「体に流れる血」
LANCE ! NET 4月15日付け記事より
ヴァスコ対アメリカはジョルジーニョがプロとしてのデビューした試合だ。今日、ジョルジーニョは11年ぶりに以前に所属していたクラブと対決する。
18歳の時、ジョルジーニョはヴァスコ対アメリカ戦でピッチに入った。このふたつのクラブの状況は非常に今日と似ていた。1982年と同じように、試合はマラカナン・スタジアムで行われ、ヴァスコはリオ州選手権の首位だった。 しかし、ジョルジーニョは元のポジションではプレーしない。もうひとつの違いはユニフォームだ。今はアベウのチーム、グアナバラ杯の首位にたっているチームの中盤としてピッチに立つが、1982年にはアメリカのディフェンダーとして始めてプロの試合に出た。
「私は18歳でウォームアップをしろと言われた時にはびっくりした。ケガをしたドゥイリオのポジションに入ったんだ。私は急ごしらえのディフェンダーで子供の頃のアイドルだったホベルト・ディナミチをマークしなければならなかった。2対0で勝った」
ジョルジーニョは覚えている。89年にフラメンゴの一員として州選手権の試合をして以来、アメリカと対戦していない。
今日、ジョルジーニョが対戦するアメリカは彼がプロとしてのキャリアをスタートしたころとはかなり違っている。赤いユニフォームのチームは2次リーグの10チームに入るために戦った。現実的には不便なこともあったが、ドイツや日本で働いていた時でも、アメリカがどんな状況にあるのか問い合わせていた。
「アメリカはもっと強くならなければならない。ブラジル選手権のセリエCで戦っていてはいけない。残念なことだよ。今は、少なくとも、スタジアムがあってホームがある。それはチームにとって主要なことだ。いい時代に戻れるようにサポートするよ」
ジョルジーニョは今日、アメリカと戦うことを心待ちにしている。
「アメリカの試合を追ってはいないんだ。だいたい同じスケジュールで試合をしているからね。でも、アメリカは得点力があることは知っているし経験豊かな選手、ネルソン、ソラトやフランサがいる。アメリカはいつも難しい相手だったんだ。今もそれは変ってない」
ジョルジーニョはジュニーニョの中盤のポジションを得た。ジュニーニョはケガのために後期リーグ戦にしか戦列に復帰しない。アベウ・ブラガ監督にとって嬉しい悩みとなることだろう。
「ジュニーニョはヴァスコの歴史の一部みたいなもんだよ。でも、私は自分のスペースのためにいつでも戦うよ」
ジョルジーニョのヴァスコとの契約は12月までだ。来年の計画としては、プロとしてのキャリアをスタートさせたユニフォームを着るかもしれないと言っている。
「ヴァスコに入ることを決心する直前にアメリカから話があったんだ。ありがたかったけれど、戻るときではないと思った。1978年にクラブに入ったけれど、いつもアメリカではすごく愛されていたよ。まだ、戻るつもりはある」