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墨染めの法衣に草履ばき、鉄鉢を手に一笠一杖の旅姿で歩きつづけた山頭火。家を捨て、妻子を捨てた。この男は言った。「かつて女を愛したことがなければ、女から愛されたこともない」。それはだがしかし真実はいかがなものやら。 明治十五年、山口県佐波郡(現、防府市)に大地主の長男に生まれる。九歳の年、父の放蕩のため母フサが屋敷内の深井戸に身を投げて自殺。この事件が生涯を決定する。三十五年、早稲田大学大学部文学科入学するも、翌春に神経衰弱で退学、病気療養のため帰郷。この頃より種田家は経済的に逼迫、隣村で父が始めた酒造業を手伝う。そこに縁談が持ち込まれる。相手は近在の資産家佐藤家の娘、美人の誉れ高い咲野。 四十二年、結婚。夫二十七歳、妻二十歳。翌年、男児に恵まれる。大正二年、自由律俳句の荻原井泉水に師事し、「層雲」に投句。 林檎かぢる児に冬日影あたたけれ 山を背負うて小春安らかに建つ家かな 俳句に打ち込み家業に身に入らない。仲間と飲み明かして帰らぬ日もある。しかしいまだ荒れ狂うことなく、まずまず良き父であったようだ。だがそれが違ってしまう。 五年、種田家破産。妻子を連れて熊本に移り、古書店(のちに額縁屋)「雅楽多」を開業。店は妻にまかせ、もっぱら作句に励む。七年、弟の二郎が縊死。衝撃を受ける。酒量が増え、奇行が目だつ。八年、苦悩のうちに上京。咲野の実家から離婚を促す書状がたびたび届く。九年、行きが掛かりで離婚届に判を押す。これを実家の兄から見せられた妻も致し方なく捺印する(どうもややこしいが両人とも離婚は本意ではなかったらしい)。 十二年、関東大震災に遭い、熊本に帰り、離婚したはずの咲野のもとに転がり込む。翌年暮れ、泥酔して電車を急停止させる。このとき連れ込まれたのが市内の報恩寺で、これを機縁に禅門に入る。十四年、出家得度、植木町の味取観音堂の堂守となり山林独住。翌年春、堂を去り、行乞放浪の旅に出る。 分け入っても分け入っても青い山 九州各地をはじめ、山陽、山陰、四国八十八カ所と旅はつづく。しかしながらこの旅は行きぱなしではない。昭和四年春、山頭火は熊本に舞い戻る。そして捨てたはずの家に入り咲野と息子と住んでいる。まるでもとの鞘に収まったように。この七月、知友宛に書いている。「――私もドウヤラカウヤラ家庭生活がつゞけられさうです」。でもそんな生活はやはり性に合わず半年と持たずまた旅立っている。だが可笑しい。それから半年もしない。 五年正月、またしても熊本に戻り「雅楽多」に住んでいる。この六月の書簡にある。「嘘の法衣をぬぎすてました、前掛けをかけました、――かうなるのが本当であります」。とはでたものの秋風の吹く頃にフイと行乞の旅に出るというありさま。 でもってまたまたその年末に熊本に帰っているというのである。今度はさきの事情があり、さすがに咲野のもとに世話になれなく、市内に一室を借り「三八九居」と名づけて自炊生活。とはいえ山頭火は相変わらず「雅楽多」に出入りしている。 どしやぶり、正月の餅もらうてもどる ひとり煮てひとり食べるお雑煮 六年正月、大晦日に咲野から貰ってきた餅で作ったお雑煮をひとり食べている。年越しの金もなかった。俳友にも頼めない。一月十五日の日記にある。「詮方なしに、彼女に申込む、快く最初の無心を聞いてくれた、ありがたかつた」 ここに掲げる句をみよ。冴えきった星空の下、山頭火は自分と咲野の縁、その「男と女」の不思議を想いつつ帰る。そしてその翌晩のことである。当夜の日記に書く。「……へんてこな一夜だつた、……酔うて彼女を訪ねた、……そして、とうとう花園、ぢやない、野菜畑の墻を踰えてしまつた」(昭和6・1・16) 六月、「三八九居」を引き払い、「雅楽多」に入る。この頃の手紙にある。「四面不景気の声、それに囲まれて多少何とかしてやらずにはゐられません、家庭復帰!?」。しかしついにこの男には家庭は望むべくもない。十二月、山頭火は熊本を背にする。二度と咲野のもとには戻らない。今度の今度ばかりは嘘はない。山頭火、数えで五十歳。「自嘲」として詠む。 うしろすがたのしぐれてゆくか 七年、福岡の木賃宿で新年を迎え、四月末まで長崎、島原、佐世保を行乞。その後、山口県川棚温泉を庵住の地に望むも果たさず、子郡町に「其中庵」を結庵。庵住に飽きれば旅の空の日々を送る。 鉄鉢の中へも霰 十二年三月、山頭火はもう逢わないはずの咲野を訪ねている。しかしもはやその心は開かれようとはしない。そしてこれが二人の最後となっている。咲野に逢った翌日の日記は辛い。「酒、酒、酒、歩く、歩く、歩く。」 十四年十月、四国遍路の旅に出立。十二月、松山市内の御幸寺に庵住、「一草庵」と名づける。十年四月、一代句集『草木塔』を上梓、各地の俳友に呈する旅に出る(この折に熊本行きを念ずるも果たせず)。 十月、誰にも看取られることなく静かに息をひきとる。念願のコロリ往生であった。享年五十八。 山頭火の心中にあった唯一の女性。咲野は四十三年、死去。享年八十。 (『定本山頭火全集』昭和四十七) *『山頭火文庫』(全十二冊 春陽堂書店)、『山頭火の妻』(山田啓代 読売新聞社) |