|
|
にょうぼ死んだぜ、おれ自由! だからとことん、飲んでやる 詩人というとおおかたそんな不届きなやつばかりである。しかしながら古今東西、妻恋歌もなくはない。山上憶良の古くから、愛妻(乃至恐妻)家の系譜もまた連綿と続いている。愛妻家詩人。ここにその名を挙げてわが昭和の御世の自由律俳人・橋本夢道はそれは群を抜いている。 明治三十六年、徳島県の片田舎に小作農の三男に生まれる。高等小学校(現在の中学二年)卒業後上京、深川の肥料問屋に小僧として住みこむ。大正十一年、新聞で荻原井泉水の俳句を見て、その主宰誌「層雲」に投句。 僕を恋うひとがいて雪に喇叭が遠くふかるる 昭和三年、二十四歳で月島は畳屋の十八歳の娘、荻田静子に恋をする。二人は深く愛を誓う。しかしこれが添い遂げられない。いやだけど信じられない。なんともなんと店規に「恋愛結婚は野合」につき禁止とあったとやら。五年、勤め先に内密に別居のまま結婚。それがやがて発覚してしまう。翌六年、恋愛結婚を理由に馘首。輸入雑貨商で働きながら句作に励む。俳句では五年、栗林一石路らとプロレタリア俳句運動を起こし精力的に活動。これにより災難が降りかかる。 俳句事件で入獄 九月四日わが裸うらおもて獄史のまえ 大戦起るこの日のために獄をたまわる 獄衣、手に脛に短きゆえにあどけなや う ご け ば、 寒 い 十六年二月、治安維持法違反容疑で逮捕される。のちに「俳句事件」と呼ばれる特高による俳句弾圧事件である。これから十八年三月まで二年余獄に繋がれる。 面会やわが声涸れて妻眼ざしを美しくす 初夏のさし入れべんとうのそら豆 獄にある間、静子は子供たちと留守を守り、面会に日参する。妻への感謝と愛は募る。やがて終戦となる。ようやく平和な日々がはじまる。夢道は製菓屋を営む。しかしながら貧しいのである。「飢餓日記」と詞書きしてある。 無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ すいとん畳に下してきて不服を言わさぬ妻 この可笑しさ哀しさ。裏返しの妻への愛情。さりながら腹はへるもの。 さんま食いたしされどさんまは空を泳ぐ 天が不仕合せをたまわるごとし芋を食う それは貧しく腹もふくれない。だけど妻が笑っている。それだけで幸せいっぱい。夢道は手放しだ。 妻よおまえはなぜこんなにかわいんだろうね 人を喰った。いいかげんにせえ、などといってはいけない。これが夢道の句道なのだ。 妻鶴に近づくや鶴妻の美に驚きぬ 優美な鶴がわが妻の気高さに後退った。これだから何をか言わんである。 眼底の牡丹のごとし妻は最愛なる人間である まったく御馳走様ではある。そこでここに掲げる「精虫四万」の一句。いましも自分が放った四万(この数字の俳味よ!)の精虫の大軍、そいつらが妻の子宮をめざしてひたひたと泳いでゆく涙ぐましい姿。これぞ感動的シーン。放出するやいなや寝息をたてるような、凡夫らがよく作句するものではない。まさに絶品である。 橋本夢道。妻にすこぶる甘かった男。なんとこの人が甘党に有名な東京名菓「月ケ瀬」の生みの親であるという。夢道作のキャッチフレーズにある。 みつまめをギリシヤの神は知らざりき 四十九年、死去。享年七十一。 (『無礼なる妻』昭和二十九) *『橋本夢道全句集』(未来社)、 『鑑賞現代俳句全集 第三巻』(立風書房) |