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恋歌 恋句 2002‐2003




11. 西東三鬼

中年や遠くみのれる夜の桃


 西東三鬼。号に三匹の鬼を踏んまえた、昭和俳句の鬼才中の鬼才。業師の異名を持つ。これは機略縦横な句作を指して言うのだが、その裏では、じつは放縦無頼な色恋を暗に含んでいた。三鬼はどうしようもない稀代のドンファンなのだ。
 明治三十三年、岡山県津山に教育者の三男に生まれる。大正十四年、日本歯科医専を卒業、長兄在勤のシンガポールで歯科医院を開業する。当時人種展覧会の観のあった国際都市で「熱帯の夜々、腋下に翼を生じて、乳香と没薬の国を遊行」という薔薇の日々を過ごす。このことが後半生を決定的にする。コスモポリタン、ニヒリスト、バガボンド、エピキュリアン……。
 昭和三年、帰国。八年、勤務先の病院で患者の句会に薦められて出席、三十三歳にして始めて俳句を作る。折しも俳句の新興期で機運に乗って、三鬼はたちまち頭角を現す。
 この異色の前歴が三鬼を特別な作家にする。彼は宗匠帽を被ったような古い俳人らの(高浜虚子の「ホトトギス」)の世界とは無関係だった。ちなみにこのダンディ男はコールマン髭をびしっときめていた。十五年、処女句集『旗』を上梓。

  水枕ガバリと寒い海がある
  白馬を少女?して下りけむ
  ハルポマルクス神の糞より生れたり
  湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ

 この一集が大評判で彼は新世代の旗手となる。三鬼は俳句に没頭した、そしてそれ以上に真剣であること、三鬼は女性を遍歴した。彼と深間になった女性の数? 一説に三十五人。だが本当はその数倍とか。なかでも三人の女性である。まずは二十五歳のときに結婚した「戸籍上の妻」上原重子、つぎに三十三歳で知り会った「事実上の妻」堀田きく枝(双方に男児あり)。さらに晩期に現れる「若い愛人」由美子(三鬼の小説「八百匁」の作中名)。多情多恨な男は直情径行である。
 十七年、東京に絶望、単身で神戸に出奔。偶然、横浜で娼婦をしていた女波子に声をかけられ、そのままトーア・ロードは人種のハキダメごときホテルで同棲。なんてまったくもって凄いことになっちゃっている。
 二十二年、波子と別れきく枝と住む。これで年貢の収めどきとは、しかし凡人の浅はかさだろう。このときすでに二十幾つも歳下の由美子がいたのである。それがどんなハチャメチャなことであるか。
 「不昴は、俳句仲間に天野芳子のことを云った。何しろ、あのほうの強い口でね、とにかく一晩でも要求を欠かしたことがない。それも必ず二回だからな、……事実、この女は、そのゴム鞠のような身体が示すように、際限なく彼に要求した。さすがの不昴も豊子との間に挾まり、これは地獄だと思った」(松本清張「花衣」――橋本多佳子をモデルにする)
 不昴が三鬼、天野芳子は由美子、豊子はきく枝。これはまあ小説の一節ではあるが、いやほんと地獄の釜茹でもいいか。この「ゴム鞠」の君と切れなば。

  関西逃れたしや妊み猫とも寝る

 三十一年、五十六歳で上京。だけども女は逃がさない。なんだって狂言自殺までやらかす。みずから撒いた種とはいえだ。

  雌が雄食ふかまきりの影と形
  男立ち女かがめる蟻地獄

 これはもう実感なんでしょう。じつによく理解がいきます。そうするとここに掲げる句はどんなものやら。「桃」は、ずばりアレ、女陰。「遠くみのる」は、手のとどきがたさ。句意は中年の羨望と嘆息。多くはそう解されよう。たしかに誤っていない、だがことが三鬼なのである、それでは浅いというか。ここはそうである、歳を重ねきてなお求めあぐね究めがたい悦びの果てなるか、というぐらいでは。
 三十六年八月、体調に異変。末期癌の宣告。きく枝の「看護日録」が凄い。これから翌年四月までに、なんと三回の愛の記録があるのだ。一回目、手術の際「おかあちゃん、生きられるかどうか判らぬ。抱いてくれ」。二回目、退院の折「お祝いに抱いてくれ」そして最後、亡くなる年の一月「おかあちゃん、生きているあかしを一寸たてる」

  秋の暮大魚の骨を海が引く

 三十七年四月、一代の鬼才、ドンファン三鬼、その死もお笑いであるかにして、エイプリル・フールの日に逝った。享年六十二。


 (『夜の桃』 昭和二十三)



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