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堀井春一郎。戦後第一の情痴俳人。そうはいっても知る人はわずかもない。アンソロジーでもまず目にすることがかなわない。だけどまあその句が良ろしくあるのだ。 昭和二年、東京麻生(現、港区)の旧家に生まれる。少年時に俳句に目覚める。慶応幼稚舎から慶応大学文学部哲学科入学。二十五年、山口誓子に師事。「天狼」入会。「幼稚舎六年の時田山花袋の『田舎教師』を一読ひどく感動、将来教師になろうと漠然と考へ」(年譜)たという。卒業後、三重県尾鷲市に高校教師として赴任。そのころ同県四日市市に誓子が住んでいた。すこしでも師の近く控えたい。傾倒ゆえの決定である。「尾鷲赴任、紀伊本線」と註してある。 見知らぬ駅過ぐ夜行に咳きて一教師 新転地で二年余り。二十七年、病を得て尾鷲を去り、神奈川県湯河原町に移る。藤沢市教育委員会に務めた後、杉野学園女子大学助教授として教鞭を執る。 三十三年、句集『教師』を刊行。すでに妻子もあり、生活、句作、ともに順風にみえる。模範的教育者にして優等生俳人。なにも問題なさげだ。だがそれがいつごろ、なにがあってだろう。いやもうちょっと大変な事態になっているという。なんだって信じられない。なんともこのお人が女に狂っているしまつ。これが相手は玄人さん。湯河原の温泉芸者、幸ちゃん(とだけ知られる)。 三十四年、句集『修羅』を刊行。ここでその救いのない情痴の始終があらわに詠まれている。あられもない男と女の業のあらんかぎり。 流連の視力暗しや石蕗・椿 七日抱きつづけ未明の寒雀 流連はいつづけと訓み、遊興に耽り帰るのを忘れること。女と視力もおとろえるほど身体を貪りあった。指折ればいつづけ七日におよんだという。 夏柑落ちて凹凸の地や「女狂ひ」 いったい妻子は仕事はどうする。女狂ひ。同僚のさりげない陰口、生徒のひややかな視線。女狂ひ。しかしもう二人に周囲はあってない。 死処の淵女連れ来てラムネ飲む 三十の汗もて女無惨にす ここまで来ている。死処の淵、自殺の名所、熱海は錦ヶ浦の断崖に。そうだが果たせるかな。なんだって死ぬもならず、ただもう汗みずくに、もくもくと交わるばかり。 どんどんとどん詰まりになるしか。どうしよう。いつやら二人は駆け落ちの相談をしている。だけどどこへ。いったいぜんたい行ったらいいって。 九州へ落ちなむ短夜抱き明かす 痴情の汗今宵九州の星赤し 九州小倉。そこに先輩俳人の横山白虹がいる。白虹は外科病院の院長で、市議会議長を務めたこともある名望家。俳誌「自鳴鐘」主宰。師の誓子も知る。なにはともあれ行ってみるしかないか。 二人は手に手をとって九州へ逃げ落ちる。ここに白虹夫人、房子さんの面白い一文がある。「お座敷着のままの彼女同伴で、堀井春一郎氏がわが家の玄関に現れたのは三十四年頃のことであろうか。「天狼」の十周年大会の折に東京の会場で一度逢ったきりの主人を頼って、九州へ駆落ちして来たという。「九州へ来ることがあったら連絡下さい」と主人が言った責任上、何とかしなければならない。……とりあえず仲間町に住んでおられる岡部麦山子さんに電話連絡して、預ってもらうことになった。それからの何か月を二人は岡部さんの好意にすがり、家庭教師をして炭鉱町の間借りした部屋で過ごしたのである」(「自鳴鐘」昭和53・6) 蚊遣香必死が能の男女なりし 九州の水蚊あなどりし房事かな ボタ山の影があった。ドブ川も匂っていた。蚊遣香が煙る。必死が能とは、なんだって切なすぎる。水辺に湧く蚊。それでもって夢中で刺さっている最中に刺されたとか。まったく荒淫、徒労のきわみ。 天涯や女に陰の毛を与へ などとまあ可笑しいよな。愛の想い出に? なんともやるせなくも、またいじましいのったら。女に陰の毛を? だってだけどおもうに、それぐらいしかなさそう。いやこれが人間なのかも。 さてここに掲げる句をみてみよ。もう何もすべて地位も名誉もかなぐり捨てた。「ほろびて」とはまた、よくぞものしたり。無頼の心中を吐露して無類。春一郎、畢生の一句だ。 それから二人はいかに。どうやらいつか別れたらしいが詳しくはわからない(なにぶん資料がなさすぎ、その略歴から、ほとんど不明にしている)。そしてそれは別段それでいい。 五十一年、死去。享年四十九。 つばめらと夕空ばかりグッド・バイバイ (『修羅』昭和三十四年) *『曳白』(堀井春一郎 深夜叢書社)、「俳句四季」(平成十二年九月号) |