home恋 唄
拾 遺 2005
 




love song

11. 久保田万太郎

何か言へばすぐに涙の日短か


 久保田万太郎は多くの顔を持っている。小説家、劇作家、俳人、演出家。万太郎は「自分の人生は逸話の連続」と自ら語っているが、なんとも余人には理解しがたい複雑な人生を送っている。ことにその女性関係たるや奇怪至極なことったら。
 1919(大正8)年、友人大場惣太郎の家で家事見習いをしていた元芸者の京と結婚。男児を得る。万太郎は詠んでいる。
  もち古りし夫婦の箸や冷奴
 このしみじみとした句をみるにつけ夫婦は幸せであったと思うのがふつうだ。だがそれが違うのである。結婚16年目、京が亡くなる。「昭和十年十一月十六日、妻死去」と詞書する一句。
  来る花も来る花も菊のみぞれつゝ
 じつは妻の死因は睡眠薬自殺という。原因は夫の浮気。なのにのうのうとご本人はそれも知らぬげに「わが恋よ」と詞書してこんなふうに詠んでいるしだい。
  寒き灯のゆくてにともりたる
 なんという。万太郎は糟糠の妻がいるのに、「寒き灯の」カフェの女給と深間になっていて、子供までなしているのだ。むろんそれとも別れることになるが。さらにその後にもいろいろとある。
 '46(昭和21)年、57歳、再婚。相手は24歳年下、きみという名の旅館経営者の女性。これが初めこそ良かったものの、そのうちすっかり冷え切っている。「家人をかなしむ」とある一句。
  蝙蝠(こうもり)に口ぎたなきがやまひかな
 いやもう、さんざん。そのうち万太郎は家を出ている。その裏に女がいた。吉原の芸者時代の顔馴染み、三隅一子。ときに万太郎68歳、一子54歳。この一子が尽くした。万太郎は晩年にいたりようやく好伴侶を得た。ところが遅くにすぎる。
 '62(昭和37)年、一子が急死。掲出の句には「一子の死をめぐりて」の詞書。半年後、後を追うように万太郎は奇禍(赤貝を食べて喉を詰まらせて)で亡くなる。生涯の絶唱を遺して。
  湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

*『久保田万太郎全集』(中央公論社)


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