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『山川草木』抄





U  夏の章  夏夕


ぼくは行くだろう           ランボー

夏の青い夕ぐれには、ぼくは細道を行くだろう、
小麦の穂にちくちく刺されながら、雑草を踏みに。
夢想家のぼくは、その爽やかさを足に感じるだろう。
ぼくは無帽の頭を、風に気ままに洗わせるだろう。

ぼくは語ろうともせず、何ごとも思わないだろう。
しかし限りない愛が、ぼくの魂にこみあげてきて、
ぼくは行くだろう、遠く、遥か遠く、ジプシーのように、
自然のなかを、――一人の女性と連れ立ったように楽しく。


「感覚」(『ランボー詩集』清岡卓行訳 昭和四十三)


 
 アルチュール・ランボー。一九世紀後半フランスに彗星のように現れた天才詩人。ランボーは今日においてもなお青春そのものの象徴である。その詩は広く後世の文学や思想に影響をあたえ、二十一歳で詩を捨てて放浪の旅に出た、その生き方は世紀を越え、国境を越えて若い世代を魅惑しづけている。
 「感覚」は一八七〇年、十六歳のときの作品。「ぼくは行くだろう、遠く、遥か遠く、……」とあるが、この年、少年ランボーはフランス北部の片田舎シャルルヴィルから最初の家出をし、運賃不足でパリで逮捕。送還後、徒歩でベルギーへ放浪。以来、「風の足をもつ男」と呼ばれた歩行狂は気まま気まぐれの風まかせの身となる。二十二歳、ジャヴアのバタヴィアへ。二十四歳、アレキサンドリアからキプロス島へ。二十六歳、エジプト、キプロス島、紅海沿岸からアデン、ハラルへ。二十七〜三十一歳、アフリカ奥地へ……。一八九一年、三十七歳の死まで、旅暮らしをした。
 「夏の青い夕ぐれには、……」。猛暑の一日、その暮れ方、缶ビールをグビッと喉にそそいでいるときなど、おぼえずこのフレーズが口を衝いて出ていることがある。いまもう遠い若い日のほろ苦い想い出とともに。わたしもまたランボーに憧れること、ランボーたらんとした日があった……。
 ぼくは出かけて行ったのだ、両の拳(こぶし)を破れたポケットにつっこんで。
 ぼくの外套もまた、この上ないしろものになっていた。  
 「ぼくの放浪」




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