『特別急行列車』の時代
=1969年(昭和44年)夏 大阪駅とクロハ181区分室乗車=
Part1
1969年(昭和44年)8月、大分への帰りも前年と同じ様に、東京から夜行の143M(昨年の客車から電車化されており「東海」のヘッドマークを着けたままだった)のロザで早朝名古屋着、名古屋6時46分発の新幹線「こだま271号」に乗り継いで8時05分、新大阪に入り、大阪からは三たびクロハ181区分室に乗った。この下り「しおじ2号」は大阪駅を15時半過ぎの発車である、この半日の時間を利用して私は、幹線ホームに次々と姿を現すきらびやかな山陽特急などの撮影をした。
143Mのグリーン券。

2等級制の前年は東京〜名古屋間を143M・1等車利用で2,460円だったが、モノクラス制移行後は運賃値上げにもかかわらず運賃1,560円+グリーン料金300円の計1,860円と25%もの大幅値下げとなった。この割安感がのちに大垣夜行のグリーン車に長蛇の列ができる原因となった。
「こだま271号」グリーン車内。

近年のN700系やE5系などの航空機を思わせる小窓に慣れてしまうと、0系グリーン車の1,870mm幅の窓がとてつもなく大きく感じられる。
8時30分、11番線から発車する全車指定の日本海縦貫線経由青森行キハ82系「白鳥」。

漢字書きの愛称は厳つい感じになるからか、明朝体が多かった。3年後には貫通型を先頭にした485系によって電車化されていく。
8時36分、3番線に到着した京都発長崎・佐世保行3D「かもめ」。発車は8時40分である。

荷物を持って乗り込む乗客も始発ではないので慌ただしい様子。
「かもめ」が出た後の3番線に8時50分大阪始発宇野行「うずしお1号」が入ってきた。

向日町のボンネットにバックミラーが残っていた最期の時代。このあとバックミラーが外され、ウィンカーランプも撤去されていく。スカート形状からクハ181-12と思われる。
9時15分発、博多行475系急行「つくし1号」。

9時間42分をかけて博多には18時57分に到着する山陽本線昼行急行である。大型のヘッドマークが懐かしい。
9時30分の大阪駅3・4番線の表情。 乗り場の案内板には特急「みどり」と急行「鷲羽3号」が表示され、これらの列車を待つ人々でいっぱいのホーム。

縦分割型のめくり式表示器は関西に多く、この頃の関東は巻き取り式だった。
1Mの登場! 新大阪発大分行「みどり」が9時32分に到着。 山陽・九州線の電車特急のトップバッターで、唯一の485系(赤スカート)による運転だ。

当時は対九州特急のほとんどが581系による運転で、「つばめ」「はと」などに481系が台頭し始めたのは新幹線岡山開業後である。まだバックミラーの残る赤スカート・ヒゲ付きの姿。
大分行485系特急「みどり」のサイドビュー。

581系でスタートした電車特急「みどり」は、1975年の新幹線博多開業で、一時消滅、1976年7月に博多〜佐世保間の九州島内特急で復活を果たした。
10番線の9時45分発、富山行485系赤スカートの「雷鳥1号」。ヘッドマークのローマ字表記が「RAICHIYO」となっている異端児。

こちらもバックミラーは健在。ロールマーク改造はこの年の11月からなので、まだ番号特定はしにくい。
「雷鳥1号」の5分後の9時50分に11番線から発車する金沢行471系急行「ゆのくに1号」。

当時は急行のほとんどが非冷房。新製車に冷房が付き始めたのも、冷房改造工事が始まったのもこの年からである。
10時発、広島行の季節列車「宮島51号」 。EF58電機に牽引される。

万博輸送波動用としてこの年デビューの12系客車は冷房付きで、羨望の的。
オハ12系により運転される「宮島51号」。

12系は14系座席車デビューまでは臨時特急にさえ使われたほどで、冷房付きの臨時急行は当時としては破格のサービスである。
10時06分、4番線に到着した名古屋からの「比叡1号」。 「宮島」の列車番号305Mを表示している。

冷房準備工事のクハ165が先頭。隣には東海道緩行の全金クハ79が見える。
Part2につづく