやって来た列車は、ここで高浜寄り1両を切り離し2連は横河原へ向かう。切り離された1両が古町電車庫へ回送されていたのである。
 上の画像の列車から切り離された元京王5000系のモハ720が貫通路に両開きのホロ蓋を取り付けて、回送を待っている。台車は狭軌に合わせて元東武2000系のFS340に交換してある。

2007年2月19日  松山市


【JR四国2】
 伊予鉄に別れを告げ、松山から坂出に戻る「いしづち22号」を待つ間、7000系電車を撮影。デビューが1990年(平成2年)だからこの時点で17年選手、どことなく国鉄の雰囲気も残しつつJR四国的な雰囲気も持ち合わせている。中央扉だけが両開きというのは古くは近鉄のク3110形や京阪特急車の格下げなどが思い浮かぶが、近年ではこの7000系のように、ワンマン運転時に中央ドアを締め切る運用方法の車両に多く見られるようになった。

2007年2月19日  7013  松山


 JR四国の看板列車の一つがこの振り子気動車2000系の「アンパンマン列車」である。左が2004の「ばいきんまん号」、右がオリジナルの2003である。

2007年2月19日  松山


 こちらは貫通形2109の「しょくぱんまん号」。

2007年2月19日  松山


 乗車した2152は「ロールパンナ号」。天井にも大きくステッカーが貼られていて、子供も大いに喜びそうだ。

2007年2月19日  松山


 マリンライナーを待つ間、坂出で列車撮影を行う。やって来たのは快速サンポートに運用される121系。121系は国鉄末期に製造されただけあって、そのスタイルは国鉄電車そのものである。

2007年2月19日  坂出


 高松行きの快速「マリンライナー」の先頭に立つ5101。前任のクロ212に比べると現代的なデザインであるが、ちょっと厳つい印象。

2007年2月19日  松山


 最近の2階建車共通の造形である5104の室内。破綻のないデザインだが、個性という点では面白味に欠ける。

2007年2月19日  児島


 階段部分の壁面にはアレンジメントフラワーのスペースがあり、JR東日本で使われている通勤用グリーン車とは違った華やかさを演出している。

2007年2月19日  児島 


 マリンライナーの中から夕陽の瀬戸内海を眺める。

2007年2月19日  瀬戸大橋


 美しい瀬戸内海の夕日。

2007年2月19日  瀬戸大橋


 大阪に1泊のあと、関西のJR、阪急などを撮影、新大阪から500系のぞみで帰京の途に就いた。

2007年2月20日  新大阪

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