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拾 遺 2005
 




love song

23. 長谷川利行<

A夫人のファルト草履爪さきは暖かき冬の夜の爪さき


 長谷川利行。「日本のゴッホ」と呼ばれ、無頼の果て悲惨な生涯を終えた伝説の画家。
 明治24年、京都に生まれる。その前半生は謎で不明な部分が多い。中学時代に文学に目覚め歌や詩を書く。中学中退後、水彩画に手を染めるが中途で放棄。しかしながら歌作は続けていたようで二十六歳で歌集『木葦集』を刊行。
 大正12年、関東大震災。このときに地獄を見たことが歌の別れとなったか。いやなんとまったく突然、油彩をはじめるという。西洋画の基礎訓練もなく、画壇とも没交渉のまま。これから二科展や帝展にしきりに応募するも落選つづき。
 昭和2年、三十六歳、二科展に「酒売場」ほか三点を出品、画壇の登竜門の樗牛賞を受ける。以後、猛烈な創作意欲をみせ各種の展覧会に出品するも、ついにその荒々しい画はアカデミックな画壇の認めるところでない。それどころかこの男はどこでも鼻つまみ者でこそあった。描きたいように描いて、生きたいように生きる。いきおい生活は破綻を来たし、あげくが酒乱と奇行が多くなる。
 いまや誰も利行を避ける。その悪名を高めたのは画の押売りだ。それはもう見境なく誰となく被害は周りにおよぶ。こんな男が恋をした。相手は画描き仲間、藤川有造の夫人栄子。しかし彼女は利行の好意が迷惑だった。しょっちゅう利行が画を抱えて玄関に立ち動かないのだ。そんなある日、また利行が来て「私、栄子さんのための詩を作ったんだけれど読んで下さい」と言って雑誌を差し出したという。みると十一首のうち前掲作をはじめ「A夫人」四首が載る。
  訪づれば直かに麦酒飲めという渡欧送別A夫人いて
  舞台的なダンサーよりこのましき社交的なるA夫人など
  道すがら後追いゆけばA夫人被布をかづきて慎ましくなれる
 いかにも利行らしい。むろん栄子はというと、ただもう気持ち悪く怖気振るうばかり、はっきりと拒絶すると。それは当然であろう。
 昭和15年10月、行路病者として収容されていた養育院にて誰のみとりもなく死去。享年四十九。

*「美之国」(昭和3年4月号)


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