home恋 唄
拾 遺 2005
 




love song

8.
サトウハチロー

長崎の鐘

一、 こよなく晴れた 青空の
   悲しと思う せつなさよ
   うねりの波の 人の世に
   はかなく生きる 野の花よ
   なぐさめ はげまし 長崎の
   ああ 長崎の鐘が鳴る

二、 召されて妻は 天国へ
   別れてひとり 旅立ちぬ
   かたみに残る ロザリオの
   鎖に白き わが涙
   なぐさめ はげまし 長崎の
   ああ 長崎の鐘が鳴る

三、 つぶやく雨の ミサの声
   たたえる風の 神の声
   かがやく胸の 十字架(じゅうじか)に
   ほほえむ海の 雲の色
   なぐさめ はげまし 長崎の
   ああ 長崎の鐘が鳴る

四、 こころの罪を うちあけて
   更け行く夜の 月すみぬ
   貧しき家の 柱にも
   気高(けだか)く白き マリア様
   なぐさめ はげまし 長崎の
   ああ 長崎の鐘が鳴る


 昭和二十年八月九日、長崎に原爆が落とされた。時刻は十一時過ぎ、このとき敬虔なカトリック教徒で放射線医学者の永井隆博士は長崎医科大学の研究室で被爆した。広島につづいて投下されたこの原爆で長崎の街は壊滅し、一四万人の尊い命が襲われた。博士の妻も自宅台所で即死。二人の子供は疎開していて無事だったが。博士は包帯姿のまま生き残った学生たちと、ただちに被爆者の救援活動に入った。そして数日後、倒壊した浦上天主堂の鐘が瓦礫の中から掘り出されたとき、博士は妻が身につけていた白いロザリオを見つけだした。それはどんなに辛いことだったか。
 博士はさきに職業上の放射線障害(白血病)を患っていたが、被爆後病状は悪化の一途をたどる。二三年、博士は病床にあって二人の愛児の行く末を思い『この子を残して』を著す。さらに翌年、脾臓肥大周囲九十六センチになりながら書き綴った『長崎の鐘』を出版。両著ともにベストセラーになるが、これをもとに書かれた歌がまた胸を打つものだった。
 作詞のサトウハチローは、三人の兄弟を戦争で亡くし、二つ下の弟を広島の原爆で失っている。作詞の依頼に彼は「これは神さまがおれに書けと言っている」と確信したという。作曲は古関祐而。歌手は藤山一郎。詞も曲も、歌い方も、ひとつになって素晴らしかった。ことに「なぐさめ はげまし……」から長調に転じて、明るく力強く歌い上げるところ、敗戦で打ちのめされた人々を心を奮い立たせる。のちに藤山はアコーデオンを手に博士を見舞い、その枕辺で「長崎の鐘」を歌った。博士はその礼として短歌を贈っている。
  新しき朝の光のさしそむる荒野にひびけ長崎の鐘
 歌の大ヒットにつづき、翌年、映画も作られた。博士はこの試写を病床で観ている。
 二六年五月、昇天。享年四三。辞世にある。
  白ばらの花より香り立つごとくこの身をはなれ昇りゆくらむ
 ここに博士の魂はこの歌のように、さきに召された妻の待つ天国へと昇っていった。



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