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恋歌 恋句 2002‐2003 




15. 原 阿佐緒

信じあへりしか思ひつゝなほ寂し何ごともあかさぬ夫とくらして


 原阿佐緒。「恋多き女」はたまた「魔性の女」。この人はそう呼ばれる。
 深窓の令女、でもって、評判の美人。両親の寵愛を受けること、世間の何事も知らない。そんなお嬢様が大人になる。そして恋をする。そうすると如何なる事態になるものか。
 明治二十一年、宮城県の片田舎に素封家の一人娘に生まれる。三十七年、日本女子美術学校に入学。日本画を学ぶ一方、短歌に興味を持つ。
 ここで最初の問題がある。英語と美術史の教師小原要逸。彼は教壇に立つかたわら、新進の翻訳家として数多く英詩を訳出している。要逸は阿佐緒に目をかけ、下宿を訪ね英書を講じたりしている。するうちに事が起こっている。阿佐緒の自伝にある。「無耻な行為が彼女の処女性を真黒に塗り潰してしまつた」。なんと突然の陵辱だった。そして妊娠の宣告である。ところがきくと妻と三児があるときた。絶望した彼女は自殺を図るも未遂。四十年、長男を出生。これを機に帰郷、歌作に励むのだ。
 大正二年、処女歌集『涙痕』を上梓。これに「序文」を寄せた与謝野晶子は書いている。「あなたのやうな純粋の叙情詩を作る人があるのを私は嬉しく思つて居ます」

  捨てられて山にかくれて歌よみて泣きて子とのみ生くるわれはも
  黒髪もこの両乳もうつし身の人にはもはや触れざるならん

 もうぜったい男などこりごり。「子とのみ生くる」「もはや触れざるならん」。そうはいうも男が放っておかない。そしてそれを拒み通せないという。だとするとこれらの歌はなんだっていうのか。なんともこのときまたも恋にうつつをぬかしている。相手は「アララギ」同人の古泉千樫。
 三年、千樫との関係を絶ち、その昔の恋人、画家志望の庄子勇と結婚。翌年、次男が生まれる。だけども長続きしない。八年、離婚。むろんこれで沙汰止みではない。そうでは全然なくてその後もまだまだ色々とあった。そして彼女をジャーナリズムの好餌とするスキャンダラスな事件である。
 石原純。相対性理論の研究で日本を代表する理論物理学者、東北大学教授。歌人としても著名で、「アララギ」の重鎮であった。はじめは歌の師であったが、だんだんに男と女をおぼえる。なにしろ象牙の塔のほか知らない学究の徒ではある。そうなると妖艶な色香に抵抗できっこない。四十一歳で妻と五人の子。相手は三十四歳で二児の親。それに名声も地位もある。だが燃え上がる恋心を止め得ない。曲折はあった、ものの遮二無二もいい、出奔となった。
 「恋ゆゑの此の処決/歌人原阿佐緒女史との巷の噂が真実となつて/石原博士辞職す」(「東京日日新聞」大正10・7・30)
 この一件は新聞に大きく報じられ、世間の好奇の目を引く一大ニュースとなる。非難と嘲笑。わけても博士の家庭の破壊者たる阿佐緒への指弾は執拗をきわめた。二人にはしかし世間はあってない。千葉県保田の海辺に「靉日荘」なる愛の巣を構える。十二年九月、関東一円を大震災が見舞った。その折の歌にある。

  夫ごころ貴くもあるか土に寝しわれの辺の蚊を追い給ふかも

 純の夫ごころに阿佐緒は満ち足りていた。靉日荘の愛の日々は静かに続いた。些事は書生と女中の仕事。純は『相対性原理』『アインスタイン全集』他の著作に精を出し、あきれば阿佐緒をモデルに絵筆をとった。

  たまたまのいとまを夫のモデルとなり椅子にくつろぐわれにあるかも

 日々は夢のようにして永遠に続くかにみえた。だが夢はやがて覚める。純に女ができたとか、阿佐緒が嫌になったとか。ここに掲げる歌をみよ。いつか間に隙間風が吹きだす。沈黙が妬心になり、口論が面罵となる。だいたいはじめから無理無体もいいのである。愛の生活七年余り。またしても新聞ダネである。でかでか躍っている。
 「歌人原阿佐緒女史愛の巣を飛び出す/生ける人形の悩み/はじめから無理な生活/さびしき旅路にゆふべ出発」(「東京日日新聞」昭和3・9・28)
 そうしてそれから小町の行方いかがなったやら。やっぱり引く手はあまた。四年、歌舞伎座近くのバー「ラパン」にマネキン・ガールとして勤める。翌年、大阪は数寄屋橋畔に酒場「蕭々園阿佐緒の家」を開く。さらにまた女優としても声が掛かり、ドイツ映画の名作翻案物「嘆きの天使」に名優デートリッヒの役で出演してもいる。だけどこんなのはみな阿佐緒のジャーナリスチックな艶名をあてこんでのこと。ただもう徒花でしかない。やがてその名も人々の記憶から消えている。そして歌も断つのだ。しかしなんというお嬢様の変転ぶりではあったろう。
 十年、帰郷。これ以降、苦しい戦争期を挟み、最期まで、同じ人物と考えられない、二人の成人した子供とその家族に暖かく迎えられ、幸せな生活を送ったそうな。だがはたしてその胸の内はどんなものやら。晩年の句にある。

  冬庭のわがまへばかりかげり居り

 四十四年、長逝。享年八十一。
 いっぽう純はどうか。八年、妻子の許に戻るも、十年後、自動車事故で脳障害を患う。二十二年、死去。享年六十七。

(『うす雲』 昭和三)

*『原阿佐緒全歌集』(至芸出版社)、 『涙痕―原阿佐緒の生涯』(小野勝美 至芸出版社)




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