| love song |
18. 菅原克巳 光子 二十年前の唱歌のうまい幼女は 十二年前おれのお嫁さんになった。 あの桃色のセルをきた明るい少女よ。 お前は今でも肥って明るい。 まるで運命がお前を素通りするように。 どんな失敗があっても お前の善意が帳消しにする。 どんなに困ることが起きても 必ず解決されるとお前は信ずる。 未来への肯定、その明るさがお前の身上。 それが、われわれの、 ながい貧乏ぐらしの灯となった。 何のためにそんなに明るいのか。 おれを信ずるのか。 この生活をか。 ときどきおれはふしぎそうにお前を見るが、 肥った身體はやはりゆっくり道をあるき、 笑いは何時までも あの桃色のセルを着た娘のようだ。 |
| 菅原克己。戦中から戦後にかけて市井の片隅に生きる庶民の姿を平明な言葉で生き生きと活写した詩人。数多くはないがいまも熱烈なフアンをもつ。 1928(昭和3)年、十七歳、東京豊島師範学校生の克己は、詩を書く姉の影響もあって、詩書に親しむ。またこの頃、近所の「練馬神の家」で日曜学校の手伝いをする(じつはその生徒のなかに、のちの菅原夫人、杉本ミツがいた)。師範学校四年次、不当に退学させられた友人の復学を訴え、ストライキを打ち、警察に逮捕され、退学処分を受ける。私立の日本美術学校に入学(のち除籍)、以来、非合法の日本共産党の運動に巻き込まれる。検挙、病気……、辛酸の日々。そのいつかふっとかつての生徒に出会すことがあったのだろう。こんな可愛い詩句がある。「大きくなった君と/会ったのは電車のなか。/お河童は/何時かひっつめ髪になっていた。/……/また、会ったのね、/やわらかい声で無邪気にいう。/色の白い喉もとはくりくりし、/丸顔にそばかすがあり、/何だかいい匂いがした。/僕は君を見るとすぐ動悸がした。//ある日、/僕は町はずれで摘んだ菜の花を/いっぱい抱えて電車にのった。」(「菜の花」)。それからそんな不器用なプロポーズがミツの心を射止めたのだろう。全詩集の年譜に突然出てくる。 「1938(昭和13)年 二七歳/五月 杉本ミツと結婚。西巣鴨のミツの実家で新婚生活を始める。警察の監視つきの身であることを隠していたので、自宅に来ないよう巣鴨署へミツが頼みに行ったりするが、母親にはすぐばれてしまう。九月、姉たか子宅にてささやかな結婚の宴を張る」 前掲の詩はそれから十二年後の作。まったく「何のためにそんなに明るいのか。」ミツさんは、まるで二十年前の「あの桃色のセルをきた明るい少女」のまま。いやミツさんは出来た女房だったらしい。詩人は自分の葬儀の想像して書く。「かみさんは云うだろう、/生涯、貧乏ぐらしでした。/いいことなんか、あんまりなかった。/ただ、亭主は詩人でした……。」(「わが家のかみさん」) *『手』(木馬社 昭和26) |
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