| love song |
14. 引野収 板切れに妻の名前とならべたる位牌のごとき表札も古る |
| 引野収。知る人ぞ知る「昭和の子規」とも呼ばれる病境涯の歌人である。 1918(大正7)年、神戸市に生まれる。十五歳頃から短歌に親しむ。'35(昭和10)年、「短歌月刊」に入会。ここで運命的な出合いがある。女人の名は、濱田陽子。一歳下で同じ神戸生まれ。第一歌集『マダムとポエム』(昭和25)の冒頭の一首に詠む。 昔昔女ありけりといふ程の時空(じくう)を超(こ)えて今君がある '45(昭和20)年、結婚。このとき収はすでに結核に冒されていた。結婚後しばらく小康状態がつづくも、三十歳となる直前、再発。寝たきりの生活を余儀なくされる。以来、陽子は仰臥不動の夫を看取る。 妻ゆゑに一世(ひとよ)清浄に保たれぬ平安にして愛恋盡きず 病魂のとぎすまされた先端にふり向く妻の菩薩的な表情 収は痛みに呻き訴える。それにしても病人とて性欲はなくはない。むしろ死と隣り合い強くある。こんな狂おしい歌もみえる。 痩せこけた私の胸に妻が乳房をおしあてる死への恐怖に厳粛化され 陽子はけなげに献身しつづける。生活保護頼りの日々、医療費食費の心配。重なる労苦、かたときも目を離すもならない、看病の疲れ。陽子の第一歌集『冬のひびき』(昭和30)にある。 いかにかそかに命を守り生きなむか雨しきりに洩るる四畳のいへ この夫と死ぬることおもひ目覚めゐて夜半慓然とわれはなりゐる 昨夜夢に見し葬列をまたおもふ病夫に寡黙にけふはなりをり '83(昭和58)年、第六歌集『白檮館遺文』を刊行。掲出作はこの一集から。いかにしても見るもならない、「四畳のいへ」の玄関に掛かった古びた板切れの表札。それをまた「位牌のごとき」とは……。胸を塞ぐ。 '88(昭和63)年、収、死去。享年七十。陽子は詠んだ。 この世にて人との縁(えにし)億万の種(しゆ)の不可思議を宿世といわん '92(平成4)年、陽子、死去。享年七十三。 *『引野収・濱田陽子然全歌集』(洛西書院 平成11) |
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