home恋 唄
拾 遺 2005
 




love song

19. 島尾敏雄・ミホ

乙女の床の辺に吾が置きしつるきの太刀その太刀はや  敏雄

征き(出撃)ませば加那(君)が形見の短剣で
        吾が生命綱絶たんとぞ念(おも)ふ  ミホ



 作家島尾敏雄と妻ミホ。おそらくこの二人ほどに強い絆で結ばれた夫婦もないだろう。数奇な運命が二人の出会いを用意した。
'44(昭和19)年、二十七歳、前年に旅順海軍予備学生教育部に入隊した島尾は、第一期魚雷艇搭乗要員となり、訓練ののち、魚雷艇「震洋」の指揮官に任命される。そしてその年の十一月、奄美群加計呂麻島呑之浦に駐屯して出撃を待つことになる。
 島の娘大平ミホは、父と二人で住まいで、呑之浦から岬ひとつ隔てる押角地区の国民学校の先生をしていた。ミホの家系は「部落の人たちから特別な待遇を享受」する由緒あるもので、「彼女は部落のなかでただひとり、『カナ』という愛称で呼ばれた」(「妻への祈り・補遺」)という。いつかそのカナと隊長が示し合わせ頻繁に峠を越えて人目を忍ぶようになる。この恋の道行きは幾つかの作品に綴られるが、ここに妻ミホの「私の好きな夫の作品」なる一文がある。これがその極限の愛を語って感動させられる。明日の命も知れない特攻出撃待機の軍務の合間に、島尾が自分への贈り物として書いてくれた「はまべのうた」。ミホはこの最愛の一作「『はまべのうた』を、島尾は昭和二十年五月の居待の月の晩に私に手渡しました」としておよぶ。
 「長身のその人は、私の前で立ち止まり、大きな目で私の瞳をじっとみつめて挙手の礼をしました。そして白い薄絹の風呂敷包みを私に手渡し、腰に吊り佩いた海軍士官の短剣を取って『これは附録です』と添えました」。そこで「風呂敷包みを解くと、海軍罫紙に丁重な鉛筆文字で」その題のもとに前掲の一首がしたためられ、紙縒で綴った二十五枚程の童話風な掌編があった。それにミホが返歌したのがならぶ一首。
 八月十三日、終戦の前々日の夜半、島尾部隊に「特攻戦発動」の信令が下りる。ミホは近くの砂浜に正座し「はまべのうた」と短剣を胸に抱いてその時を待つ。それがしかし、なんという。ついに「出撃用意」の命令のまま「発進」の合図がない。そして終戦。
 '46(昭和21)年、結婚。これから畢生の名作『死の棘』に描かれる二人の終わりない旅がつづく。

*「私の好きな夫の作品」(『かたりべ叢書30 島尾敏雄U』宮本企画 平成2)



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