そもそもの始まり

 はじめてワールドカップという言葉を意識したのはいつだろう? たぶん、それは1987年にイタリアへ旅行した時のこと。トレビの泉が修復工事中で、「なんでやねん、この夏のシーズン真っ盛りに!」と疑問に思ったのがきっかけだと思う。「ワールドカップが90年にありますから」ということで、へー、90年にやるのに今から工事してんの? でも、終わらなかったりして(^^; と友人とふざけて(いや、マジか!?)で話をしていたものだった。

 その後、父母が旅行に行った時はパッケージ旅行だったので、ガイドさんによって「ワールドカップ」はさらに強く刷り込まれたようだった。帰ってきてしばらく、父は「マラドーナ、ナポリ、ワールドカップ」と良く話をしていた。

 しかし、サッカーそのものに感心がなかった私は、90年のワールドカップは朝日新聞のスポーツ欄の小さな記事で「ホスト国のイタリアが調子が出ない」と言うことだけを記憶に留め、さらに優勝がドイツであったので、「90年はドイツの年なのね」と思ったぐらいであった(壁の崩壊、テニスのベッカー、グラフ)

 そして、次にワールドカップがドドドドーンと私に押し寄せてきたのは93年のワールドカップ予選。サッカーの試合をテレビで見ることすら、それまで真面目にしていなかったのに、あの日、あの時、私はテレビの前で本当に震えながら日本代表の試合を見ていた。今みたいにサッカーに夢中だったわけではないのに、ワールドカップというのが、どんなスポーツにおいても一番規模が大きな大会で、その大会に出られるということがどんなに名誉なことか、選手の夢であるか、その頃には非常に意識をしていた。だから、あのゴールが決まった時、崩れ落ちる選手たちを見て、「あぁ〜、この人たちの人生はどうなってしまうんだろう?こんなこと耐えて行けるのだろうか?」と痛ましい気持ちで一杯になり、サッカー・ファンでもないのに、数日落ち込んだのであった。

 しかし、選手たちは思ったよりたくましかったね(^^;

 この「ドーハの悲劇」がきっかけとなって、私のサッカーに対する好奇心はドンドン膨らんでいった。でも、まわりにサッカーを語っている人もいない状態では、どうやって観戦チケットを手にいれていいものやら、それすら、暗中模索であった。しかし、ふとした会話で以前からの友人もサッカーに感心があると判明! 3人寄れば文殊の知恵ではないが、良き同志を得た私は、なんとしても鹿島の試合を見るぞ!(この頃は、「つば吐き事件」で鹿島ファンになりかかっていた(^^;)と葉書を出すようになっていた。葉書応募だったんだよね、あの頃の鹿のチケット。そして、やっと、国立での試合が見られることになった!そうです!本格的なサッカーファンになるきっかけとなった、1994年5月4日の鹿島vs清水の試合。

 初めてのサッカー観戦にして、感動的な試合。試合後、舞い上がった気持ちのままの私と友人は、今でも覚えているが、新宿ルミネの喫茶店で「ワールドカップを見に行こう!日本でも開催したいって話だし、どんなものか見てやろう!」と一気に盛り上がり・・・

 と言っても、サッカーを見ていても、試合より、なんであの看板はグルグル回っているのだ?どういう仕掛けだ?オフサイドって何?というレベルの友人と私。「ん? どうしてチケットを手にすればいいの?」というところから始めるしかなかあった。だから、その足でルミネの本屋さんへ。サッカー雑誌を手に取り、とりあえず、ツアーが出ていることを知る。でも、ツアーって嫌いなのだ。海外旅行は個人で行くに限ると思っている私たち。その翌日からチケットをどうやって手にいれるか?という探索が始まった。

 いろんなことをした。今みたいにインターネットが普及していたわけではないし、パソコン通信すら始めていなかった。アメリカ版チケットぴあに国際電話もした。アメリカにいる友達に調べてもらったりもした。アメリカの組織委員会にファックスで問い合わせもした。ところが、入ってくる情報はプレミア・チケットのみ。お車、お飲み物、お食事付きという高額チケット。あー、違う、なんか、違う。サッカー不毛の地だから、行けばなんとかなるような気がする。でも、そうなった場合、問題は足。友人も私もペーパードライバー。自動車社会のアメリカでは動きようがない。あー、どんどん時間が過ぎて行く。開幕しちゃうよ(^^;

 とりあえず、ツアーの資料も取り寄せてみるが、すでに、締め切ったものがほとんど。つれない応対である。予選ラウンドの方がカードがわかって良いと思っていたけど、今からでは、1ヶ月ない!(^^; よーし、もうこなったら、ツアーで決勝ラウンドを見に行こう!で、東海岸か西海岸か・・・。うーん、東は遠い(^^; 西海岸にして、ツアーの後、自分達で延泊しよう。そして、ショッピングをして帰ろう!と今思うと、サッカー以外のことにも目を向けている余裕があったのである。

 申し込んだのはエラライン系のツアーで準々決勝、決勝を観戦するもの。代金は334,600円也。

つづく   (2002年1/19記)