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拾 遺 2005
 




love song

20. 英美子(はなぶさよしこ)

ひとり飯・喰ふ女

男を恋ひて 敗れたる女なり
女になりそこねたる
死にそこねたる女なり
世に春にそむきて
ひとり飯・喰ふ

うまきものはなきか
うまきものはなきか

青葉 朝風 山椒の芽
もっともっと
まだうまきものはなきか

のこる命の大念仏
ひとり飯・喰ふ女


 英美子。どんなアンソロジーにも見られない名前、いまはもう忘れられた、しかしながらぜひとも読まれたい詩人。
 1892(明治25)年、静岡市に旧幕臣の娘として生まれる。本名、中林文。静岡高等女学校卒業後、軍人と結婚。二児を得るも、意に染まぬ生活からの独立を望み、離婚。様々な職業に就き底辺の生活を知る。1922(大正11)年、西条八十に師事し詩作を始める。'25(大正14)年、三十三歳。処女詩集『白橋の上に』を刊行、詩人としてデビューする。このころ美子は男と出会っている。これがまあ変な突飛で不逞な輩なのである。
 井東憲(1895〜1945)。大杉栄に親炙した、アナキズム運動家。著作に故郷静岡の遊郭の娼妓の悲惨な実態を描いた『地獄の出来事』ほかがある。二人は知り合ってほどなく半同棲生活に入る。やがて妊娠すると。ときに井東の言動は当局の監視下にある。さらに彼には妻もある。そこで活動の自由と関係の清算をはかるべく、中国渡航を思い立ち美子に同行を求める。しかし腹の大きい彼女は大陸での出産は衛生状態から無理と判断し居残る道を選ぶのだ。去る男よりも、腹の児である。
 掲出の一篇。いやなんと強く良い詩ではないか。「うまきもの……」「うまきもの……」「まだうまきものはなきか」のリフレーン。これこそ母と子という「のこる命の大念仏」であろう。美子は男を去らせ、男の子を生んで、自らの籍へ入れ、非婚の母として育てる。
 子の名前は淳真(あつまさ)。後年、国際的なギタリストとして活躍する中林淳真である。
 戦中から戦後の十年ほど、美子は茨城県の水郷牛久沼で釣り場の「おっかあ」として額に汗して働いている。その日々は随筆『はるぶな日記』(昭和28)に詳しい。
 '74(昭和49)年、八十三歳、詩集『授乳考』を刊行。その「序詞」にある。「絶えずこわし/絶えずつくり/絶えず錯乱させ/絶えず抵抗し/恒に飽和せず」
 英美子。強い、じつに素晴らしい、女だ。

*『美子恋愛詩集』(素人社 昭和7)


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