| love song |
16. 尾崎喜八 田舎の夕暮 水際においしげった赤楊(はんのき)には 野葡萄の青い蔓や葉がからみ。 どくだみの白い花と 露草の浅黄の花の咲いた草むらの裾を濡らして 小川がきょうも鳴っている、 ゆるやかな、底ぢからのあるヴィオロンセロの音で。 田舎の夕暮の 美しい空、美しい雲ですね。 村の質朴な学校は もうとっくに授業が終って、 青葉につつまれた運動場には 小さな木馬が隅のほうでおとなしく、 三本の背の高いポプラが無数の葉をそよがせている。 その涼しい校庭で、宿直の先生が 年よりの小使いさんと何か話して笑っている。 もうじき暑中休暇の来る楽しい七月の、 美しい空、美しい雲ですね。 麦打ちの済んだあとの、 金いろの麦の穂が散らばった農家の庭で、 若い百姓の女たちが筵をかたづけたり、 からだをはたいたりしている。 健康な生き生きした眼、太い腕。 黒くすすけた母屋の台所から 竈の煙が青あおと立ちのぼる。 暑い一日の熱心な労働がねぎらわれる時の、 美しい空、美しい雲ですね。 この田舎にひろがっている 神聖な平和をたたえましょう。 万物が、今更に神の栄光を感じているような、 この粛然たる、しかも伸び伸びとした 静けさと安けさとに浸かりましょう。 まるであのベートーフェンの パストーラル・シンフォニーのアダージヨのように、 二人の静かな心にふさわしい時ですね。 そして、考えてみれば 私たちの七月がまた来たのですね、 かずかずの思い出に満ちた七月が。 お互いに精励して、正しいりっぱな者になりましょう。 ごらんなさい、頭の上を、あの高いところを。 私たちの魂の欲しいとあこがれているものを残らず与えてくれるような 七月の夕暮の 美しい空、美しい雲ですね。 (水野實子に) |
| 尾崎喜八は典型的な田園詩人だ。高潔、孤独、克己……。いまもその詩と人となりを愛する人は少なくない。 1912(明治45)年、二十歳、高村光太郎を初めて本郷駒込のアトリエに訪問。以来、喜八は生涯にわたり九つ年上のこの大先輩に兄事する。もしもこの運命的出会いがなかったら、おそらくは詩人喜八はなかったろう。じっさいその曲折多い生の折々ときどきに、ことのほか光太郎の存在は大きいのである。「私を容れ、私を見まもり、そして弱い時、駄目な時、よろめく時の私に優しく強く腕をかしてくれた高村光太郎! この人無くば私の運命はおそらくひどく変わっていたろうと思う」(「其頃」) このことは喜八の結婚にもおよぶ。光太郎の数少ない友人に小説家水野葉舟がいる。そのころトルストイアンの葉舟は東京府下の郊外、荏原郡平塚村の広大な土地で理想とする田園生活を送っていた。ある日、高太郎に誘われて葉舟を訪ねる。このとき出合いがある。 葉舟の長女である。「夫人に先立たれた水野氏は、体の弱い独身の妹さんと男女三人の遺児と一緒に暮していた……家の中の事を主婦のように取り仕切ってやっているのは姉娘で……この知的家庭の令嬢、このいわば農家か牧場の娘、その名は實子(みつこ)といい、年は僅か十五歳だった」(「音楽への愛と感謝」)。そのうち田園生活に憧れていた喜八は水野宅の近くに移り住んでいる。 はじめは實子に対する憐憫だった。葉舟は文部省の教育方針を嫌い子供たちに通学させず、妹きよに勉強を教えさせた。だが当の叔母が結核を患うと、實子は勉強どころか看病で忙殺される。けなげに頑張る實子への思いはやがて愛情に変わっている。喜八は實子を激励する。美しい空と美しい雲を頌(たた)え、「お互いに精励して、正しいりっぱな者になりましょう」と。 '22(大正11)年、この求愛の一篇を含む処女詩集『空と樹木』を刊行。翌年、一八歳になった實子に結婚を申し込む。 '24(大正13)年、結婚。ときに高太郎は二人を祝福し、詩を朗読し、ブロンズの「聖母子像」を贈った。 *『尾崎喜八詩文集』第一巻(創文社 昭和34) |
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