home恋 唄
拾 遺 2005
 




love song

26. 田中冬二

歳月

妻が嫁入りの時に持って来た箪笥も鏡台も古びてしまった
鏡台はがたがたになった
そんなにも歳月はたったのだ
乏しきに堪へて来た私達だ
今更新しいのを 購ふでもないが
一寸さびしい気もする
五月の庭のみずみずしい若葉が
溢れるやうに映ってゐる鏡の面
そこに私の顔
その顔の何と老いこんだことだろう



 田中冬二、モダニズムの影響が濃厚な昭和初期の詩壇に独自のニュアンスをもつ日本的詩境を確立した、抒情詩人。じつはこの人に別の顔があるのだ。それは銀行員田中冬二である。
 冬二は七歳で父を、十二歳で母を失い、母方の叔父安田善助(著名な銀行家安田善次郎の甥)に引き取られる。早大英文科進学を希望するも、中学校卒業と同時に余儀なく、安田系の第三銀行に入社。以後、文学を趣味としてゆく決心、定年にいたるまで、島根県今市を振り出しに各地の支店を、転任している。
 銀行員と詩人と。おそらくもっとも似つかわしくない。そうだがその二つの顔を冬二は完璧に使い分けたのである。昼は帳簿に向かい、夜は詩作に耽る。ようやくその名が小さな詩誌を飾りはじめる。そのころ冬二の身上に変化がある。といっても恋愛でない、およそ詩人らしくない。ただもう持ちあがった見合い話になんとなし乗っただけ。詩人としては詩を書くべく独身でいたかったが、銀行員としては身を固める年格好になっている。相手は世話になった叔母の遠縁の娘、今井ノブ。
 大正14年、挙式。夫三十一歳、妻二十一歳。いったいその新婚生活はいかがなものか。ここに冬二と親しくした人の回想にある。「すべては都会風に運ばれた。そして、すべてが平凡で単調な新世帯がはじまった。男は勤めから帰ると、そのまま机に向かって、読書やら詩作やらで余念がなかった。女は万事に控え目で、ただ待つだけだった。愛があって結ばれたのではなく、結ばれてのち何かが育ってくるという、極めて日本的な結婚だった」(『郷愁の詩人 田中冬二』和田利夫)
 夫婦には二男三女が恵まれる。しかし長い結婚生活の間には二人の娘に先立たれる不幸もあった。それにそもそも銀行員詩人であれば、いやそれはもう人一倍気難しかった。そうだけど平凡な家庭のつましい単調な日々がつづいた。そしていまふいに前掲の詩のような感懐が湧いてきている。こんな一句が冬二にある。
  貧しきに堪へ来し妻や花菜漬

*『晩春の日に』(昭和37年)


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