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拾 遺 2005
 




love song

10. 石橋辰之助

妻とおし真実遠しひとり病めば


 山岳俳句なるジャンルがある。その昔、山は信仰の対象であった。それが時代が下り、西欧の近代アルピニズムの影響を受け、純粋な登攀の対象となる。石橋辰之助は新時代の山岳俳句の開拓者。杖を突いて峠に山を仰ぐ宗匠帽俳人ではなく、ピッケルとザイルを携え岩に挑む登山家俳人。「垂直の散歩者」を自称する。その代表作にある。
  朝焼の雲海尾根を溢れ落つ
 朝焼けに染まった雲海が、刻々に姿や色を変えせり上がり尾根を越え、雪崩れ溢れ落ちてゆく。高山にご来光を仰いだ者なら誰もが息を呑む一瞬。壮大な山景をしてよく見事に一句にしている。さらに雪の穂高登攀の句はどうだ。
  穂高なる吹雪に死ねよと攀ぢぬ
 '35(昭和10)年、第一句集『山行』刊行、この年、映写技師として働く辰之助は勤務先の同僚亀岡千鶴枝と結婚、翌年、長男を得る。寡黙な男は山を愛し妻子を愛した。
  われのみの静けさ霧に妻こほし
 廬溝橋事件(昭和12年)。国家総動員法公布(昭和13年)、第二次大戦勃発(昭和14年)。軍靴の音が身近に迫る。妻と幼い子を置いて山に行く。そのことに対する後ろめたさ。いまや登山は非国民的な行為である。
 '45(昭和20)年5月、戦災に遭う。6月、妻子を長野県は白馬岳山麓へ疎開させる。
  子を妻を梅雨の車中に置き嘆く
 '45(昭和20)年8月15日、終戦。闇雲の焼け跡の日々。生活難と多忙と粗食に耐え、句作を再開。
  酔えど妻子に明日送る金離すまじ
 あるいは剛健の山男であったことが健康を過信させたか、いつしか病魔が身体を蝕んでいる。なんと運命は酷薄すぎる。
 '48(昭和23)年8月、粟粒結核で死去。享年三十九。掲出は「絶句」二句の一つ。胸塞ぐ、痛切だ。

*『定本・石橋辰之助句集』(俳句研究社 昭和44)


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