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年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり 岡本かの子は恐るべき女性である。生涯にわたり讃仰者たる男性をかしづかせる天上性の邪気をまとう存在。童女神にして地母紳である。 明治二十二年、東京赤坂(現、港区)の富裕な商家に生まれる。腺病質で、感情豊かで、幼時より文学書に親しみ、短歌に長じる。四十一年、跡見女学校卒業。翌年秋、兄雪之助の下宿で上野美術学校生岡本一平と出会す。一平にはかの子のおおらかな性格が好もしかった。かの子は一平のなかなかの美男ぶりに惹かれた。 四十三年、結婚。翌年、長男太郎生まれる。だがかの子が主婦の座に甘んじているわけがない。また一平が良き亭主に納まっているはずがない。いつか何かある。 四十五年、一平は朝日新聞社に入社。漱石の「それから」の挿絵で注目され、コマ絵の連載が好評を得、収入が増大する。金が入ると人が変わる。一平の放蕩三昧はやまなく、かの子は神経不安はとめどない。そこに問題が惹起する。 眼を閉じて我が拍つ恋の手拍子にただ舞ひねかし稚き男 手拍子に舞ったのはかの子の崇拝者で文通のあった文学青年。早稲田大学生堀切茂雄。かの子は彼に会うや、すぐ恋の罠に陥れる。こんな姐さんに掴まったひにゃいくら命があっても足りない。白皙の美青年はたちまち黒羽織の魔手にかかる。人目をしのぶ逢瀬がつづく。 男より疲れてかへる裏町もすこし夜露にしめりたる頃 妻の朝帰りは家に居着かない夫とて気付く。そこにひと騒動もちあがる。かの子の妹きんが絡んでだ。きんは女王蜂然たる姉にかしづく茂雄のよき相談相手だった。だけど同情がいつか、べつの感情にかわる。 大正二年二月、そのとき茂雄の下宿で二人が親密にしている。そこにかの子が訪ねてくる。 かくてもなほ女の我の足下に縋る男かあはれゆるさん 激怒したかの子は実家に働きかけ、きんを嫁がせ、茂雄は足下にひれ伏して許しを乞う。しかしまた難儀なことが。今度はかの子が身籠もるのだ。 八月、長女豊子を出産。どうやらこれは茂雄との間の子であったそうな。十月、きんから茂雄とのことで手痛く逆襲されたかの子は「産後の逆血」の発作を起こし入院。ジフテリアを併発し、一時生死の境をさまよう。 かの子よ汝が枇杷の実のごと明るき瞳このごろやせて何かなげける ここにいたって「知らずの一平」もことの重大さに愕きうろたえる。どうしたらいい? このときかの子の一言に一平が同意(夫婦の交わりを断つことを誓言)したとして、常識で考えられない結論が下されるのだ。なんでまたそんな! なんともなんと夫君愛人同居でいこうとなる。 三年春、退院。翌四年、やはり茂雄との間の子とされる、健二郎出産(これがまた二児ともに早世したそうな)。それはしかしこんな関係がうまくいくものか。一平の姿を横目に、かの子は階段を上る。そして二階の茂雄の布団に忍びこむ。ときに茂雄に結核の兆候がある。きくところ結核の発病前は性慾が異常に亢進するらしい。それにつけてもかの子の欲求は激しかったのだろう。やがて茂雄は喀血する。 五年、お払い箱になった茂雄、郷里福島に帰り死去。享年二十四。 ここに掲げる歌をみよ。のうのうとしたこの歌いぶりといったら。まるで他人事もいい。まったくもってどう申したらいいものか。女主人に魅入られた男奴隷の不幸。だとしても哀れなるかだ。死後に発表された「死の日まで」と題する茂雄のノートにある。 硝煙の中行くごとも眼のくらみ見苦しかりし恋なりしかな これでかの子の狂乱も終わりとなる。などとは凡人ではある。まだもっと愛の下僕を欲するのだ。 十三年、かの子は痔の手術のため慶応大学病院に入院。外科医新田亀三に一目惚れする。この件で亀三は北海道岩見沢病院へ左遷される。以来三年間、一平に青森まで送らせ、青函海峡を数度渡る。 昭和三年、亀三は病院を辞めて東京に帰り、岡本家に同居。またしても奇天烈生活をはじめる。四年十二月、かの子、一平、太郎、亀三、恒松安夫(いま一人の男連れだ)の一行で渡欧。七年三月、帰国。十一年、「鶴は病みき」で文壇デビュー。以後は小説に転身、さながらかしずく男どもの命を吸い取るようにもして、旺盛な活動を展開。 ふしおがむわれとひたぶる書きふけるおのれのみなるわが世なりけり 十四年、一平と亀三に看取られ、永眠。享年四十九。 二十三年、一平死去。享年六十一。 (『愛のなやみ』大正七年) *『岡本かの子全集』(ちくま文庫)、『かの子撩乱』(瀬戸内晴美 講談社文庫) |