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江口きち。日本がいまだ貧しかった時代。生活の辛苦を舐め叶わぬ恋の果て、自ら命を絶った薄幸の歌人。その生涯と歌はまことに辛く胸塞ぐ。だがその名を知る人は多くはない、またこの人に及ぶ本も僅かもない(評者も『江口きちの生涯』(島本久恵 図書新聞社 昭和四二)を通して初めてその存在に触れた)。 大正二年、群馬県利根郡川場村に生まれる。父熊吉は博打打ち、母岩は奉公人。放浪の一家は流れ流れて、この僻村の侠客金五郎親分(かの大前田英五郎の身内)のもとに草鞋を脱いでいる。いやその出生も少女時代も不幸そのもの。まずは幼時に四歳上の兄廣壽が高熱を出し精神障害者になる。さらに性愚鈍な熊吉が親分一家の出入りの際に警察の追っ手から逃れて失踪する。ために岩は街道筋にトタン葺きの粗末な雑貨店兼簡易食堂「栃木屋」を開く。 昭和三年、川場高等小学校を学業優秀で卒業。沼田へ出て和裁修業をする。五年、沼田郵便局に勤務、自活の道を歩むも、母の急逝に遭い、余儀なく店を継ぐ。無能な父、障害の兄、それに三歳下の妹たき子。なにはあれ彼らを食べさせなければ。店に出て頭を下げる。ときには愛想笑いもする。 きちはいつか心の憂さを歌に託するようになる。そのさき小学校の時分に地方歌人の受持ちの先生から手解きを受けたのだろう。五年、河井酔茗、島本久恵夫婦が主宰する「女性時代」に投稿を始める。詠うべきことは身の回りにそれこそ山ほどある。いまは亡き母のこと。その一周忌(命日は七月七日)の一首。 この世にて生きがたかたかりし人は今日星夜をえらびて去り逝きにけり さらに赦せない父のこと、そして哀しい兄のこと。はたまた東京に年季奉公に出た妹のこと。溜め息が歌になり、歌が溜め息になる。 火の如くわが瞳に燃ゆる憎しびはけはしかるらし父を刺しつつ きき分けぬ兄を叱りてはかなしもその憤りのすべなかりけり こまごまと心つかひて出しやりし妹の行きて気弱くなれる だがそれにしても苦しすぎるのである。床几を二、三台置く店土間、駄菓子やちり紙を並べる売場、四、五人は坐れる囲炉裏端。なにをどうしたって稼ぎになりそうもない。そこにもってきてこんな吹けば飛ぶような店がなんと恐ろしいことになっている。 亡き母が借りてありとふ金のこと霹靂の如く聞けど術なき 家財競売ののちいかにしてたつきせむ人のなさけすがりたき吾は 拾円の金を送るに身のまはり倹めけむ妹がこころかなしき どうにも二進も三進も行かなくなる。そこにある人物が現れ援助の手を差し伸べようとする。おもうにきちはお金に清く知り合いに頼るのは潔しとしなかったろう。しかしながら背に腹は代えられない。 宮田弥右衛門。村の長者で、妻子あり、兵役に出る年頃の長男もいて、教養あり、人望も厚かった。はじめ弥右衛門は寡黙な客であったが、きちの働く姿を、その苦境を見るにつけ、だんだんに心動かされたのだろう。むろんきちも胸の疼きをおぼえる。 しかし道ならぬ恋、小さな村で、人の目もある。きちの眠れぬ夜がつづく。こんな詞書きをして、きちは詠むのだ。「あけくれ平常のもの云ひをかつて越えたりしたこともなくて、この夜、忠義めく使ひに立ちけるを呼びかへされつ、その手肩にかかりて無言のうちにちからこもりぬ。ただそれだけのことながら、霊を衝きて受けしものありき。」 さりげなくいだきしものをちからこもるかひなの中に死なばやと思ふ ふいと手が肩にかかる。それだけで「霊を衝きて受けしもの」をおぼえる。「かひなの中に死なばやと思ふ」という。たとえばこの歌から何がみえるか。弥右衛門ときち。そこいらは推測でしかない。だけどおそらく、二人は男女の、それではなかった。 ただにただに君が苛らちの悲しきを小さき身もて護らむと思ふ からうじて掟の下にわが保つちからし尽きば君も悔ゆべし あるいは弥右衛門が感情を露わにした。悲しいことにお金をみせたりして。しかしながらきちは固く身を持したとおぼしい。ついに二人は結ばれない。そして唐突に悲劇が起こる。 ここに掲げる歌をみよ。これは妹宛に密封して送られ、没後に弥右衛門へ手渡しを依頼してあった手帖にある。わたしのこの挙の波紋が貴方に及ばないように。ここにいたってきちは佇まいを崩すことはないのである。そして書き置くのだ。「最后の最后まで あなたの息吹きの中に生きてゐました 瞳に映るすべての象の中に あなたがありました」と。そうして律儀にも「お金は妹からお受けとりになつて下さい」と借金を完済する由、こう最後に挨拶をする。「あなたはあなたに渡される大道を、いたみなくいらして下さい」。なんと酷すぎる。 十三年十二月、兄廣壽を道連れに服毒自殺を遂げる。享年二十五。 (『江口きちの生涯』昭和四二) *『武尊の麓』(江口きち 清水弘文堂) 、『塔影詩社蔵 江口きち』(島本融編 不二出版) |