home恋 唄
拾 遺 2005
 




love song

12. 檀一雄

ものうい獄舎

ためらうのは 時そのものであるか
それとも 私達の おののく手と心であるか

汀の砂の上に
向いあって 坐っている
私達の頭上には
夕べの雲の あかあかとした 残照があり
ひろがる波
私達は そのまばゆい夕凪雲によって
金色に荘厳(しようごん)されていると云うのに

ためらうのは 祈りのためであるか
それとも 去ってゆく 掟のためであるか

ひるがえって飛んでいるのは
あれは 夕焼の空の中の 鴎
光って奔(はし)っているのは 千万の波の細片

しかし それらのことごとくを映し
あなたの眼の中から したたりおちてゆく
この 美しい無間の寂寞(じやくまく)を 吸いよせるだけの
たった 一つ
その たった一つの願いは
禁じられて ある



 放浪と無頼の作家、檀一雄。その最晩年、20年を費やし、死の床に完成した連作長編『火宅の人』(新潮社 昭和50年)。「五人の子供と最愛の妻があろうとも/天然の旅情に忠実に己れを解放してみたい」と帯文に謳う。著者畢生の大作は、刊行当時、大変な話題を呼び、ベストセラーにもなり、映画化もされた。
 恋の道行きの相手「矢島恵子」。そのモデルの存在は一部で知られていた。それがそれから時へてじつの当人がペンを執ることになった。『檀一雄の光と影 「恵子」からの発信』(入江杏子 文芸春秋 平成11)。
 '47(昭和22)年、福岡。当時、檀一雄と入江杏子(舞台女優、1927〜)は演劇活動を通して知り合う。翌年、檀は文筆で身を立てようと上京、遅れて杏子も俳優を志し東京へ。はじめはさながら兄と妹の仲であったらしい。じっさい上京後しばらく杏子は壇のもとに身を寄せ家族同様の生活をしている。ふたりは強く身を持してきた。それがだが堰を切ってしまう。
 '56(昭和31)年夏、青森蟹田の太宰治詩碑除幕式に同行参列した折、ついに一線を越えてしまう。それはしかし苦悩のはじまりであった。「私達がつとめて選び取つたものは、遂に歓喜ではなかつた。懊悩だ。……棄てるものはとうにきまつている筈だ。私達が一瞬たしかに結ばれ合つたと信じたその愛着だ」(「波打際」) 帰京後、そのまま山の上ホテルで同棲。以来、浅草千束町、麹町三番町と愛の巣を移す。道ならぬ恋である。杏子は日記に書く。「息がつまりそうです。今あなたの胸に顔をうずめる事が出来たら、私は死んでもいいと思います。愛してます」。だがそれが全うできない。
 そして5年、ようやく恋の道行きも終わりを迎えるにいたる。そこで掲出詩をみよ。「その たった一つの願いは/禁じられて ある」という、それは愛なのか。あるいは死であるのか。これはいつか蜜月のときに新聞の連載小説「暖かい町」のために取材旅行に同行した折の光景だろうか。作家の業は深い。絶筆にある。
  モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん

*『檀一雄全集』第八巻(新潮社 昭和52)


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