home恋 唄
拾 遺 2005
 




love song

25.大木惇夫

野茨と蜜蜂の中へ

野茨(のばら)の花もよかった、
その蜜を吸ふ蜂もよかった、
けい子よ、この茨蜜(ばらみつ)を嗅ぐと
どうやら風祭(かざまつり)の匂ひがするではないか、
あの白い路ばたで言葉を交はした
見知らぬ若者の匂ひがするではないか、
健康と純朴の匂ひ、
あの時の草いきれの匂ひ、汗の匂ひ、
ほんたうに光と熱の醗酵した
五月の匂ひがするではないか、
どうだ、けい子、
あの野茨と蜜蜂の中へ帰って行かうか。
おまへの健康を、
溌剌とした「昔」をとりかへすために。――

註「風祭」は小田原在の地名。


 大木惇夫は北原白秋直系の抒情詩人だ。郷里の広島商業学校に在学中、のちの人生を決定する二つの出会いがある。その一つは、一六歳、白秋の新刊詩集『思ひ出』を手にしたことだ。惇夫はその詩に魅惑され、みずから詩作をはじめる。
 そしていま一つのそれが、一七歳、物狂おしい初恋である。二つ年上の川島慶子。じつはこれががなんとも波乱ぶくみな展開をみせるのである。親しい仲になって一年、慶子に結婚問題が持ち上がる。なんと相手は在米の弁護士だという。封建主義の時代の結婚は親の専権事項だ。いったい若い二人に何ができよう。慶子は海の向こうに嫁いで行く。惇夫は荒れて酒と女に溺れる。
 それから一年もたった。いつか突然、音信がある。慶子は告げる。貴方を忘れられない。あと三、四年もしたら、きっと日本へ帰る、それを信じて待ってと。
 大正7年、約束どおり五年ぶりに慶子がアメリカから帰国してくる。それからが大変なのだった。同棲、慶子の離婚、結婚。そしてやっと仕合わせな生活がはじまる、そのやさき慶子が喀血するという。いつか遅かれ早かれ愛する人を死の手に渡すのだ……。
 10年、惇夫は思いきって職を辞し、小田原に引き籠もる。心気を一新、創作に没頭、かたがた妻の療養を期してだ。ここで当地に居住していた白秋の知遇を受けて、詩作に精進する。11年、処女詩集『風・光・木の葉』を刊行、詩人としての地歩を固める。
 しかし心は別にある。やはりなんとも前掲の詩にあるように妻の症状がはかばしくない。ほんとうにもう日に日に悪くなるばかり。
 「どうだ、けい子、」。惇夫は必死だ。「あの野茨と蜜蜂の中へ帰って行かうか」。だが詮ない。
 昭和8年1月、慶子死去、享年四十。惇夫の回想にある。「愛の生活の幸福は、束の間に消えた。花と蜜蜂の営みはわずかに延べ二年間で、あとの十三年間、血を喀(は)く慶子は病床にあった。……その十字架それ自体が、わたくしの青春であったと言いきりたいのである」(「愛する人について」)

*『風・光・木の葉』(大正11年)


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