T 春の章 〜 春山 長く厳しい冬も終わった。ようよう山の肌にも緑が萌えはじめた。のどかな山道を歩いている。そんなときにおぼえず口を衝いて出る句がわたしにはある。ほかでもない。あまりに有名なこの二句である。ふたつを口にころがしながら歩いている。するといろといろと思われておかしい。ともに漂泊の俳人とされる。しかしその放浪のしかたは両人それぞれ。
分け入つても/うしろから烟が 種田山頭火/尾崎方哉
分け入つても分け入つても青い山 山頭火
春の山のうしろから烟が出だした 方哉
(『定本山頭火全集』/『尾崎放哉全集』)
まずは「分け入つても」の山頭火は動、墨染めの法衣に草履ばき、鉄鉢を手に一笠(りゅう)一杖(じょう)の旅姿で歩きつづける。ひたすら歩きに歩きたおす。「乞ひ歩く水音のどこまでも」「うしろすがたのしぐれてゆくか」「鉄鉢の中へも霰(あられ)」。というこれらすべては九州各地をはじめ、山陽、山陰、四国八十八カ所とつづく行乞をよくつたえている。
それが「うしろから烟が」の方哉は静、小豆島土庄町は西光寺の南郷庵に独居。ひねもす庵にあり坐すのみだ。そしてお遍路さんから喜捨(きしゃ)にあずかる。「入れものが無い両手で受ける」。だが遍路の季節が過ぎると苦しい。「せきをしてもひとり」。そしてはては自分から墓に入った心境であるのやら。「墓のうらに廻る」。ついてはこの一句は死の枕元にあったとか。
ぽかぽか陽気に頭をなぶられて、などなどと茫洋と思っているしだい。そんなわたしもいまだこの歳で漂泊の旅にあこがれているのやら。