| love song |
7. 若山喜志子 うす青き信濃の春に一つぶの黒きかげ置き君去(い)ににけり |
| 詩人と恋をする。詩人の妻となる。それはいかがなことであるのか。若山牧水の妻喜志子。彼女の半生こそその恰好の見本であろう。いったい二人はどのように出会っているか。 明治二一年、喜志子は長野県筑摩郡広丘村(現、塩尻市)に生まれる。四四年、文学を志し上京、歌の師で同郷人、太田水穂宅に寄宿する。その折に水穂宅を訪ねた牧水に応対に出たのが最初。同年末、喜志子はいったん帰郷。翌四五年三月、信州麻績(おみ)村で行われた歌会で再会。 そして四月、牧水からの葉書に応じて、広丘村近くの村井駅で三度目のランデブー。この際、喜志子は妹を同伴したが、そこから塩尻駅まで、六キロもある桔梗ヶ原を歩いている。その間、喜志子は牧水から求婚された。「私を救って欲しい」と。このとき即答はさけた。なにしろ相手は前科(?)ありだ。じつはその前年まで牧水は園田小枝子と五年来にわたり死ぬの生きるのの激しい大恋愛の果て別れているのだ。さらにまた牧水の名歌の多くはこの「運命の女性」との恋愛から生まれている。それはたしかに深く悩むことがあったろうが、だがその折のことを詠った掲出の一首をみれば、すでにはっきりと心は決めていたのがわかる。 一ヶ月後、喜志子は両親に無断で上京し、二人の結婚生活がはじまる。牧水二七歳、喜志子二四歳。しかしながらその暮らし向きはいわゆる幸せから遠いものだった。それは牧水が詩人だからだ。しかも悪いことに旅の詩人であって、それに加えて酒の詩人であると。とすると家を守る妻の身はどうか。第一歌集『無花果』(大正六年)の冒頭の一連「暗きあけくれ」に詠う。 われぞいたましわれぞいたましいたましと思ひつづけて起ち居するかな まづしくあらば刺して死なんと思ひしをこのまづしさに克ちてゆく身は 昭和三年、牧水死去。享年四十三。いったい詩人の妻であること、それがいかに辛く大変であるか。晩年の一首にある。 眉逆だち三角まなこ窪みたるこの面をつくるに八十年かかりし *『若山喜志子全歌集』(短歌新聞社 昭和五六) |
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