| love song |
27.木山捷平 白いシヤツ 旅でよごれた白いシヤツを 朝早く あのひとは洗つてくれて あのひとの家の軒につるした。 山から朝日がさして来て 「何かうれしい。」 あのひとは一言(ひとこと)さう言つた。 |
| 木山捷平は日本の叔父さんだ。権威に屈せず、通俗に媚びず、隣人に優しく、自身に厳しく、庶民を生きた市井の人だ。 明治37年、岡山県に生まれる。中学時代より文学に目覚め、早大文科入学を希望するも、父の反対にあい果たさず、小学校の先生として働くかたわら詩作に励む。そうだが夢は絶ちがたい。 昭和4年、二十五歳、上京。同年、処女詩集『野』、翌6年、『メクラとチンバ』を相次いで刊行。ときに捷平がこの二冊の詩集を心を込めて贈った女性がいた。 宮崎みさを。そのさきに雑誌の投稿欄に載ったみさをの短歌を捷平が手紙でほめた。それが機縁となり文通がはじまる。そしてこの年8月、捷平は思い切って、山口県萩近在の村に彼女を訪ねる。なんとこれが初会だったという。前掲の詩はその折の光景である。そのときすぐに打ち解けたのだろう。こんな微笑ましい一篇もある。「何にも言へないで/あのひとと私と坐つてゐる部屋の/ふすまに来て/スイツチヨが/……………スイツチヨ/…………スイツチヨ/………スイツチヨ/……スイツチヨ/…スイツチヨ/スイツチヨ/と言うて鳴いてとんで行つた」(「新秋」) 9月末、捷平はみさをの母きよに宛てて書く。「母上様/私はみさをさんと結婚したいと思います。人を媒して申込むのがしきたりと思いましたが、直接に、不躾に申上げます。私は貧しい詩人で大して生活能力のある男ではありません。が、真実、私たちの生活は大切にして行きたいと思います。……」 11月初め、きよから返信がある。「はいけい申上げそうろ/いつかおてがみちようだいいたしました。あなたさまのごねつしんなおきもち ありがとうぞんじます。みさをは早く父をうしなつてからはひん(貧乏)のなかにそだちましたが、わたしは大切にそだてました。……」 11月23日。結婚。捷平二十七歳、みさを二十三歳。以来、死が二人を分かつまで、貧しさに負けず力を合わせて、仲良く生きて行くのだ。 *『木山捷平全詩集』(昭和62年) |
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